📑

学問不要論から古典を擁護する方法を考える

2024/03/02に公開

1. 概要

Twitterでは,受験シーズンに特定の学問が不要であるという議論が起こる.今回,特に目立ったのが「古典不要論」であった.
議論(と言うほどのものでもないが)では,古典は日常生活では使わないため不要という意見や「国破れてサンガリア」などのネタを理解するために必要などという意見が見られた.

そこで,文部科学省が出している指導要綱から,古典学習の意図を調査し,考察をした.結局,古典が必要層である理由は,

  • グローバル化が進む現代において,日本人としてのアイデンティティを持ちながら関係を深めるため
  • 他者との関わりにおいて,伝え方や受け取り方を育成する
  • 日本の言語文化の担い手としての意識を醸成するため

と考える.また,他の学問についても主観で必要性を論じた.

2. 序論

2.1. 背景

Twitterでは,受験シーズンになると特定の学問が不要であるか否かという議論が起こる.よく例として挙がるのは,「古典,数学」である.
さて,私は工学系の大学院にいたので,数学(三角関数)と毎日触れ合って生きてきた.そのため,数学が不要な訳がないという立場であった.つまり,基本的には「いずれの学問も必要」という立場である.

今回の議論の発端は,カンニング竹山氏の「古典が役立ったことがない」という発言からだと思われる.
https://news.yahoo.co.jp/articles/75d63018a6b80d473d431dfb115215d18b6fb2cc

私の前述した立場から,古典も何かしらの目的・目標があって学びの機会が用意されているのであろうと考えた.そして,おそらく有識者がコメントを書き込んでいるだろうと,少しサーフィンしてみたが,あまり納得のいくコメントは見かけなかった.
見つかった意見と言えば,『古典は日常生活では使わないため不要』という意見や『「国破れてサンガリア」などのネタを理解するために必要』などという意見であった.
あまり納得がいかず,このままだと短絡的に「古典が不要なのかもしれない」と思いそうであったので,簡単に調べることにした.

2.1. 対象読者 / 適用範囲

  • 古典を学ぶ意義を確認したい方
  • 教師の方
  • 学問が不要だと思っている方

2.2. 目的

  • 古典・漢文を学ぶ目的・目標を調査する
  • 他の学問についても,学ぶ目的を考え,まとめる

2.3. 仮定 / 環境

  • 私は教育関係者ではないので,浅い素人意見になります
  • 自分は数学・物理が好きな人なので,日本においてはマイノリティな部類の人の意見かもしれません

2.4. 略語 / 用語

N/A

2.5. キーワード

古典不要,数学不要,学習指導要綱

3. 古文・漢文を擁護する

3.1. 現状

  • 「古典,数学」は不要と考える人がいる
  • 普段生活していて,「古文・漢文」を使う機会はほぼない
  • 一方、数学は,ほぼ毎日触れ合っている
  • 数学がなければ,建築もITも車や衛星の開発もできない
  • しかし,私は数学の必要性は論じられるのに,古典の必要性については多くを述べることができない

3.2. 問題と考える点

  • 学問不要論では,「普段使わない」=「その学問は不要」と考えている
  • この即効性が学問の必要性を決めているわけではないと頭の中では思っているのに,古典の必要性を語ろうとすると沈黙してしまう

3.3. 擁護する方法

  • 高校で古典を習ったということは,文科省がその理由を考え抜いているはず
  • そして,その考えを「教師」に伝えるために,文書として纏める必要があり,それは一般公開されているであろう
  • そういうことで,学習指導要綱をCheck

4. 先行事例 / 具体例

N/A(割愛)

5. 学習指導要綱の確認

確認したら,私の高校時代とまるで違ってびっくりしました.2022年度から新学習指導要領となっていて,科目も古典Aや古典Bが消えていた.
改訂において特に注目したのは,指導要綱 [1] からの引用で

「生きる力」をより具体化し,教育課程全体を通して育成を目指す資質・能力を,ア「何を理解しているか,何ができるか(生きて働く「知識・技能」の習得)」,イ 「理解していること・できることをどう使うか(未知の状況にも対応できる「思考力・判 断力・表現力等」の育成)」,ウ「どのように社会・世界と関わり,よりよい人生を送るか (学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向かう力・人間性等」の涵養)」の三つの柱に整理

という部分であった.何となく,より実用的になっている気がする(生きる力について注目されているから当然ではあるが).

さて,古典についてだけ見ようと思ってみていたのだが,もはや国語の構成が大きく変わっていた.特に,現在の共通科目は,「現代の国語」と「言語文化」である.そして,選択として4つほどあるなかに,「古典探求」というものがあるようであった.この国語の科目の別れ方からも,古典の立ち位置がより明示化されている気がする.指導要綱[1]では,

「言語文化」については,主として「古典の学習について,日本人として大切にしてきた言語文化を積極的に享受して社会や自分との関わりの中でそれらを生かしていくという観点が弱く,学習意欲が高まらない」という課題を踏まえ,特にこうした課題が, 古典を含む我が国の言語文化への理解と関係が深いことを考慮し,上代から近現代に受け 継がれてきた我が国の言語文化への理解を深める科目

と書かれているように,文化の探求という部分が強調されているように感じる.ただ,選択の「古典研究」を取らなければ,古典の意義や価値を探求することは難しそうである印象を受けた.なお,これは探求であるので,

(なお,近年は,探求,主体性などの言葉を多く聞くようになった.高校企業家教育などしてきたが,より主体的に,考えて動ける人材を国として育成したいようにみえる.)

指導要綱[1:1]のP.15,16には,古典を学ぶであろう科目の「言語文化」の要点が記載されている.基本的には,我が国の言語文化への理解を深めることに主眼を置いているようである.

さて,古典の意義や目標を見る前に,国語化としての内容についても見ておく.国語科の内容は,①知識及び技能と②思考力,判断力,表現力等から構成されているようである.

①については,指導要綱としては以下の3事項で成り立っているようである.

〔知識及び技能〕の内容は,
「(1)言葉の特徴や使い方に関する事項」,
「(2)情報の扱い方 に関する事項」,
「(3)我が国の言語文化に関する事項」の3事項を基本的な構成

また,②は,指導要綱から以下の3領域で成り立っているようである.

〔思考力,判断力,表現力等〕の内容は,
「話すこと・聞くこと」,
「書くこと」及び
「読むこと」
からなる3領域の構成

古典は国語科の内容に内包されていることから,古典もこれらの項目から考える必要がありそうである.

さて,古典を取り扱う(であろう)「言語文化」についてみていく.

(関係ない話をするが,学習指導要綱の見出しで,「性格」というものがあるが,あまり見慣れない表現で面白い.数学や物理では,「この数式の気持ちは...」などということがあるが,それと似たものを感じる.)

言語文化の性格をみてみると,

  • 急速なグローバル化により異なる国や文化との関わりが日常的に.
  • 国際社会において,日本人としてのアイデンティティを認識する必要がある.
  • 伝統と文化を尊重し,豊かな感性や情緒を養うことで,日本の言語文化に対する知識を身に着け,それを活用する資質・能力を育成する.

といった内容であった.この内容は納得できるものであった.そして同時に自分にその資質・能力が欠乏していないか不安になった.最近英語を再び勉強していて,言語は論理的なものではなく,その時代の人たちに最適化するものに思えてきた.この意味では,古典というのは昔の日本を知ることが出来るツールであると感じた.

(また余談を挟むが,この記事を書く前,古典を通して昔の日本を学ぶ必要はないのではないかと考えていた.昔を知る手段は,日本史や世界史,倫理など様々存在する.古文も漢文も,現代語に訳したモノを読めば十分であると考えていた.)

さて,次は本記事の目的でもある,目標についてである.指導要綱[1:2]には以下のように記載されている.

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1) 生涯にわたる社会生活に必要な国語の知識や技能を身に付けるとともに,我が国の言語文化に対する理解を深めることができるようにする。
(2) 論理的に考える力や深く共感したり豊かに想像したりする力を伸ばし,他者との関わりの中で伝え合う力を高め,自分の思いや考えを広げたり深めたりすることができるようにする。
(3) 言葉がもつ価値への認識を深めるとともに,生涯にわたって読書に親しみ自己を向上させ,我が国の言語文化の担い手としての自覚をもち,言葉を通して他者や社会に関わろうとする態度を養う。

この文言を見たときに,自分の言語に対する知識不足や検討不足を実感した.この目標は,今の自分では立てることは出来ないものだと思った.

おそらく自分では,この目標についてすべてを理解することは難しいが,3つの目標についてそれぞれ考えてみる.

目標(1)は,そのままで「知識及び技能」を学ぶための目標であると思う.この生涯にわたるという文言については,私にとっては少し引っかかるものである.なぜなら生涯において,古典を使う機会がそこまでないと思うからである.しかし,おそらくそういう直接的な事柄ではなくて,日本人としての感受性を豊かにすることで,人と関わることをより円滑にするといった間接的な役割を果たしてくれるという意味も含まれているのではないかと思った.社会が人で構成(コミュニケーションで構成?)されている以上,日本人としてのアイデンティティを持つために必要な知識なのかもしれないという解釈をした.

目標(2)は,論理的に考える力という部分がよく理解できなかったが(中学校教育の内容を引き継いでいるため,この表現になっているようである),他の部分については(1)と同様,コミュニケーションにおいて重要であるという印象を受けた.補足の中で,他者という言葉を出していて,世代や立場,文化的背景などを異にする多様な相手のこととしている.(余談だが,この文言をみて,イノベーションについて思い出した.背景が異なる人が親和性を持つとイノベーションが起きやすいといった内容の論文があった.)日本のアイデンティティを失わないようしつつ,対話をするためには必要なのだと感じた.(余談:似たような経験として,他の地域にいったときに,地元の紹介をする機会に詰まるという経験をしたことがある.)

目標(3)は,今回の議論に対しての回答になるのではないかと思った.言葉が持つ価値については,まだ自分は理解しきれていないが,時代を映すモノとしての意味合いもあるのではないかと考えるようになってきた.歴史を学ぶことは,失敗学的にも,教養としても,価値があると思っている.歴史ではイベント(出来事)を学ぶが,そこに言葉という観点を付け加えるとより理解が進むのかもしれない(ラテン語的な感じ?思えば,ラテン語などは学びたいなぁと思っていた時期があった).おそらく大事なのは,言語文化の担い手としての自覚の部分であると思う.少し違うかもしれないが,日本語を未来へと継承するために必要なのではないかとも思った.とても浅い考えしか持っていないが,言葉は文化である.理系用の専門書などでも,母国語で学べるのはとても有難いと感じてきた.おそらく和訳した方は,単に単語を日本語に変換しただけでなく,背景知識なども踏まえた上で言葉を直しているのだと思う.そういう観点から,昔の言葉と今の言葉を学び,次の時代を生きることで,文化を継承しつつ日本語を最適化していく(変化させていく)のではないかと思った.

学習指導要綱を読むことで,古典を学ぶ必要性を感じ取れた.少し好意的な解釈をしすぎた気もするが,高等教育で学ぶことの意義は伝わったのではないかと思う.

この章の終わり方としては良くない気がするが,高校時代について少し振り返る.古典の内容はだいたい有難い教訓系の話か恋愛系の話が多かった.そのため,共通テスト(センター試験)で点を取ることだけ考えたら,文法と単語を覚えるだけでよかった(これで古典に関してはほぼ満点だった).理系科目が配点が高いうえ,理系科目の方が圧倒的に面白かったため,古典に割く時間はほとんどなかった.その意味では,古典を必要だと感じるほどの余裕はなかったように思える.しかも,その後大学では古典と触れることはほぼないため,学ぶ機会を失ったという感覚もある.こんな記事を書いておいて,古文を学びなおす機会はいまのところないため,少しでも古典の知識が本記事などの表現にも生かされていることを願うばかりである.(国破れて山河あり,ようよう白くなりゆく山際,その声はわが友李徴子でないか,などなどボケるための知識しか覚えていない気もするが...)

6. 他の学問について

大学院を修了したため,この立場から他の学問についての必要性について少し考えてみる.こちらも浅い考えなので参考程度にしていただきたい.

6.1. 数学

数学の知識は物理の知識に繋がっている.私は機械工学の人間であるが,微分方程式を解かなければ,梁のたわみも,熱の伝達も,流速も,振動も求めることが出来ない.三角関数がなければ,フーリエ変換できず,画像処理も音声処理も大変であろう.全員が使える必要はないが,使える人がいてこそ現代社会は成りたつ(狩猟社会でもそれなりに役立つとは思うが).

後はおそらく,論理的思考力を鍛えられることが重要だと思う.定義して,定理を証明するなど,国語という科目以上に国語を学べる.

6.2. 歴史

失敗学として自分は見ているが,科学的な要素もあるし,政治的な要素もあるし,地理学的な要素もある.年齢を重ねるごとに,教養として学びたくなる.社会で生きるために必要である.「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というように,過去の他者がやったことを学んでそれを活かせるという意味で,実用的な部分もある.(余談だが,コテンラジオなど面白いし,自分の周りでも流行っている)

6.3. 倫理

多くの人の考え方を学べる.自分が好きなのはデカルトの方法序説などである(ある種のロジカルシンキング本とみている).現役時代にも面白くてハマっていた.唯一,高校時代の参考書が残っている.必要性を聞かれると明確な答えは持ちえないと気付いたが,自己啓発として倫理を学ぶとよい気がしている(というか,内容の薄い自己啓発本をたくさん読むよりは倫理を学ぶ方がいいと思っている).

7. 結論

7.1. まとめ

世の中で,数学・古典は不要という議論を見たときに,学問は必要であると考えていた立場の自分が「数学は必要」で「古典は不要かも」と思ってしまった自己矛盾を解決するために,古典の必要性を考えた.

考察した結果,古典が必要層である理由は,

グローバル化が進む現代において,日本人としてのアイデンティティを持ちながら関係を深めるため

他者との関わりにおいて,伝え方や受け取り方を育成する

日本の言語文化の担い手としての意識を醸成するため

と考えた.また,高校で学ぶ学問で不要だと言われそうな学問についても言及した.

何となくまとめると,「短期的には不要でも,長期的には必要な科目」であると思った(長期的な最適化).

7.2. 展望

実用性のみを求める風潮の中で,長期的にみて有用なことを学べるように生活していきたいものです.

7.3. その他

自分の勉強の一環として,作成しました.レポートみたいになってすみません.
なお、比較のため、noteにも同じ文章を掲載しています。
https://note.com/hattoriofpigeon/n/nc3e5e387b2d1

8. 参考文献

脚注
  1. 文部科学省,”高等学校学習指導要領(平成 30 年告示)解説 国語編”,https://www.mext.go.jp/content/20210909-mxt_kyoiku01-100002620_02.pdf ↩︎ ↩︎ ↩︎

GitHubで編集を提案

Discussion