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「AIを使わない」という選択をしてもいいのか?〜請求照合の泥臭い現場から見えた、AIとの正しい付き合い方〜

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「この業務、AIで自動化できるんじゃない?」

多くの企業で、こんな言葉が飛び交っているのではないでしょうか。AI技術が急速に進化する今、私たちのチームも「請求照合」という非常に精密な領域で、AI活用の大きな期待を背負っていました。

しかし、熟考の末、私が下した最初の決断は、いまはまだ「AIを使わない」ことでした。

この記事では、なぜ私がその決断に至ったのか、そしてAI時代にこそ考えるべき「AIとの正しい付き合い方」について、請求照合という精密さが求められる業務での実体験を元にお話ししたいと思います。


請求照合:1円の間違いも許されない「答え合わせ」の世界

「AIによる請求照合の自動化」というプロダクト立ち上げを担当した私が、考えてたどり着いた結論は以下のようなものでした。
AIという高性能なエンジンを載せる前に、まずはそのエンジンを載せるための頑丈な車体(=仕組み)そのものが必要だ、と。

もちろん、最初からAIの活用を諦めたわけではありません。AIを本当の意味で価値あるものとして活用するために、まず盤石な土台を築くこと。それこそが、プロダクトを成功させるための最短ルートだと信じ、私はあえて「AIを使わない」道から歩き始めました。

そもそも「請求照合」とは、どんな業務かお話しします。

皆さんがクレジットカードを使いすぎてしまった時に、クレジットカードの「利用明細」と、お店からの「注文控えメール」とを見比べる経験はありませんか?
請求照合は、あの作業の企業版です。

企業では、商品やサービスを「発注」します。すると後日、取引先から「請求書」が届きます。この社内の発注データ」と「取引先からの請求書」を一つひとつ突き合わせ、内容がピッタリ合うかを確認する地道な答え合わせこそが、請求照合です。

この業務には、2つの大きな特徴があります。

  1. 膨大なデータ量: 1企業が月に数千、数万件のレコードを処理します。
  2. 絶対的な正確性: 1円でも金額が違えば、それは「ミス」となり、会社の信頼問題に直結します。

まさに、人間がやるにはあまりにも大変で、ミスが許されない。だからこそ、「AIエージェントでまるっと自動化してほしい」という期待が寄せられるのは、至極当然のことでした。


会社の期待と、私の決断の「ズレ」

「AIエージェントに経理業務をまるっとお任せする」

これが、会社が掲げる大きなコンセプトでした。しかし、請求照合の現場を深く知れば知るほど、いきなりそのコンセプトを実現するには、あまりにもリスクと不確実性が高いことが見えてきました。その理由は大きく3つあります。

1. 100%の精度

現在のAIは非常に高度ですが、その性質上、常に一定の「間違い」を犯す可能性を内包しています。「99%の精度です」と言われても、残りの1%が会社の損失に直結するため、そのまま導入はできません。

2. 説明責任の壁

もしAIが照合ミスを起こした場合、「なぜAIがその判断をしたのか」を人間が正確に説明することは非常に困難です。ブラックボックスな仕組みは、監査やガバナンスの観点からも大きなリスクでした。

3. 対話UIの罠

チャットベースのAIも検討しました。
しかし、この業務において対話形式は、自動化の目的そのものに反していました。

例えば、一件の照合を行うたびに、担当者が「伝票番号XXXXを基に対象を探して。照合する項目は合計請求金額でお願いします」といった指示を、日本語で毎回入力する必要があるとしたらどうでしょうか。

これでは「お任せ」どころか、むしろ人間の手間を増やしてしまいます。


私たちが選んだ道:ルールベースという「土台作り」

私たちが構築したのは、AIではなく、明確なルールに基づいたロジックによる自動化システム、いわばAI活用のための「土台」です。

なぜなら、この課題においてはAIよりロジックが適していたからです。ここで、「AI」と「ロジック」の得意なことの違いを整理してみましょう。この違いを理解することが、今回の意思決定の鍵となります。

比較の軸 🤖 AIの得意なこと ⚙️ ロジックの得意なこと
柔軟性と曖昧さ 曖昧なものを柔軟に解釈する
データの中からパターンや共通点を見つけ出し、学習していない類似ケースも類推する。
例:「表記ゆれ」や多少の打ち間違いを「同じもの」と判断。
曖昧さを許容しない
定義されたルールに厳密に従う。1文字でも違えば「別物」と判断する。
例:「ABC-123」と「ABC123」は完全に別物。
判断プロセスの透明性 ブラックボックスになりやすい
「なぜその結論に至ったか」の完全な説明が難しい場合がある。
ホワイトボックスである
「もしAかつBならばC」というルールに基づき、判断の経緯を100%追跡・説明できる。
開発アプローチ データ駆動型
大量の正解・不正解データを「教師」としてモデルを学習させる必要がある。
ルール駆動型
人間が業務知識を基に、すべての条件分岐を明確に定義(コーディング)する必要がある。

この表が示す通り、請求照合の大部分を占める「完全一致」の照合には、「決定論的な精度」と「プロセスの透明性」が何よりも重要です。であれば、最初に選ぶべきはAIではなく、100%の確実性を保証する「ロジック」以外にありえませんでした。

このような、誰が見ても「絶対に正しい」と判断できるロジックを積み重ね、まずは「簡単な問題」と「難しい問題」を仕分ける仕組みを作りました。

結果、ほとんどの簡単な「一致の問題」は自動で処理され、担当者は残りの「難しい問題」に集中できるようになります。


例:対象のない請求書と一致したペアの例


土台ができた。さあ、AIの話をしよう

ルールベースの仕組みを導入したことで、完全に情報が一致する請求書のほとんどは、人間の手を介さず自動で照合できるようになりました。担当者は、残りのわずかな「難しい問題」に集中できるようになったのです。

では、その「難しい問題」とは何でしょうか。ここにこそ、AIが真価を発揮する舞台があります。

例えば、取引先名で発注書と請求書を突合する、というごく一般的なケースを考えてみましょう。

発注書の取引先名:株式会社TOKIUM
請求書の取引先名:株式会社トキウム

慣れている経理の人から見れば、「ああ、同じ会社のカタカナね」と判断できます。
しかし、少しでも違えば「別物」と判断する厳格なルールベースのシステムは、これを「照合対象なし」として弾いてしまいます。

こうして弾かれた「迷子の書類」を探し出すのは、現場の担当者にとって大きな負担です。
「英語表記だったかな?」「もしかして漢字の旧社名?」「いや、単純なタイプミスかも…」など、いくつもの可能性を頭に浮かべ、何度も検索キーワードを変えてシステムと格闘する。

この、ルールでは越えられない壁を打ち破るのが、AIです。

AIは、単なる文字列の一致ではなく、言葉の「意味的な近さ」を理解します。「株式会社TOKIUM」と「株式会社トキウム」が同じ概念を指している可能性が高いことを突き止め、「これは同じ会社ではないですか?」と候補を提示してくれるのです。

これが、私たちが目指したAIとの正しい付き合い方です。
まず、頑丈なルールベースというメインストリートで、簡単な照合を確実かつ高速に処理する。
そして、そのメインストリートから外れてしまった表記揺れのようなケースだけを、AIによって対応する。

全てをAIに任せるのではなく、ルールベースの確実性とAIの柔軟性、それぞれのメリットを活かし、弱点を補い合わせる。このハイブリッドなアプローチこそ、コストを抑えながら、現場の課題を現実的に解決する最適解と考えました。

まとめ

いきなりAIに飛びつき、その精度に一喜一憂するのではなく、まずは課題を分解し、確実な一歩を踏み出す。
その地道なプロセスこそが、AIのポテンシャルを100%引き出すための揺るぎない土台となります。

もしあなたが「AIで何とかしろ」というプレッシャーに悩んでいるなら、一度立ち止まって、「AIが活躍できる土台は整っているか?」と自問してみてください。
その先に、プロダクトを成功に導くための、より良い道筋が見えてくるはずです。

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