(理論物理学において)数値計算はなぜ必要なのか
物理学の目的の1つは、少ない原理と少ないデータから未来を予測することです、これは「予言」としばしば呼ばれます。
物理学において、たとえ原理を微分方程式として書けても、初期条件から将来の状態を計算できなければ予測・予言にはなりません。つまり単に「法則を立てる(式を立てる)」だけでなく、「条件を与えて解いて量を出す」ところまで行って初めて物理学として意味がある、ということも出来ると思います(すこし言いすぎですが)。
1. 解析解はすばらしい
たとえば調和振動子は解析解があり、運動を式として表すことができます。自由落下や斜方投射も、空気抵抗を無視すれば同じく手で解くことができます。ラプラスが述べたように、微分方程式を解けるなら、初期条件から未来永劫に「いつどこにあるか」を追跡できる、という話になります。問題は、現実的には大体の問題が解析的に解けない点にあります。
2. 非情にも現実はもっと複雑である
現実はもっと複雑です。例えば摩擦、空気抵抗、非線形なバネ、時間依存の外力を入れると、方程式は書けても解析的に解けないのが普通になります。多体に進むとさらに厳しく、ラグランジュ点のような例外はあっても、任意の初期条件に対する一般式は期待できません。そうなってくると摂動法などの近似が活躍しますが、典型的には誤差の見積もりが状況依存で、どこまで信じてよいかが自明ではありません。そこで、誤差を点検できる方法が必要になってくるわけです。
3. 数値計算は精度がわかる近似である
微分方程式の数値積分では、刻み幅
また、流体力学は偏微分方程式で書けますが、境界条件と乱流が絡むと解析解はほぼ期待できません。航空機まわりの流れのように設計に直結する問題では、数値流体力学として解き、揚力や抗力を定量化するのが標準的な流れになります。さらに血液や高分子溶液のような非ニュートン流体では、非線形性が支配的になり、手計算だけで一般論を押し切るのは難しくなります。ここでも数値計算を用いると「予言」を行うことができ、精度も評価することができます。
4. 量子力学は難しい
量子力学ではシュレーディンガー方程式を解いて、エネルギー準位や波動関数を求めます。解析的に解けるポテンシャルは限られるので、一般には数値的に固有値問題へ落として解きます。一方で変分法は強い味方で、変分の枠組みで基底関数を増やしていくやり方は、そのまま数値計算の収束確認にもつながり、現実的な系へ進む足がかりになります。
場の理論では自由場を除くと、相互作用を含む系を解析的に完全に解ける例は多くありません。通常、非摂動の物理量を定量的に得るためには、格子化しモンテカルロ法などで期待値を評価して、格子間隔や体積の極限を取っていきます(格子QCDや格子場の理論)。ここで大事なのは「数値計算で出てきた数値」をそのまま信じるのではなく、系統誤差を分けて見積もることです。それにより定量的な「予言」が可能になります。
5. 数値計算はダメなのか、本質的なのか
大学生や大学院生がかかりがちな「解析解以外はかっこ悪い」「手で解けないのは賢さが足りない」という気分には、分かりやすい魅力があります。解析解は一般性と見通しを与え、式変形の中で対称性や保存則が出てくる瞬間は、たしかに物理学の気持ちのいいポイントです。けれども、その美学をそのまま「解析解だけが物理」という規範にしてしまうと、自然の難しさを過度に単純化して捉えてしまいます。
高名な理論物理学であるエドワード・ウィッテンは、ミューオンの磁気モーメントをめぐる精密な比較に触れ、「標準模型との不一致が本物かどうか」を明らかにするために、ハドロン寄与の格子QCDによる数値的な見積もりを改善することが重要だと言っています。ここでの数値計算は「解けないから仕方なく」ではなく、理論予言の不確かさを下げ、実験が示すズレの意味を判定するための鍵として位置づけられています。
数値計算がダメになるのはブラックボックスとして誤差評価や検証を怠ったときです。きちんと誤差評価を行うのであれば、理論的予言を完成するのに本質的に重要となると言えます。もっというと、自然は複雑なので、様々な手法でパッチワーク的に理解をしていく、というのが良い姿勢だと思います。また、数値くりこみ群による近藤効果の計算や、ロングタイムテール則の発見など、数値計算が本質的に重要だった研究も多々あります。
6. まとめ
この世の中は手で解ける問題以外にも解くべき問題が山積みであり、面白い問題・重要な問題・現実に近い問題のほとんどは手で解けません。解析解は見通しを与えますが、数値計算は誤差を点検しながら予測を定量化する手助けをします。手法を「本物」、「偽物」と切り分けるより、行き来して、なにがしかの「予言」を行うほうが、物理学の最終目的に到達しやすいのではないでしょうか。
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