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具体・抽象トレーニング

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具体とは細かく明確、抽象とは大きく不明瞭

よく「あなたの話は抽象的過ぎてよくわかりません」という話があるが、「具体的過ぎてよくわかりません」という例もある。
例えば、ある会議が終わったときの会話として以下のようなものがある
A:「本は本棚に返して、お皿は食器棚に戻して、椅子と机は倉庫に返して、文房具は総務部に持っていって、飲み物は冷蔵庫に持っていって……」
B:「要は『片付けろ』ってことですね?」

このように片付ける(元にあった場所に戻す)という、全てのものを今ある場所から元にあった場所に戻すという抽象化された単語がありながら、具体的なものを一つずつ指定して、戻していくという言葉の羅列はある種の読みにくさを表している場合がある。

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抽象的すぎる発言
政治家の結局何を言っているかわからない発言
→どのポジションの人からも批判を受けないように、何一つとして具体的なことを言わないようにしている結果何を言っているのかわからなくなる。

具体しかわからない人の行動
言われたことしかできない
→言われたことの裏側などがわからない(抽象化できない)ので、具体的に言われたことしか仕事をすることができない。

つまり重要なのは抽象と具体を言ったり来たりすることで適切なタイミングで適切な行動・発言をすることができる能力。

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問題解決には3パターン存在する。
そのうちいい問題解決は1つ、悪い問題解決は2つある。
悪い問題解決の一つ目は具体→具体
問題の本質的な原因を追求せずに解決してしまう。
例えば、部下がコーディングでバグを発生させてしまった場合、上司がそのバグを直すなどである。これではまた部下がバグを発生させてしまう場合がある。

2つ目の悪い問題解決は抽象→抽象
部下の勤怠が悪い傾向にあるということに対して、勤怠を良い傾向にしてくださいと発信する
上司は具体的なプランを練ることなく、オウム返し的に部下に伝えることで問題解決を部下に委ねてしまっているため、再発する懸念がある。

いい問題解決とは具体→抽象→具体を行き来するパターンで、部下がバグを発生させたときに、原因を考える。原因がコーディング手法だったとすれば(抽象)、本を購入して勉強してもらう(具体)などを実施する。

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人間が他の動物との違う部分は抽象化である。
抽象化を行えるということが、いわゆる認知革命ということであり、他の生物との決定的な差異である。

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認知革命により、人は信仰をし人間関係を結べる様になった。
つまり抽象化こそが人間の人間たらしめる能力である。

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人間の知の発展は以下のような図によって表現できる。

  1. 目の前にある膨大な事象を捉える(データ)
  2. 膨大なデータの中からある一部分を抜き出す(情報)
  3. 情報から意味を見出す(~は~ である)(知識)
  4. 知識を一つに束ねる(法則)
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具体はわかりやすく、抽象はわかりにくい。
数学は会を重ねるにつれて、抽象度があがっていきわかりにくくなるのでついていけない人が多くなる。
マスメディアとはより多くの人にアプローチをするために、わかりやすい表現が重視される。

つまり具体の方が単純で多くの人に理解されやすく、抽象のほうが少ない人数にしか理解されない

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抽象化とは分類をするということ
ある複数のデータを共通ルールで分類することで、まとまった形にすること。
それ自体が抽象化である。

つまり分ける、線を引くということが抽象化ということになる

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抽象化とは都合のいいように切り取るということ
話という膨大な具体の中から特定のいち部分を切り取るということも抽象化である。

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コミュニケーションの齟齬はこの切り取り方の違いによって生じる。
言葉というものはそれ自体が抽象的なのでいかようにも解釈をする事ができる。
これにより、ある人が言っている言葉の定義とある人が言っている言葉の定義が違うということが発生する。
言葉の定義が違うということは話していることが違うと言っても等しいので、結果お互いに何を言っているのかわからないと言う状態になる。

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人間の脳みそは記憶のキャパシティがあると思う
だからこそ膨大な具体を覚えておくことはできない

膨大な具体をどれだけシンプルに抽象化することができるかということで、脳に入れられるキャパシティが決まってくると思う。
要は保存してあるindexがどれだけ多くのこととつながっているかということ。

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問題解決能力とは問題発見能力とも問題解決能力の2つの要素からなる
ある問題が起きたとしてその問題が起きた原因、つまり問題を発見する能力は、起きている事象を抽象化することによって達成される。
抽象化することで問題を定義する。ただこれが正解かどうかはわからない。
その抽象化した問題に対して、一番効果的な問題解決方法を適用する。
これが具体化である。
解決方法も複数存在する。その中で現状のリソースを考えてベストチョイスを決定することができるのも問題解決能力といえる。

つまり問題解決能力とは抽象化と具体化のどちらの能力も同じだけ必要になってくるということである。

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川上と川下、つまり抽象の上流と具体の下流では文化も価値観も違う。
最上流である抽象の頂点は一人の人間が組み立てないと物事が成立しない。
なぜなら使っている言葉や思考が曖昧過ぎて人に説明できるものではないからである。

そこを複数人でやろうものならコミュニケーションコストが膨大に発生してしまう。
人数をかけるのはある程度具体化された部分。言葉やタスクが誰が判断しても一意に特定できるものを汎用的なタスクと呼び、複数人に割り当てることでコストを分割してもオーバーヘッドは発生しない。

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コミュニケーションギャップの根本原因は「私達一人ひとりの経験や知識あるいは思考回路が異なる事によって「違うものを見ているということに気づいていない」」というところにあると言える。

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また見ているところが違うというのは、具体抽象ピラミッドでいう、横の要素と縦の要素の違いによって分かれているといえます。
横の要素というのは情報量、いわゆる知識と経験の差の部分になります。
一方で縦の要素というのは抽象度の差になります。
こちらは先程記述した話の取り出し方の違いでの差になります。

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本質とは

  • シンプル
  • 重要度が高い
  • 目に見えないもの

このことから本質というのは抽象化されたものそのものである。
つまり本質というものを抽象のデメリットから捉えると、本質とはある人にとっての都合良く抜き出したものであるということです。

本質がわかっていないと発言する人がいますが、本質とはその人が都合よく抜き出したものであって実際使われている意味である「真理」のようなものではないということがわかります。

これにより本質が他の人にとっては間違っているということはよくあることであって、本質がわかっていないと言っている人が根本否定されていると思ってしまうのは間違っているということである。

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バカと言う言葉も抽象度が高いので人の数だけバカがいるということになります。
逆にバカという言葉を使うことは自分の視野の狭さが露呈されているということに気づいていないということになります

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このことからわかるのは弁が立つということは恐ろしいパワーになるということです。

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SNS上でのやり取りでコミュニケーションが取れていないケースが多くある。

このようなケースにおいてよくあるのが、最初の発言者が抽象レベルの高いいわゆる「幹」の発言をしているのに対して、反論として枝葉のこんなケースもあるという発言を展開しているケースで、そもそも幹を発言している人間は言い切るタイプの発言が多く、ある程度の枝葉は切り捨てた発言をしています。

その切り捨てられたものから矛盾を拾って枝葉の反論をするわけですから、矛盾が生じますが、そもそも論点が違うので話が噛み合わないといったケースが発生するわけです。

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抽象は都合のいいように切り取ることであるので、どこをどう切り取るかは個々人の自由です。つまりその時点で切り取らなかったところから反論がでるということなど当たり前のことである。

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抽象の話というのは虚構の話です。
にも関わらず反論してしまう人は具体例をあげてしまうのです。

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コミュニケーションギャップの一つに他人のことは汎化、レッテルにより抽象レベルで捉えるが、自分のことは特別視して具体化レベルで捉えるということがある。

そのため他人に対してはあるべき姿という抽象的なものをぶつけて、自分に対してはそうはいってもというような言い訳が成立します。

視点が違うため、一瞬矛盾とも言えるような構図が成り立ちます。

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人間は自分は具体的に見がちで、他人は抽象的に見がちなのです。

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だからこそ他人はより具体的に、自分はより抽象的に見るくらいがちょうどいいバランスになります。

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似ている似ていないの話は具体と抽象で大いに異なる
日本の国旗と韓国の国旗似ていると思いますか?

似ていると答える場合以下の部分が似ています。

  • 大部分が白で真ん中が丸くて赤がある
    逆に似ていないと答える場合は以下の部分が似ていません
  • 韓国国旗は3色で模様のようなものがついている

このように抽象化によって切り取られた部分がどこであるかということで、似ている/似ていないの判断が変わってくるということです。

つまり似ている似ていないは個々人の判断の範疇であり、特に前提条件がない場合は真理のようなものは存在しません。

究極的に抽象化すれば同じ長方形の形をしているため、国旗は「全て似ている」ということになりますし、究極的に具体化すれば全ての国旗は違うので似ていないとも言えます。

つまり感想の域を出ていないということです。

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仕事において上司から部下にタスクを割り振るときに、そのタスクの振り方と部下の期待値がうまくいったときに、仕事がうまくいく。
例えば、部下側が何もわからないときに上司がタスクを抽象的に振ると部下は丸投げされたとおもう。
また、部下がある程度自分の力でやりたいと思ったときに、上司がタスクをかなり具体的に渡したとき部下のやる気が失われてしまう。

このように依頼側と被依頼側の期待値がずれたときにコミュニケーションギャップが発生し、関係が悪くなってしまう。
大事なのは期待値調整。蜜にコミュニケーションをとってお互いの認識を合わせておくことで円満な関係を構築することができる。

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ここから見えるのはプロの仕事というもので、お客様の抽象度の高い依頼を自分の業務知識を持ってどこまで想定している着地点に持っていくことができるかということです。
「いい感じにお願い」という依頼から自分の感性を使って「これだよ、これ!」というものを提供できるかどうかというのがプロの仕事と言えます

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二項対立というものに対して、世の中はそんなに簡単に分けられるものではないということを言う人がいるが、そんなものは百も承知である。

二項対立における簡単に分けられないものとは抽象的な概念である。
例えば「きのこの山かたけのこの里のどちらが好きか」などの二項対立はこれ以上分けられない具体であるが、「世の中にはモテる人間とモテない人間の二種類がいる」となれば、じゃあ今彼女がいる人間はどうするんだとか、何回告白されたらモテるに入るのかみたいなグレーゾーンからの反論が出る。

しかしそもそもモテる人間とモテない人間という抽象度の高い言葉は、発言者が都合良く切り取った抽象表現であると同時に、ある程度の定義は発言者の中で振り分けられているので、「一回告白された時点ではモテる人間とは言い難い」みたいな反論は、抽象というものは意味が個々人に依存すると言う意味で、全くお門違いの発言になってしまうということである。

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このように二項対立のような抽象度の高い言葉を使うときには、必ず前提を揃えた状態で議論をしないと行けないそうしないと、コミュニケーションギャップが発生して、時間を無駄にしてしまったり、ストレスが発生する

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DoubRing
言葉というのは切り取り方の連続でできている。
その切り取り方の関係性を図で表したものが以下の図になる。

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新しい概念を昔の概念とのDumbringで考えることで、新しい概念の潜在的可能性を紡いでしまう可能性がある。

  • 職場の多様性を高めなければならないと外国人社員を採用してみたものの、「日本語の能力」という旧来の物差しで評価するために、「使えない」という評価になってしまう。
  • 「知識より考える力を」と採用した教育(例えばいわゆる「ゆとり教育」等)で育った人たちに対して、「そんな基本的なことも知らないのか」と知識の尺度でダメだしをしてしまう

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新しいものを古いものと比較するのではなく、新しいものは新しいものとして捉える事が大事

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量と質はトレードオフ関係にある。
ラーメン屋があるとして、そのラーメン屋を拡大する上で取りうる手段として、暖簾分けというものがある。
あるラーメン屋で修行したものが、店長から免許皆伝をもらってそのまま2号店の店長になるというやりかたである。

この方法だとが担保された分店であることは保証されるが、支店展開のスピードが遅いというものがある。
そこでラーメン屋の弟子として入らなくても、フランチャイズ化などを使って支店を増やすこともできる。
その場合、ラーメン屋としての味は直接の弟子と比べたら落ちてしまうが、ラーメン屋の支店展開は速くなる。

これがラーメン屋展開における量と質のトレードオフである。

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同じようなことが、会社にも言える。
会社で生え抜きでやってきたエンジニアがリソースが足りなくなったことをきっかけに、新しい従業員を雇うとする。このとき仕事を上司が全部やるというところから、部下にタスクを依頼するという方向にシフトしていく。
これにより上司が一人でやってきたときよりも質が落ちるが、その代わり上司の手が空くことで他のタスクをこなすことができるという、いわゆる量の増加が発生する。
また、これを外部に委託するなどをすることにより、質と量のトレードオフがより広がる。

これはいわゆる好みの問題でどちらが正しいと言うわけではない。

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第一印象が良いというのは、一見いいことのように思われるが、メリデメが存在するものである。
人は変化に敏感である。お菓子が値上げされていたりすると顕著に買わなくなったりする傾向がある。

そのため、第一印象が良すぎると相手の期待値が高くなりすぎるあまり、第二印象が下がりすぎる傾向にある。
逆に第一印象があまりよくないと、仕事をしていくうちに高感度がよくなって、フリーランスなどであれば継続して仕事を取ることができるといったようなことができるようになる場合がある。

なので、必ずしも第一印象が良いからと言って全てがよくなるというわけではない。

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ジェネラリストとスペシャリストの違い
ジェネラリストは器用貧乏、スペシャリストは専門家的なイメージがありますが、具体抽象ピラミッドから見てみると、視点が変わってくる。
スペシャリストはより具体、ジェネラリストは抽象の部分を主として担当していると考えると
より抽象(上流)的な仕事をしているだけであって、専門性が無いというわけではないという考えにもなり得る。
スペシャリスト > ジェネラリスト的なイメージが払拭できる

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具体抽象の考え方を自分の中に適用するには座標軸をもつことが大事
ある問題が起きたときに、それを具体抽象という軸で考えることで、どういう問題があるのかという問題発見能力を補助する事ができる。

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コミュケーションギャップにおける解決方法

コミュケーションギャップが起きるのは先に述べた、「相手と自分の言葉の本当の意味が違うということ」である。同じ言葉を使っていてもその言葉を「どう都合よく切り取ったのか」という前提をお互いが理解していないと、それによりコミュニケーションギャップが生まれてしまう。

そもそも言葉というのは「都合よく切り取ったもの」という具体抽象の概念がわかっていないとなぜコミュニケーションギャップが生まれているかがわからない。

そのため、ギャップが生まれたときにその前提の「どのような条件下で」「どのような目的で」と言うところを明確にすることが大事。

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とりあえずお互いに言っていることが噛み合わないな、と思ったときには、前提と目的をしゃべることが重要である。

このスクラップは2021/12/07にクローズされました