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LLMで書くエッセイ連載vol.2「犬の道を行け。」

2025/02/07に公開

仕事における思考法と実践手法を明快に整理してくれる代表的な名著として、安宅和人『イシューからはじめよ』が挙げられる。コンサルタントのために書かれた再現性のある仕事論であり、私も新人コンサルタントの頃に読んで、たいへん刺激を受けた。効率性と生産性の追求が至上命題となっている現代社会において、イシューにフォーカスすることはクールに成果を上げるための公理となっている。「イシューからはじめること」は、仕事という場で発生するあらゆる物事を効率性と合理性の観点から徹底的に整理し、ゴールを定義し、リソースを最適に配分し、プロジェクトをスタートさせることで、プロジェクトの成功率とコンサルタントの生存率を高める方法論であり、それはたしかに仕事を進めるうえでは必要な思考ツールであると言える。読まないよりは読んでおいたほうがいいし、実践しないよりは実践したほうがいい。イシューからはじめる。それはコンサルタントと名のつくあらゆる職業人に期待される基本所作であるには違いない。

しかし、ここには重大な落とし穴が存在する。それは、イシューからはじめることが、人生そのものにおける銀の弾丸のように扱われることで、イシュー以外の潜在的な可能性全体を包含する「偶然性の豊かさ」が損なわれうるということだ。特にキャリア形成の初期段階にある若い学生や新人プロフェッショナルが、「イシューからはじめよ」という強力な助言に出会うと、それを単なる仕事論としてではなく、キャリア全体の生存戦略として包括的に捉えてしまうことがあるからだ。もちろん、時間もエネルギーも限られた環境で、重要な課題を鋭く絞り込み、それに一点集中するのは魅力的だ。しかし、この「効率性至上のモード」に常に囚われてしまうと、人間に本来備わっている偶然性の豊かさ、あるいは思わぬ横道で生まれるセレンディピティを逃してしまう可能性がある。

イシューに絞った効率性重視の仕事術とは対照的に、日々の地道な試行錯誤のなかで生まれる偶然性の価値を強調する例として、リチャード・セネットの『クラフツマン』を参照したい。同書の中心命題は「作ることは考えることである」というものであり、登場する職人たちは、確かに日常的な課題(=イシュー)に取り組みながらも、実は同時並行的に膨大な「無駄」に思える試行錯誤を重ねている。ギター職人が素材となる木目を知るために山林を歩き回り、手触りや匂いを身体感覚として蓄えることは、短期的な成果には直接結びつかない。しかし、長期的に見ればそれこそが職人としての深い技術を支える「暗黙知」を形成し、最終的には他の追随を許さないオンリーワンのプロダクトにつながっていく。彼らは歩き、感じ、手を動かし、何度もそれらをやり直すという一連の行為を通して、思考単独では得られない位相の思考を獲得する。つまるところ「無駄」の積み重ねこそが、職人の技を唯一無二のものにするのだ。目に見える成果がすぐには期待できなくても、行為そのものの連続が彼らの思考を深め、完成度を高める。

『イシューからはじめよ』には「犬の道を避けよ」というメッセージも強く打ち出されている。「犬の道」とは、寄り道や無駄が多く、効率的な成果が見えないままひたすら歩き続けるような態度を指す。犬の道にはまり込むと答えの見えない迷路の中でさまようことになり、成果が得られないまま無駄な時間だけが過ぎていく――最後に残るのは徒労感ばかりである、というのが安宅の主張である。しかしながら『クラフツマン』においてセネットが紹介した職人像は、常にイシューへ集中するというよりは、「犬の道」を歩き回って得た雑多な体験を資源に変えているようにも見える。

こうした例は実のところ枚挙にいとまがない。たとえば、エンジニアが専門外の美術史講座を受講した結果、そこから得た構図理論がユーザーインターフェース設計に革新をもたらす。あるいは、建築家が陶芸を趣味として続けたことで、素材への新しい洞察を得る──これらはすべて、あらかじめ明確なイシューがあったわけではなく、むしろ「面白そうだからやってみる」程度の入り口だったことが多い。

スティーブ・ジョブズは大学を中退後、興味の赴くままにインドを旅したり幻覚剤を摂取して日々を過ごしていた。当時の彼は遊んでいるだけのただの無職だと思われていたが、この体験がのちにマッキントッシュの世界観やデザインに影響を与えたことはよく知られている。彼にとってカリグラフィーは明確なイシューではなく、なんとなくおもしろそうと思えたからだった。しかし、結果的にそれがプロダクトデザインにおける美的基準やユーザー体験という思想を変革するきっかけとなった。いわば、当初はただの趣味や興味に過ぎなかったことが、数年後にテクノロジーとビジネス全体を揺るがす革新につながったのだ。このエピソードは、「成果主義」の視点だけでは見落とされかねない、犬の道を歩む価値を鮮やかに示している。ジョブズはイシューに集中していたわけでもなく、もちろんそこには、この経験がいつか役に立つだろうといった打算的な考えもなかった。にもかかわらず、その体験が大きな創造の原動力になった事実は、「無駄こそが豊かな実りを孕む」という逆説を私たちに突きつける。

2005年、ジョブズはスタンフォード大学の卒業式で次のように話している。「未来に先回りして点と点をつなぐことはできない。君たちにできるのは、過去をふり返ってつなげることだけだ。だから、今はばらばらに見える点であっても、将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じ続けていくことが大事なんだ」

情熱のままに何かを突き詰めるということ。その過程で、多くの寄り道に迷い込むこと。そこに計画や効率という概念は介在しにくいし、当初の目的意識も曖昧だ。だが、こうした「犬の道」こそが、最終的には専門の領域を越境する知の転用を生み、真のイノベーションへとつながりうるのである。

では、私たちは常に、どのような条件に置かれていても「犬の道」を歩むべきなのだろうか? いや、必ずしもそうではない。現実の仕事現場では、納期や成果を厳しく要求される局面があり、そのような「ギリギリの場面」ではイシューを定めて一気に突き抜ける集中力が不可欠だからであり、そうした経験から学べることも大きいからだ。むしろ重要なのは、「効率モード」と「犬の道モード」を使い分ける柔軟性であるといえる。切羽詰まったプロジェクトに取り組むときには、アドレナリン全開で重要なイシューを特定し、そこにあらゆるリソースを注ぎ込むことが成果への近道だ。しかし、そのモードが長期にわたって常態化してしまうと、気づかぬうちに思考が硬直化し、「効率優先」「成果優先」という単一の評価軸から抜け出せなくなる。結果、当初は成果を出しやすかった手法が、逆に自分を狭い枠に閉じ込めてしまい、予期せぬアイデアや視点が入り込む余地を失うリスクが高まる。

こうした状況を踏まえると、現実的にはプロジェクトが一段落したタイミングや少し余裕のできた時期に、意識的に「犬の道」へとシフトしてみることが重要なのだと言えるだろう。具体的には、専門領域とは無関係と思える本を読み漁ったり、新しい趣味に手を出したり、これまで関わりの薄かった人々と話す機会を作るといった行動が考えられる。そこで得られる刺激や違和感こそが、次の大きな飛躍の種子になりうる。チクセントミハイの「フロー理論」は、人が深く集中している状態では創造的な発想が生まれやすいと説く。ただし、この「フロー状態」はあくまで既存の目標やスキルの枠内で起こりやすい。もしその枠自体を根底から揺さぶるような発見を望むなら、しばしば既存の文脈から少し離れた世界に身を置く必要がある。いわば「意図的にフローを外す」ことが、新しい刺激や偶然性との出会いを増やすからだ。

現代では「計画された偶然性(Planned Serendipity)」という概念も注目を集めている。これは、一見矛盾した表現だが、要するに「意図して偶然の起こりやすい環境を作る」という考え方だ。カンファレンスや異業種交流会のような「場」をデザインしたり、Googleが実行している「20%ルール(一日のうち20%だけは業務に関係のない個人のプロジェクトをしていてよいというルール)」のように制度として“余裕”を作ったりする試みは、その一環といえる。そこには、もともと「偶然」とは呼べない程度の計画性が含まれているかもしれない。しかし、それでも「偶然」=「予定外の出来事」によって得られるインスピレーションをどれだけ許容できるかが、組織と個人双方の未来を左右するのである。

コンサルタントやエンジニアがキャリアを築くうえで鍵となるのは、「イシューからはじめる効率モード」と、「犬の道を行く拡散モード」とを循環させることだ。たとえば、キャリアの最初の数年は「犬の道」を中心に多様な経験を積み、思いもよらない発見を拾い集める。そのなかで自分の強みや興味が絞り込まれてきたら、中期的にはイシューをはっきり定めて深堀りする。その後、ある程度専門性が成熟したら、再び「犬の道」を意識的に取り戻す──こうしたリズムを繰り返すことが、長期的には最もパフォーマンスを上げ、人間としての幅を広げる戦略となり得る。このサイクルは、ちょうど呼吸のように「吸って(集中)」「吐いて(拡散)」を繰り返す行為にも喩えることができる。常に息を止めたままではいずれ力尽きてしまうが、常に呼気ばかりでも進むべき道を見失いかねない。大切なのは、自分の現在の状況やプロジェクトのフェーズやキャリアの状況を見極めて、適切にモードを切り替えることなのだ。

効率性や最適化だけを追求する「イシュー主義」だけでは、次の時代を切り開く力は不十分だ。むしろ、犬の道を歩み、さまざまな寄り道や失敗、興味からなる摩擦を積極的に歓迎する心構えこそが、人間らしい創造力を育む鍵となる。短期的には無駄に見える試行錯誤も、長期的には大きな価値を生む種となるだろう。

繰り返すが、私たち人間は、アドレナリン全開でイシューを追いかけるモードと、犬の道を悠々と散歩しながら偶然性に身を委ねるモードの両方を自由に行き来できる存在である。いずれか一方に偏りすぎると、短期的な成果は得やすいかもしれないが、長期的な創造性や多面的な成長の機会を失うかもしれない。逆に言えば、両方をバランスよく取り入れることで、想定外の方向から人生のブレークスルーを迎える可能性が飛躍的に高まる。

今後、LLMをはじめとする自動化技術が急速に発達していくなかで、人間が持つ優位性はどこに残るのか。多くの専門家が語るように、それは「多様な領域を越境して新しい文脈を生み出す創造性」や「複雑な課題を解決するために既存の知識を結び合わせる力」だと考えられる。この際、あらゆるデータや情報を効率的に処理して推論するのはLLMの得意分野である。一方で、人間の強みは「役に立つ・立たないは別にして、自分の意識の中を通り抜けた、様々なできごとや視点を結びつける力」だ。そのためには、単なる効率や成果を超えて、「偶然の出会い」を引き寄せる習慣を身につける必要がある。それはGoogleのような巨大企業でも、小さなスタートアップでも同じだ。

もし、あなたが目の前の仕事や今後のキャリアや人生のどこかで行き詰まりを感じたら、あるいはイシューに縛られすぎていると感じたら、「犬の道」へ一歩踏み出してみてはどうだろう。短期的には無駄に見える試行錯誤が、実のところあなたの人生にとって最も深い充実を残すのだから。

kyosuke higuchi with ChatGPT4o and Claude 3.5 Sonnet
(本記事は社内ニュースレターからの転載です)

Accenture Japan (有志)

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