気がついたらファシリテーションに「コーチング」を使っていた
はじめに
この記事は、ファシリテーター Advent Calendar 2025 8日目の記事です。
私は最近、コーチングスクールに通い、その技術体系を一通りさらいました。
そして現場に入って、定例会議に出ている時、ふと気づいたことがあります。
「あ、今の自分、『コーチの帽子』を被って場を回しているな」と。
ファシリテーションとコーチングは、厳密には別の役割だと考えます。
しかし、私は無意識のうちに、時には意図的に、その境界線を越えていました。
そこには、「中立な立場」では対抗できない、現場の難しさがあったからです。
本記事では、私がファシリテーションの中で使っていたコーチング技術と、その裏にある「コスト」や「危険性」について、少しお話しさせてください。
「進行」ではなく「介入」が必要な時
本来、ファシリテーターは中立的な立場であるべきだと思っています。
議論をスムーズにし、その場で必要とされる合意形成へ導く。
それが理想の形のひとつでしょう。
しかし、実際の現場では難しいことがありました。
無意味な定例が習慣として根付いてしまっている集団。
誰も本質的な発言をせず、ただの確認や悩みの発露だけで過ぎていく会議。
議論の質が低く、誰も決定のリスクを負うことができない状態。
私は「やばい」と思いました。
こういった状況において、私が学んでいるレベルでのファシリテーションは無力だと感じることがあります。
そこで私は、「コーチング」という技術に活路を見出しました。
もはや中立的な進行ではありません
停滞した集団への介入 です。
私が使っていた技術は、主に以下の3つでした。
- 感じていることをそのまま言葉にしてフィードバックするスキル
- あえてコストを払わせる質問のスキル
- 時間というリソースを管理するセッション運営のスキル
ログとしての「フィードバック」
コーチングにおけるフィードバックとは、相手を評価したり、褒めたりすることではありません。
「鏡になって、状態をそのまま言葉にする」 ことです。
私は会議中、あえて感情を挟まず、事実だけを口にします。
- 「この議題に入ってから10分間、誰も『事実』について発言していませんね」
- 「A案とB案が出ましたが、結論が出ていないですね」
- 「時間が超過していますが、『延長しよう』も『終わろう』どちらの意思決定されていませんね」
これを言われると、参加者は一瞬、居心地の悪さを感じるかもしれません。
見たくない現実を、言語化して突きつけられるからです。
しかし、コーチとしての私の認知では、攻撃ではありません。
集団の中にあるシステムの状態を、デバッグログとして出力しているに過ぎないと考えています。
その「リアル」を認知して初めて、集団は「じゃあ、どうする?」と考え始めることができるのです。
もしかしたらその集団は、集団ではなく別の何かになるかもしれません。
「コスト」を払わせる質問
私たちは、あるいは会議において、効率を好みます。
だからコミュニケーションにおいても、Yes/Noで答えられる質問や、即答できる確認事項を好む傾向があると思います。
ですが、コーチの帽子を被っている時の私は、あえてコストのかかる質問を投げます。
- 「我々はこの会議のあとにどういう状態でいたいのでしょうか?」
- 「これを可能にするためにどのようなリソースがあるでしょうか?」
- 「この会議が終わったあとにすぐできる行動はなんでしょうか?」
※実際はその場の状況に合わせて、適切な言葉を選びます。
そして、最も強力な質問があります。
「他には?」
当然、コミュニケーションコストはかかります。
「そんな面倒なことを聞くな、早く誰かに決めてもらって終わりたい」という空気を感じることもあります。
それでも問うのは、安易な「How」に飛びついて、後になって「Why」が破綻し、その辻褄合わせだけに浪費する光景を嫌というほど見てきたからです。
ここで思考のコストを払ってもらうことは、将来の欺瞞的な行為と、それにかかるコストを抑制するためだと信じているからです。
もし、このコストを「無駄」だと断じ、それについて対話や議論ができない組織ならば、私はそこに留まることはできないと思っています。
悲しいことに、私のあり方が私の生きづらさを助長しているのです。
「聞く」ことによる場の支配
実は、私が最も危うさを感じているのが、「聞く」というスキルです。
コーチングでは「傾聴」や「アクティブリスニング」と呼ばれますが、これは決して受動的な行為ではありません。
相手の話を深く聞き、頷き、あるいは沈黙を受け入れる。
この時、聞き手としての私は 場を支配 しているとすら感じることがあります。
強い「聞く姿勢」は、話し手の感情を高めることも、鎮めることもできてしまうと感じています。
言葉を発せずとも、その場の雰囲気を作り変えてしまう力があります。
「聞く」ことは、受容でありますが、ときに場に対する強い「作用」となることもあります。ß。
※これは私がその集団において、ある種の権威を持っている場合に限定される話かもしれませんが
これは暴力的な何かだとも思います。
意図的に場をコントロールできてしまうという点において、ファシリテーター(あるいは実質的なリーダー)は、自身の振る舞いに自覚的であるべきだと考えます。
おわりに:無意味な定例を終わらせるために
「あとN分ですけど、どうしましょうか?」
「ここまで話して、何に気づきましたか?」
会議の終わり際にも私は私の中のコーチを降ろし、質問することがあります。
ズルズルと延長せず、その時点での成果、あるいは「成果なし」という事実を確定させるためです。
これらを通じて、ミーティングに参加するメンバーの思考の質や、意思決定の質が上がったと感じています。
特に、思考停止したまま惰性で行なっている定例会議には効果的でした。
ファシリテーションにコーチング技術を持ち込むことは、参加者に「思考の負荷」をかけ、「見たくない現実」を見せることかもしれません。
もし、あなたの組織の会議が形骸化しているなら。
一度、意識的に「コーチの帽子」を被ってみてはいかがでしょうか。
もちろん、それなりの覚悟を持って。
追記
このテーマについて、「なんだシステムコーチング・チームコーチングの話じゃないのか」と思った方もいらっしゃると思います。
私もそう思います。
実は、私自身コーチングを学び始めたのはシステムコーチングに繋げるためでもあります。
今日、ORSCにも登録しました。
これから私は関係性システムに対するコーチングを学んでいこうと考えています。
この記事は「スナップショット」として残しておきたいなと思ったのでした。
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