「推し」と技術コミュニティについて

「推し」と、JTCの幹部候補生文化には共通点がありそうである。
日本に見られるこの「推し」文化についての問題点を探る。


アメリカの流れ
ChatGPTによると、
それらの思想やムーブメントは、時間差を伴って日本に入ってくる可能性は高いです。
ただし、ほぼそのまま輸入されるケースは少なく、日本的な文脈に合わせて変質してから定着すると考えられます。
テックライト
「億万長者たちは、自分たちはもっと権力を持つべきであり、十分な権力がないと言う。民主主義は彼らの権力を制限するものであり、彼らはそれを好まない。民主的に国民に説明責任を負う議員によって書かれた法律があることで、億万長者の活動を抑制することができるからだ。だから代替案はファシズムか王政のようなもので、自分たちのやり方で買収すればいいと考えている。彼らは自分が世の中でやりたいことをやるのを邪魔するものを軽蔑している」
加速主義
左派加速主義
テクノロジーや資本の発展を社会主義的な目的で再利用しようとする立場。
ベーシックインカム、オープン・サイエンス、オートメーションによる労働からの解放を目指す。
例:スルニチェクとウィリアムズの『Inventing the Future』(2015年)右派加速主義
技術的進化と市場原理を純粋に加速させ、国家や倫理的制約を取り払うことを目指す。
ニック・ランド(Nick Land)に代表される。ランドは資本主義の「自己崩壊」を加速させるべきだとする極端な立場をとる。
結果として、新自由主義やテック企業の無制限な拡張とも共鳴しやすい。
競争が失われつつある



1
※ChatGPTの会話中で、引用元が明示されていませんが @wilsonstheoremさんの発言を利用しました。
https://chatgpt.com/share/688c77b7-064c-8007-a494-57afd9853906

1.1
悪質マーケティングによって特に優れていない「推し」OSS(オープンソースソフトウェア)プロジェクトが、特定の技術コミュニティに“感情的に”浸透してしまった場合、 そのコミュニティとエコシステムに以下のような構造的弊害と長期的リスクが生じます。
技術的合理性が崩れ、「物語」「人間関係」「空気」に支配されることで、
コミュニティは“選択肢の多様性”と“批判的思考”を失い、閉鎖・停滞に向かいます。

SNSは、平穏に生活している限り学校や会社で直接的に関わることがない(集団の中では影響力を持ち得ない)ような人とも接触する機会が多い。

技術的貢献ではなく芸人としてのパフォーマンスで食べているプロフェッショナルIT芸人は、芸能人の一種であると考えられる。プロフェッショナルIT芸人は、テレビに出演する伝統的な芸能人と同様に、他のIT芸人のことを知らないといけない。

会社にとって若手を「育てる」コストは無駄になる
※氏は、恩を仇で返す若い人が「目立つ」とは言っているが、若い人が必ず恩を仇で返すとは言っていない。

若い人の中で目立っている人を育てようとすると、失敗するかもしれない(?)

増えすぎた特権階級・VIPたち
推し・幹部候補生文化では、特定の一部の人々にリソースを割きすぎる・査定が甘くなる傾向がありそう。少なからぬ人々は、ノーベル賞受賞者級の天才でもないのに大事にされすぎていたか、注目されすぎていた。日本が、国内市場を形成できるほどには大きく、しかし競争が生じない程度には小さいせいかもしれない。
たとえばあるルールがあったとして、10年に一度の逸材を例外とみなして多少のルール違反を許容するのは、現実的な判断としてありかもしれない。しかし、各世代の誰か一人(または全体の一割以上)がルールを破っており、それが見過ごされている状況は、ルールが形骸化しているといえるだろう。ましてや、大半の人がルールを守っておらず、気に入らない特定の人に対してのみ罰としてルール遵守を要求するような状況は、もはや差別であるといえる。
人間的な感情として、組織のために時間を投下しアウトプットを多く出しているように見える若手を例外的な逸材と誤解してしまう場合はあるかもしれない。誤ってモンスター(たとえばNPD)に権限を与えすぎてしまうと組織に歪みが生じる。逆に10年に一度の逸材を、そうと気付かずに逃してしまう場合もあるだろうが、こちらのほうは頻度は少ない(せいぜい10年に一度しか起きない)し組織への被害は少なくて済むだろう。マネジメントについて体系的に学んでおらず、素人判断で管理職を務めると、バランスの取れた判断ができないのかもしれない(?)。

たとえば、「若手は(JTC的な)会社の飲み会に参加するべきか」という問題に対して、「たとえ義務でなくても、積極的に参加したほうが後の機会につながるから参加したほうがよい」という見方がある。これについても、上司から可愛がられるような立場・人間性の人と、そうでない人で、正解は異なるだろう。



説明することは大事

資本主義の犬
竈門炭治郎は典型的な幹部候補生・コミュニティの推しである。
竈門炭治郎は大企業の責任を追及しないだろう。貧困から犯罪を犯した鬼の責任を追及するのではないだろうか。推しも資本主義の犬である。

若さについて
『葬送のフリーレン』のアイゼンのセリフ。
人生ってのは衰えてからのほうが案外長いもんさ。
※上の記事によると、この発言を英語でいうと"My life isn't that long."だそうですが、違うと思います。

多数決
※公立中での私の内申点はよかったので、これはルサンチマンではない。