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自立したエンジニアとはなにか

2023/06/25に公開

自立したエンジニアとは

仕事で、自立とか自走とかいうキーワードが飛び交っていた。冷静に考えるとどういう意味なのかあまり言語化できていなかった。

自立しているエンジニアってなんだろう、ということを考えているうちにこの文書が生まれたのでここに公開する。なお、以下では「エンジニア」と「ソフトウェアエンジニア」を特に区別せずに使う。

なんでも自分でできると思っていた

本題に入る前に、少し昔話をしたい[1]

僕は仕事でコードを書くようになった。2017年くらいのことになる。

学生時代にある程度プログラミングをやっていた僕ではあったが、仕事はコードを書けるだけではできないことがたくさんあることがわかった。

作って欲しいと言われたものを作ることはできた。とにかく仕事を前に進めるためのことを色々とやっていた。

でもセキュリティのこととかよくわからなかった。他にも、Linuxサーバーの操作はできて設定ファイルの編集とかはお手のものだけど、Webサーバーのチューニングはよくわからなかった。

しかしどうやら、自分は評価をされているらしかった。これは僕にとっては非自明なことだった。

「こんなにもできないことがたくさんあるのになぜ僕は評価されているのか?」[2]

自己認識が理由で他者からの評価を受け入れることはできず、ずっとエンジニアとしてまだまだであると思い込み続けていた。

できないことがあることは自然なこと

自己評価が低いのは良いことではない。

いや、あえて言い切ろう。自己評価が低いことは悪いことである。邪悪である。

そもそも、できないことがあるのは自然なことだ。この世界のありとあらゆるどんな個人にも絶対にできないことはある。

Linuxカーネルのデバイスドライバーを開発できて、シェル芸が得意で、テキストエディタのプラグインをメンテナンスし続けていて、パブリッククラウドのリリースノートに一喜一憂し、フロントエンドのアーキテクチャに精通し、スクラムマスターやプロダクトオーナーを担っており、ついでに日本語にも英語にも堪能な人はいない。

断言できる、そんなスーパーマンはいない

確かにこのうちの1つ、2つをひとりでこなす人はいるだろう。しかし3つできる人はこの世に実在するかどうかの時点でけっこう怪しい。

自立とはなにか

さて、できないことがあるのは自然であることはわかった。

ではそもそも「自立」とはどのように定義されるのだろう。漠然と「ひとりでできることが多い人」のように捉えれば、そもそも誰も彼もが自立できていないことになってしまう。

その疑問が氷解したきっかけが何であったのか記憶はない。しかし、あるとき僕に転機が訪れた。

2019年のこと、ひとりでなんでもできるようになろうとするのをやめようと僕は決めた

あとで気づいたことだが、これは自立という概念が僕の中で変化したことを表していた。

唐突だが、エドワード・ロバーツという人がいた。1972年にアメリカで障害者自立生活センター(CIL)を設立し、この施設が障害者の自立支援運動の起点となった。「自立生活運動の父」とも言われている。

彼はこんな言葉を残している。

人の手助けを借りて15分で衣服を着て仕事に出掛けられる人間は、自分で衣服を着るのに2時間かかるために家にいるほかない人間より自立している。

詳しくはCOTENラジオで話されているので興味があれば聞いてみて欲しい、もしくは障害者の自立生活運動について学んでみてほしい。

自立したエンジニアとは

エドワード・ロバーツの言葉はまさに職業としてのソフトウェアエンジニアにも当てはまる。

つまり、「人の手助けを借りて1週間で機能を実装できる開発者は、自力で実装するのに1ヶ月かかる開発者よりも自立している」のである[3]

これを踏まえ僕はいま、自立したエンジニアをこのようにとらえている。

「ソフトウェアエンジニアとして自分にできることとできないことの区別ができ、できることは自分で率先して行い、できないことも人に手助けしてもらいながら進め、自分の知識・知見へと転換できる人」

あなたがエンジニアとしてどのような経験があろうが、あるいはなかろうが、できることをやり、できないことも頑張ってできるようになろうとしている時点であなたはもう自立しているのだ。

おわりに

もしかすると、これを読んでいるあなたはかつての僕のように、自信がなく、自分にはできることがないと、まだまだ未熟でひとりで仕事をするなんてできないと思っているかもしれない。

いくら他人に言われても、そう思うのをやめるのは難しい。これは心の問題で技術で解決できる問題ではないからだ。僕の言葉を読んだだけで何かが変わることもないだろう。むしろ反感さえ抱くかもしれない。

そしてそのままでもまったく構わない。自分がどう思うかは自分の問題だからだ。

でもこれだけは言える。世界はあなたを必要としている。

あわよくば、何ヶ月後かあるいは何年後か。いつになるかわからないけど、あなたが「自分はいつのまにか自立していたのだ」と気づく時。この記事が少しでもその気づきに貢献したら、それ以上の喜びはない。

脚注
  1. まだ30歳なのだが、このところ昔話ばかりしている。 ↩︎

  2. いま思うと捻くれ根性も大概であると思うが、当時は真面目にそう考えていた。 ↩︎

  3. 実際に後者が評価されずに職場を去ることになったエピソードは『エラスティックリーダーシップ』の第1章に書いてある。 ↩︎

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