時空の観察と時空の意志 私の宇宙方程式
時空の観察と時空の意志
プロローグ:ある午後の対話
ミンコフスキー:
「アルベルト、君の相対性理論は実に見事だ。だが、私が描いた時空幾何学――すなわち X=c t の直線的構造――が、本質を明快に表しているとは思わないかね?」
アインシュタイン:
「それは理解しているよ、ヘルマン。だが私にとって重要なのは、観測者が何を感じ、何を測るかということだ。観測の主体にとって、すべては“今”の断面でしか存在しない。x と t は、測定装置を通じてしか得られないんだ。」
ミンコフスキー:
「ふむ、君は '今' という断面に重きを置くのか。だが、それでは空間と時間の対等性はどこにいってしまう? 私は、時間を“空間に組み込む”ことで、物理法則の形式が単純になることを発見したのだ。」
アインシュタイン:
「もちろん、君の数学的統一は強力だ。しかし観測の現場では、私たちは常に x t ≈ 0 の世界に生きている。x を極小にすれば、時間だけが流れる想像の中に入り、t を極小にすれば、まさに今見ている空間の断面だけが現れる。それが私たちの“現実”だ。」
ミンコフスキー:
「なるほど。つまり君のいう観測とは、時空の中の“面の交点”にほかならない。君の観測点は、空間と時間の両極限に生じる一瞬の出来事だと。」
アインシュタイン:
「そう、そしてその一瞬が重なり合って現実を作っている。君の幾何学構造は全体像を与えてくれる。だが私たちが手にするのはその“断面”だけ。つまり私は、君の幾何学に“観測”という条件を加えたいのさ。」
ミンコフスキー(笑いながら):
「面白い。ではこうしよう。私が宇宙の図面を引き、君がそこに観測者の目を入れる。きっとより深く、より完全な宇宙像になるだろう。」
私は少し整理して以下のように書いてみた。
「君の描く時空は、まるで将棋盤のようにきちんと並んでいるね。」アインシュタインが笑いながら言うと、ミンコフスキーは真顔で答えた。「当然だとも。時間と空間を同等に扱えば、物理法則は直線に整列する。
X = c t──それが宇宙の構造だ。」
「だがヘルマン、僕たちはその整列された盤面の中にはいない。観測とは“今ここ”に立った一手だけだ。将棋盤をすべて見るのではなく、ただ目の前の駒を動かすことしかできない。」
「つまり君は言いたいのか、宇宙は X = t で書けても、人間は x t ≈ 0 の位置でしかそれを経験できないと?」
「その通り。t → 0 なら空間の断面しか見えないし、x → 0 なら想像や記憶としての時間しかない。現実とは、空間と時間の交点に生じるゼロ厚みの面なんだ。」
「では私は宇宙の盤面を引こう。君が観測という一手を打つなら、その交点こそが時空の“意志”になるかもしれない。」
1、時空の構造と観測点
物理学が描く時空は、通常 X^μ (μ = 1,2,3), T^ν(ν = 1) という形式を取る。空間は3次元、時間は1次元と定義され、光速 c により因果構造が定まる:
X = c t
だが観測とは、x t ≈ 0 の極限で成立する。
x → 0:記憶・想像の時間世界(球面位置世界)
t → 0:今ここにある空間世界(球面時間世界)
このとき観測点は、空間と時間が交差するゼロ厚みの面として定義される。
2、閉曲面としての時空生成
空間も時間も、半径が x または t の球面として生成される:
球面時間世界:半径 x の球面が速度 c で拡大 → X = c t
球面位置世界:半径 t の球面が速度 c で拡大 → t = cx
これらの交点が現実の観測面となる。
X t ≈ 0 は、まさにこの球面同士の“観測的交差条件”である。
3,時空の意志と3階微分
力学的には:
位置 → 速度 → 加速度 → 意志(3階微分)
と階層があり、次のように記述される:
(d^3 f)/(dt^3) ,(d^3 f)/(dx^3 )
もし時間も空間もそれぞれ3軸 T^μ ,X^ν
を持つなら:
(d^3 f)/(dt^(ν^3 ) ) (d^3 f)/(dx^(μ^3 ) )
これらは方向ごとの「選好」や「傾き」となり、重力、知覚、意思決定までもが、閉曲面の歪み(テンソル)として記述されうる。
まとめ, 観測とは意志が選び取った交点である
時空とは一枚の盤面ではなく、観測という行為が定めた“切り口”である。そしてその切り口には、必ず選びとり、方向づけ、すなわち「意志」がある。
X t ≈ 0 と (d^3 f)/(dt^3 ) が交わるところに、私たちは存在する。
それが、閉曲面として生成される時空構造の内奥にある「主観的実在」である。
私の宇宙方程式
dφ^n/dt^n = c^n・dφ^n/dx^n 今野 哲夫
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