オートバイの安定性解析は1970年ごろから独自の進化を遂げており、自転車の解析とはほぼ無関係に開発が進められました。
オートバイの高出力化と低価格化に伴い、高速・高性能なオートバイが普及した一方で、高速化に伴う異常挙動への対策が必要とされるようになってきました。ちょうどその頃コンピュータも普及しはじめ、自動車や航空の分野では車両運動解析が始まっており、二輪車の分野ではSharpによって発表されたモデルが先駆けとなりました。
SharpのモデルはWhippleの自転車モデルと基本的な構造はほぼ同じですが、タイヤの扱い方が異なり、現実に即してタイヤの横滑りに比例して力を発生するモデルとなっています。更に緩和長と呼ばれるタイヤの横滑りに対して力の発生が遅れる特性もモデルに組み込むことで、ウォブルモードというステアリング系が単独で振動する現象を再現することができるようになりました。
また、自転車モデルのところで紹介した、ウィーブモードやキャプサイズモードという名称はこの論文で初めて提唱されたもので、オートバイの安定性解析のバイブル的な存在となっています。
Sharpの4自由度モデル概要
基本的な構成はWhippleの自転車モデルと同様ですが、車輪は回転軸まわりの慣性モーメントのみでモデル化されており、それ以外の質量と慣性モーメントは後輪はリアフレームと、前輪はフロントフォークと一体化された2剛体モデルとなっています。
座標系の原点は、直立状態でリアフレーム重心から地面におろした垂線の交点(図の点A)としており、車両諸元の定義は以下の図に示すようになっています。また、一般化座標についてはWhippleの自転車モデルと同様ですが、原点の位置として後輪接地点P(x_P, y_P, z_P)の代わりに点A(x_1, y_1, z_1)を使用します。

拘束条件
タイヤと路面との拘束条件についても、常に接触していること(z_1=0, \;\theta\approx 0)と前後方向には滑らない(\dot{x}_1 = R_r\dot{\theta}_r \approx R_f\dot{\theta}_f)という条件は同様ですが、後述するように横方向については横滑り角に比例して力を発生する線形タイヤモデルを採用しています。
自由度と運動方程式
Whippleの自転車モデルと同様に車速は一定で、\dot{x}_1 = vとすると、車両の運動方程式はy_1(横変位)、 \psi(ヨー角)、 \phi(ロール角)、 \delta(舵角)の4自由度で表すことができます。論文のAPPENDIX 1に運動方程式が記載されていますが、Whippleの自転車モデルと同様に整理すると、次のように表すことができます。
\bold{M}\ddot{\bm{q}} + (v\bold{C_1} + \bold{C_0})\dot{\bm{q}} + g\bold{K}\bm{q} + \bold{L}\bm{Y} = \bold{B_0}\tau
行列が示す方程式は1行目から順に、横、ヨー、ロール、操舵の運動方程式を表していて、\bm{q}=[y_1\ \psi\ \phi\ \delta]^Tとします。また、\bm{Y}=[Y_f\ Y_r]^Tは前後輪のタイヤ横力、\tauは操舵トルクを表し、\bold{B_0}=[0\ 0\ 0\ 1]^Tとなります。
\bold{M},\ \bold{C_1},\ \bold{C_0},\ \bold{K},\ \bold{L}は設計諸元によって決まる定数行列で、詳細は後述します。
設計諸元
Sharpの論文および図に記載されている設計諸元は以下の通りです。
| 記号 |
内容 |
値 |
| M_f |
フロントアセンブリ(操舵系)質量 |
2.1 slug |
| M_r |
リアアセンブリ(ライダーを含む)質量 |
14.9 slug |
| Z_f |
前輪分担荷重 |
-226 lb |
| I_{rx} |
リアアセンブリ慣性モーメント(重心まわりX_1軸方向) |
23 slug\cdotft^2
|
| I_{rz} |
リアアセンブリ慣性モーメント(重心まわりZ_1軸方向) |
15.54 slug\cdotft^2
|
| C_{rzx} |
リアアセンブリ慣性乗積(重心まわりX_1-Z_1軸間) |
1.28 slug\cdotft^2
|
| I_{fx} |
操舵系慣性モーメント(重心まわりX_4軸方向) |
0.91 slug\cdotft^2
|
| I_{fr} |
操舵系慣性モーメント(重心まわりZ_4軸方向) |
0.326 slug\cdotft^2
|
| i_{fy} |
前輪慣性モーメント(車軸まわり) |
0.53 slug\cdotft^2
|
| i_{ry}+\lambda i |
後輪+エンジン慣性モーメント(後輪車軸まわり) |
0.775 slug\cdotft^2
|
| a |
原点と操舵軸との距離 |
3.112 ft |
| b |
原点と後輪接地点との距離 |
1.574 ft |
| e |
操舵系重心と操舵軸との距離 |
0.08 ft |
| f |
操舵系重心高さ(操舵座標系 ※図を参照) |
0.093 ft |
| h |
リアアセンブリ重心高さ |
2.02 ft |
| R_f |
前輪半径 |
1 ft |
| R_r |
後輪半径 |
1 ft |
| t |
メカニカルトレール |
0.38 ft |
| \epsilon |
キャスター角 |
0.4715 rad = 27 \degree
|
| C_{f1} |
前タイヤ・コーナリングスティフネス |
2512 lb/rad |
| C_{f2} |
前タイヤ・キャンバースティフネス |
211 lb/rad |
| C_{r1} |
後タイヤ・コーナリングスティフネス |
3559 lb/rad |
| C_{r2} |
後タイヤ・キャンバースティフネス |
298 lb/rad |
| K |
ステアリングダンパー係数 |
5 lb\cdotft/(rad/s) |
| \sigma |
タイヤ緩和長 |
0.8 ft |
| j |
操舵系重心高さ(※図を参照) |
(a+e)\sin\epsilon + f\cos\epsilon |
| k |
操舵系重心と原点との水平距離 |
(a+e)\cos\epsilon - f\sin\epsilon |
| l |
前輪接地点と原点との距離 |
(a-t)/\cos\epsilon |
| l_1 |
ホイールベース |
l+b |
中間変数
また、運動方程式の見通しを良くするために、Whippleの自転車モデルと同様に以下のように中間変数を定義します。
車両全体の質量、重心位置、慣性モーメント、慣性乗積
※慣性モーメント、慣性乗積は原点まわりで算出
\begin{align*}
M_t &= M_f + M_r \\
x_t &= M_fk/M_t \\
h_t &= (M_fj + M_rh)/M_t \\
I_{tx} &= I_{rx} + I_{fx}\cos^2\epsilon + I_{fz}\sin^2\epsilon + M_fj^2 + M_rh^2 \\
I_{tz} &= I_{rz} + I_{fx}\sin^2\epsilon + I_{fz}\cos^2\epsilon +M_fk^2 \\
C_{txz} &= -C_{rxz} + (I_{fz} - I_{fx})\sin\epsilon\cos\epsilon + M_fjk
\end{align*}
操舵系の慣性モーメント、慣性乗積(操舵軸まわり)
\begin{align*}
I_{f\epsilon} &= I_{fz} + M_fe^2 \\
I_{fx\epsilon} &= I_{fz}\sin\epsilon + M_fej \\
I_{fz\epsilon} &= I_{fz}\cos\epsilon + M_fek
\end{align*}
前後輪およびエンジンの車軸まわり角運動量と車速の比
\begin{align*}
S_f &= i_{fy}/R_f, & S_r &= (i_{ry} + \lambda i)/R_r, & S_t &= S_f + S_r
\end{align*}
頻出する静的モーメント項
S_a = M_f(e +kt/l_1) + M_tkt/l_1
前輪分担荷重
前輪分担荷重Z_fは設計諸元として与えられていますが、車両全体の質量・重心位置・ホイールベースから算出することができるので、以下の式で置き換えます。
\begin{align*}
Z_f &= -M_t g (x_t + b) / l_1 \\
&= -(M_f k + M_t b) g /l_1
\end{align*}
定数行列
以上の変数を用いて論文に記載されている運動方程式を整理すると、定数行列は以下のようになります。
\begin{align*}
\bold{M} &= \begin{bmatrix} M_t & M_fk & M_th_t & M_fe \\
M_fk & I_{tz} & C_{txz} & I_{fz\epsilon} \\
M_th_t & C_{txz} & I_{tx} & I_{fx\epsilon} \\
M_fe & I_{fz\epsilon} & I_{fx\epsilon} & I_{f\epsilon}
\end{bmatrix} \\
\bold{C_1} &= \begin{bmatrix} 0 & M_t & 0 & 0 \\
0 & M_fk & -S_t & -S_f\sin\epsilon \\
0 & M_th_t+S_t & 0 & S_f\cos\epsilon \\
0 & M_fe+S_f\sin\epsilon & -S_f\cos\epsilon & 0
\end{bmatrix}, &
\bold{C_0} &= \begin{bmatrix} 0 & 0 & 0 & 0 \\
0 & 0 & 0 & 0 \\
0 & 0 & 0 & 0 \\
0 & 0 & 0 & K \end{bmatrix} \\
\bold{K} &= \begin{bmatrix} 0 & 0 & 0 & 0 \\
0 & 0 & 0 & 0 \\
0 & 0 & -M_th_t & -S_a \\
0 & 0 & -S_a & -S_a\sin\epsilon \end{bmatrix}, &
\bold{L} &= \begin{bmatrix} -1 & -1 \\
-l & b \\
0 & 0 \\
t & 0 \end{bmatrix}
\end{align*}
論文の運動方程式は非常に複雑で難解ですが、行列形式で整理すると物理的な意味合いも多少見やすくなっていると思うのですが、いかがでしょうか。
ここに、前後輪の接地点で横滑りしない拘束条件を追加すれば、タイヤ力[Y_f\ Y_r]^Tが拘束力となってWhippleの自転車モデルと等価になります。これは運動方程式の導出についての記事で解説したいと思いますが、Sharpのモデルでは横滑りに比例するタイヤ力のモデルを採用しており、次の記事ではタイヤモデルについて紹介したいと思います。
Discussion
通りがかりのエンジニアです。
大変興味深い内容をありがとうございます。
行列と物理的な意味を持たせた中間変数を用いることで、複雑な式が簡潔に表現されており、4自由度モデルに対する理解が進みました。
一見複雑に見える式も係数行列M、Kが対称行列であること、典型的な二階線形微分方程式で表現されることに美しさを感じます。
何点か確認させていただきたいです。おそらく誤記かと思いますが、正しく理解を深めたいのでご教示いただきたいです。
①中間変数Sr中のi_frはi_ryが正しいのではないでしょうか
②係数行列C1中の(4×2)成分の三角関数はcosではなく、sinが正しいのではないでしょうか
③係数行列L中の(2×1)成分は-l_1ではなく、-lが正しいのではないでしょうか
重箱の隅をつつくような内容で恐縮です。
細部まで丁寧に読み込んでいただき、ありがとうございます。
誤記のご指摘、非常に助かります。教えていただいた箇所三点を修正しましたので、ご確認ください。
読み返して気が付いたところは時々修正してはいるのですが、一人で執筆しているとどうしても見落としが出てしまうので、本当に助かります。
今後とも、お気づきの点があればぜひ教えていただけますと幸いです。