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技術記事の対価について考えたこと

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以下の記事は、あくまで個人的な今の意見で、今後変わっていくかもしれません。
思ったことをただ連ねた駄文です。私の頭の中にあるリーソスで(新しく調べてない)考えたことを、日本語や論理が成立していなところがあります。反響が多かったら、真面目にデータを集めて、まとめようと思います。
偉そうに書いていますが、プロのエンジニアでも研究者でもありません。論文に関しては査読なしの講演会講演概要集がほとんどです(査読付きカンファレンスペーパーが1つだけ)。これらの点を承知しながら、なぜ書いたかは最後の章に。

予め断っておきますが、私は技術記事に対して、労力を割いて無料であっても書きたいという考えです。それは、自分の思考が整理されるという面も含めて読者と著者のwinwinの関係があるからです。お金欲しさに記事を書いているわけではありません。それは論文に対しても同様です。しかし、それは出版物にも含まれる性質で、その上で対価も支払われると良いんだろうなと思っています。

きっかけ

Twitterで、学生の研究指導をどうするか、みたいなツイートが流れてきて、「まあ、学費払ってるし、聞かれたら答えるのは必要では。論文読むのも研究の一部だし」とほわーっと思っていた時に、技術記事も見合った対価が得られにくいものの一つだなーと思って書いてみた。
なお、これまでの話では、「無料で提供されるべき」とか「べき」の話をしているのではなく、主観的な価値としての話をしている。

技術記事と論文

私は技術記事と論文に似たところがあると思っている。どちらも、書くときにコスト(お金、時間、手間)が発生するが読まれる時に利益が得られないということである。そして、儲かるのは、この媒体を提供している技術記事であればZennやQiitaなどを運営する会社、論文であれば出版社である。
※ZennやQiita、出版社が儲かっているかは定かではない。別の話であるが。

技術記事や論文を読んだり書いたりしている時に対価について考えたこと

この題を考える前に、まず技術書などの本について考えたい。私は技術書を書店でパラパラめくって、良さそうであれば購入するというフェーズを踏んでいる。人によって異なると思うが、私はこのようにしている。殆ど、お金を払っているのである。ところが技術記事に関しては、一度もお金を払ったことがない。論文についても同様である。ここまでは前置きで、読む側と書く側の立場で考えたい。

読む側の立場

技術記事の場合

技術記事を参考にする場合、一つの記事がクリティカルに自分の役に立つことは少ない。10本読んで1本ぐらいだと思う。多くの場合は、複数の記事からインスピレーションを得て、実装してみて、出来るといったものである。そのため、多くの場合一つの記事に対して対価を払いたいと思ったことはない。複数の記事の読んだ体験で解決したとき、その全体の流れに「あー、これは、著者たちに100円でも払いたいな」と思うことはある。もう、検索して引っかからず、ある特定の記事で解決したときは「あー!!ありがとうございます!本当に、本当に、ありがとうございます!」と思うので500円ぐらい払いたいことがある。その問題で2時間も3時間も詰まるぐらいなら、時給にすると安い。
ところが、別の側面の問題があり、私は今、大学院生(学生)であり、それほど手持ちがないということである。払いたいが現実的に払えない。後述するが、論文や書籍はもっぱら大学の図書館にお世話になっており、本も本当に手元に残しておきたい(絶版になると死ぬ)本を買うようにしている。

論文の場合

論文の場合は、私は、まずAbstractやIntroductionを読み、その論文を読むか決める。私の所属する大学は幸いなことに、多くの論文誌と契約しているため、ほとんど無料で読めるが、有料の場合は、読むか読まないかをAbstractだけで判断しないといけない場合がほとんどだ。でも、いざ読んでみると、Abstractで書いている内容と全然違うだろうというものもある。特に結論がぼやけていたり、結果が不十分だったりする。その時は、読んだことすら後悔することがあり(多くの場合英語論文なので、読むのに相当な労力がかかる)、お金を払っていたら、もう、後悔どころではない。しかし、こちらも10本に1本は、素敵な論文があり、何回でも読み直したいようなものも存在する。その論文に対しては2000円でも払いたくなる。
しかし、こちらも別の側面の問題があり、私が学生でお金がないということである(以下略)。
ところで、ちなみにだが、最近は「オープンアクセス論文」といって、無料で読めるようにしようというものもあるのも添えておく。

書く側の立場

技術記事の場合

私は技術記事を殆ど備忘録として使っている。つまり、未来の自分がもう一度、同じ問題にぶち当たった時に読み返して、再現可能かというところに焦点を当てている。それを公開しているので、基本的には無保証の立場だ。ところが、やはり公開するからには、読んだ方が分かるように書きたいと思うので、図などを豊富に入れているつもりである。さらに、これが自分のためにもなることは言うまでもない。しかし、私はお金を基本的にはもらっていないので、これに多くの時間を費やすのは現実的ではない。したがって、速報として技術記事を書き、ある程度知見がまとまってきたら本という形にするのが良いのではないかと思っている。学術界でいうと技術記事はカンファレンスペーパーで、知見をまとめたもの(本)は学術誌といったことになると思う。
再三になるが、私は今学生でお金がない。検索しても引っかからない知見やノウハウに関しては出来れば、読者から対価をいただきたいと思っている(一応生産してるし)。しかし、読者の都合(学生であるとか、お金がないとか)もあるだろうから、そこを考えるとなんとも言えないなと思う。
ちなみに、客観的に見て(読者、著者関係なく)私は論文に関しても生産物であるので、消費者から対価を得るべきだという立場だ。

論文の場合

論文は仮設を立て、実験し、解析をして、考察し、まとめるといった非常に労力がかかるものである。また、技術記事とは異なり、書く側の責任が大きい。盗用、剽窃、改ざんはもちろん駄目だし、新規性(引用論文との差別化があるかどうか)の保証もデータの解析の公正さも、更には人を対象とする実験ではプライバシーが守られているかなど倫理の問題なども全て著者が責任を負う。その上、著者が多額の費用を払い、論文を出版している事実、また、学会誌の購読料も払っている。論文を出版して入ってくるお金はほぼ皆無である(少なくとも私は聞いたことがない)。
書いている本人としては、生産しているので対価を貰いたい。さらには、これだけ責任を負っているのにも関わらず…というところがある。しかし、一方で「学術的価値」と「経済価値」は異なるので、生産物が必ずしも金銭に直結しているわけではないことを理解しているつもりだし、もっというと売れない製品はたくさんある。新しくものを生み出したからと言って、需要がなければゴミになってしまうことなんて沢山あることも理解しているつもりである。

どこに「対価」に対する問題があるのか

ぐだぐだ書いてきたが、ここで整理したい。結局問題があるのは以下のところだと思う。

技術記事の場合

買う側(読む側)

読んだ技術記事の質が読む時期によって変動する(古いライブラリを使っていたり、もう動かないコードの情報がある)ので、買いにくい。すべて読まないと、自分にとって対価を払うべき内容かが分からない

書く側

沢山の人を助けてるであろう記事を書いても、1円も入ってこない。課題解決の努力ではなく、書く努力をしたのにもかかわらず、その対価が入ってこない。(ちなみに、この記事は書くのに1時間かかっている。最初にalertで書いた通り、ちゃんとデータや引用文献を揃えて建設的に文章を書けば5時間ぐらいはかかるだろう。)

論文の場合

買う側(読む側)

Abstractだけでは、その論文が良い論文か判断できない(試し読みをしないと、本を買わないのと同じ)ので、買うに踏み切れない。その上、小説と異なり百数十から数百(ときには千ぐらい)の論文を読むので、いくらお金があっても足りない。私が主著のカンファレンスペーパーは、学会に加入していなければ$33.00である。つまり100本読めば40万円ぐらいかかる計算である。

書く側

買ってでも読みたい論文を書いた著者に印税が無い。

じゃあ、どうすればいいか(技術記事の場合)

僕が提案するのは

  1. 記事に広告をつけ、読まれた数に応じて利益を0.1円でも配分する
  2. 記事に広告をつけ、引用された数に応じて、利益を配分する
  3. Zennを使って、無料で記事を書くのと同じぐらい、役に立った記事にお金を積極的に払うという新しい流れを作っていく(Zennが環境を用意してくれているのなら、流れを作るのは私達だ)

の3つ。
1と2は、見られるだけ、引用されるだけお金が著者に入るというので良いように聞こえるが、不必要な引用や閲覧が招く不具合もあり、ハッカーにとって健全な文化が失われる可能性がある。
書きながら結局、今、僕たちが出来ることは3番の積極的な対価の支払いなんだろうなと思う。
ということで、200円でも良いから、私は、今日から、積極的に、参考になった記事に払っていこうと思います(決意表明)。

結論

「本当に、ありがとうございます!」という記事には、積極的に自分が思う対価を払っていくしか、今のところ出来なさそう。

これから

本と技術記事、論文は何が違うのか、なぜ後者は金銭が回らないのかと言うのは考え続けたいなと思う。
ちなみにだが、論文は、その理論を保証されているものではないと承知している。つまり、科学の発展は論文によって報告されたものが、多数の研究者によって再現されて初めて、私達が工学技術として使えるレベルになると理解しているので、そういう意味では、本と違うところもあるだろうなと思うが、本に不確定な「仮説」レベルのことを書いてはいけないルールもない(この辺りについては別で書こうと思う)。

最後にどうしても言いたいこと

この記事に対価が払われるとわかれば、私も沢山本を読んでデータを揃えて建設的に文章を書いて、校正もしてという作業(つまり、ライターがしている作業)が出来るようになると思う。
一方で、「いい記事を書いたから対価が支払われる」というのも事実だと思う。つまり、先に行った文句を言う前に5時間だろうが8時間だろうが時間をかけて文章を書け、結果はあとからついてくるという考えだ。
その上で、最後にどうしても言いたいことは、この記事が不完全であることは承知しており、職業エンジニアでもプロの研究者でもない私がいうのも大変恐縮であるが、この記事が、皆様の中での「問題として」つまり問になってくれることとなり、積極的な議論を生むきっかけになってくれれば、幸いである
プロや専門家ではない私ができることは、「これってどうなんでしょう?」と問いを投げかけることぐらいだと思っているので、そういう意味で書きました。
至らない点や議論があれば、是非、コメントをお願い致します。

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