🧠

AI時代の判断力を考える ー 『新たな5KAN』という私の仮説

に公開

AIとの協働で見えてきたもの

NotebookLMなどのAIツールを使うと、一見完成度の高いスライドができます。しかし実際に読み合わせをしたり、自分の言葉としてプレゼンしてみると違和感を感じることが多く、最終的にシーンや相手に合わせ、地道な修正作業を重ねることは意外に多いと感じています。

それはコンテキストだけではない、言語化できていない、この人には、この場面では、こう伝えたい、こう表現したいという自分自身の意思の発露と考えています。

NotebookLMに限らず、AIがロジカルにスピーディにアウトプットを出してくれる時代、人間の80%もしくはそれ以上のクオリティで出力してくれる時代に、残り20%を高め、判断していくための能力とは何なのか?

その言語化について、ここ数週間ずっと考えていました。

AI時代に差別化するスキルとは

先日、Dataiku Japan社長の佐藤 豊さんの興味深い投稿を見かけました。「AIは論理と効率の80%を実現してくれるが、残り20%で競争優位を生むのは人間の芯にある『KKD』(勘・経験・度胸)だ」という内容です。

https://www.linkedin.com/feed/update/urn:li:activity:7415263638078566401/

この内容に深く共感しました。そして同時に自分なりに考えていたことと重なっていると強く感じました。

システムの構築やプログラム開発、デザイン作成から市場調査まで、AIにより、その専門性は標準化、ツール化、コモディティ化していると感じています。
自分自身が数年前に特別なスキルだと思っていた基盤構築スキルや技術選定ですら、その技術的な差別化は難しくなる一方だと感じています。

では、何が差別化要因になるのか。それは『判断能力』ではないでしょうか。AIが出した答えに『本当にこれでいいのか?』と問い直す力、データには現れない文脈を読み取る力、そして人を動かす力。この能力をどう言語化し、どう磨いていくか。

まだ試行錯誤中だが、一つの仮説として「新たな5KAN」というフレームワークを考えてみました。

AI時代の「新たな5KAN」という仮説

人間の五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)は、身体的な感覚器官として私たちの認知の土台になっている。AI時代、この五感の価値はむしろ高まっていると感じます。AIには現時点では身体がなく、質感を伴う体験ができないからです。

そして、この五感を土台として、さらに高次の認知能力を磨く必要があるのではないでしょうか。それが人間の身体的な五感から新たに昇華した、思考的な「5KAN」だと考えました。

1. "勘"じる力 ー 経験と文脈を統合し、直感的に本質を掴む

「勘」は、プロジェクトやシステムといった「事象」の異常を察知する力です。過去の膨大な経験が無意識にパターン化され、データを見る前に「何かおかしい」と警鐘を鳴らします。

プロジェクトのキックオフ後、順調に進んでいるはずなのに、なぜか「上手く行きすぎていないか?」と感じることがあります。

データを見ても問題ない。スケジュールも遅延していない。それでも「何かを見落としていないか?」という感覚が消えない。パッとその理由を説明できず、自分自身もその違和感に戸惑います。

そして、その違和感を無視せずに掘り下げてみると、実際にリスクが潜んでいたことも何度かあります。ベテランエンジニアがコードレビューで「なんか気持ち悪い」と感じるのも、同じ感覚ではないでしょうか。

この直感は、膨大な経験が無意識下で統合された判断能力だと言われています。AIは過去のパターンを学習しますが、人間のような身体的・文脈的経験に基づく前例のない状況での「これは危ない」という嗅覚は持てません。データを見る前に「どこを見るべきか」を素早く定めるガイド機能でもあります。

余談でありますが、そういう時の質問として、「このスケジュール上は"完了"にしているけど、懸念事項があるタスクがあれば教えて」や「時間があったら、もっとやりたかった作業を教えて」と聞くようにしています。
そうすることでメンバーも本音や自身の中で抱えていた不安を言いやすくなり、やるべきと分かりつつも目を瞑って進めている作業やリスクを解消できていないタスクが見つかることがあります。

2. "感"じる力 ー データでは捉えられない、人の心と場の空気を読み取る

「感」は、人の感情や場の空気といった「人間の領域」を感じ取る力です。相手が発する非言語情報—表情、声のトーン、言葉の裏にある感情—を察知し、「今、何が起きているか」を理解します。

プレゼンを受けている時、ふと気づきます。

資料のページをめくる速さが変わった。担当者の説明が、あるスライドから説明を端折り、急に早口になった。「問題ない」という報告なのに、なぜか歯切れが悪い。

こうした機微を感じ取ると、違和感として湧き出してきます。データや数値には現れないが、何か大事なことが隠れているのではないか。質問を重ねてみると、実は懸念事項があったり、社内調整が難航していたりします。

会議でも同様です。議論が進んでいる。ロジックも通っている。でも、なぜか場の空気が重い。誰かが本当は納得していない。言葉の裏に不安がある。表情に迷いが見える。

この「空気感」や「機微」を感じ取る力は、感性の領域だと思います。"勘"が事象の異常を過去の経験から察知するのに対し、"感"は今この瞬間の相手の感情を、五感に近い感覚で受け取る力です。データや数値だけでは捉えられない、言葉にならない感情。それを感じ取り、意思決定に活かす。この感性に基づく力は、AI時代にかえって価値が増していると感じます。

3. "換"える力 ー 具体と抽象を往復し、異なる領域に応用する

20年以上前の営業時代に、Excelの見積書を作成し、VLOOKUPで別シートの商品マスタから商品情報や単価を引っ張ってくる仕組みを作ったことがあります。

その後、会社がBIを導入し、初めて触った時に、「これはExcelと同じ」ではないかと思いました。「別の場所にある情報を、キーを使って紐づけ、出力する」という構造が共通していたと感じたからです。
結果として、商品マスタシートはテーブルに、VLOOKUPはBIの関数として置き換えることで理解が進み、いつしか営業部門の中で一番BIが使えるようになり、数多くの帳票を作り、組織内に展開しました。

また、その後、IT部門へ異動となり、何もわからない状態で、システム運用のリーダーに突然任命され、戸惑った経験がありました。その時は実務を行っている業務委託のメンバーから1つ1つヒアリングし、今まで暗黙知で行っていた作業を手順化し、体系化した経験がありました。
そしてポイント事業のITに異動になった際に、毎月のようにポイント提携の新規契約が成される中で、提携企業向けのシステム要件書が非常に難解でスムーズにシステム開発が進まないという問題がありました。

その際、あの運用時代の手順をまとめた時と同じ課題だと考えました。
業務全体が円滑に進み、確認や質問、認識不一致の不安を抱えたまま作業をしなくてよくするための改善。
関係者や熟練者にヒアリングを行い、作業や指示、要件の意図を整理し、まとめ直す。伝わりやすく、誤解を避け、適切に情報を伝えるために体系的にまとめる。
またそれらの作業は、知っている人がまとめるよりも、知らない人がヒアリングし、真に理解してまとめる方が、より暗黙知が形式知化されることも理解していました。

結果として、いずれのケースも、私がまとめたそれらのドキュメントは、その後も長く受け継がれていきました。

ExcelとBIはツールが違うけれども似た概念を持っている部分がある。運用と開発と違う工程ではあるが、本質的な共通したパターンを見出す。そして、一つの領域で学んだ経験や構造を、まったく別の領域に応用する。

自分の小さな経験ではありますが、この「置き換える力」があるからこそ、AIが見つけられない解決策を生み出せるのではないかと考えます。複雑な情報を本質的なパターンに還元し、新しい組み合わせを生み出す創造的能力だと言えるのではないでしょうか。

4. "鑑"みる力 ー 多角的に見極め、的確な問いを立てる

例えば、骨董品の鑑定士は、一つの茶碗を見るときに、作風だけを見るわけではありません。素材、焼成方法、歴史的背景、流出経路、同時代の他作品との比較。多角的な情報を総合して、真贋を判定します。
なんでも鑑定団のような鑑定番組を見ると、依頼者から受け取った情報そのものを疑い、本質的な価値に向き合うこともあります。

AIが生成した分析レポートも同じだと考えます。その結論や前提をそのまま見るのではなく、データの出所、前提条件、分析期間、欠損値の扱い、別の解釈の可能性。多角的に「鑑みる」ことで、初めて「これは信頼できるか」「何が見落とされているか」が見えてきます。

より具体的な例として挙げると、NotebookLMと対話して資料を作るとスライドのデザインや雰囲気はとても良いものができます。
ですが、実際に社内外の重要なプレゼンにおいては、その資料でしゃべろうとすると、違和感を感じ、最終的にパワポ上で修正を重ねることが多いと感じています。

それは、生成AIにインプットできていない、プレゼンする相手との関係性、資料の前後の文脈、これまでの経緯を踏まえた表現方法。そして声に出した時のスムーズさ、自分の好みのテンポにあったスライドマネジメント。

これらを100%形式知化し、プロンプトやRAGとして整備するのは、現時点では難しい行為だと考えています。

そしてプレゼンテーションとは、ただアウトプットすることが目的ではなく、それを受け取った相手の承認や合意、依頼の受領、説明の理解、感動を与えるなど、「相手を動かす」ための高度な作業だと考えています。

そのテーマを解決するための最適な情報、相手との関係性から生じる文脈、その適切な伝え方、それらを統合し、解決策を導くという高度な思考と考えています。

つまり、自分自身が持つ経験知、暗黙知から導かれる、勘・感・換・関を統合した思考により、そのスライドを"鑑"みて、自分自身のスタイルや個性を含めて過不足を認識し、適切な修正を行う。それらを繰り返し実施することで必要充分な資料に高めていく作業です。

場合によっては、そこに現れていない情報がないか、それまでの会話の中で浮かび上がった感触やメッセージ、そもそも前提があっているのか?と立ち止まり、問い直す力も必要となります。

つまり「何が必要かの問いを立てること」「その解を導くこと」2つの思考が必要だと考えます。

この「問いと答え」を定義し、それを多角的に見極める力がなければ、AIの出力を表面的に受け取るだけになってしまいます。
一方でAIを活用し、より多くのことを実現することが求められる時代であり、その作業が、AIによる80%のアウトプットで良いのか、自身の5KANを反映した100%のクオリティを目指すべきものなのか、それぞれを鑑みて判断できる力も必要になると考えています。

5. "関"わる力 ー 信頼を築き、人を動かし、協働を生む

"関"わる力は、自分から相手に働きかけ、人を動かす力です。相手の状態を"感"じる力が受動的な能力であるのに対し、"関"わる力は、その人にどう伝えれば受け取ってもらえるか、どう関われば協働できるかを実践するより能動的な能力だと考えています。

最近、痛感したことがあります。

AIと壁打ちして作った業務効率化の完璧な提案もありました。しかし、「これで工数が削減できます。やるべきです。」という正論をストレートに伝えた結果、「今は余計なことを増やさないでほしい」と拒絶されました。忙しい部署だからこそ、踏み込んでやるべきだと思いましたが、繁忙期に加え、育児休暇などでメンバーが減っているその部署にとっては重荷でしかありませんでした。

その提案についてはひとまず保留とし、課題認識はお互いに共有できたので、「この件に限らず、他に改善できることがないか、遠慮なく相談して欲しい」と伝え、引き続きいくつかの検討を進めています。

相手の不安を「感じる」ことができても、その人に合った「伝え方」ができなければ、人は動きません。むしろ、正論は時に人を傷つけます。AIを活用していると、時に万能感、効能感に満ち溢れ、なんでもできるような気持ちになります。
今回のケースでは、大上段から課題解決の提案をいきなりぶつけるのではなく、まずはその課題設定そのものを意見交換すべきだったと反省しています。

チャットの一文でも、言葉のトーン一つでネガティブに伝わることがあります。目の前にいる人、画面の向こうにいる人が、今どんな状況で、何を心配していて、どんな言葉なら受け取ってもらえるのか。

論理だけではない。血の通った人間同士だからこそ、「誰に、どのように伝えるか」が決定的に重要となります。

どれだけ優れたAI活用案でも、現場の人が「一緒にやろう」と思わなければ実現しない。ロジックを超えて、相手の立場に立って対話し、共感を得て、信頼関係を築く。その上で、一緒に前へ進む。

この「関わる力」の重要性を、日々重く感じています。そして、このような「関係性」を重視し、その能力に意味づけするのもまた、人間固有のものだと思います。

私が、会社や友人、家族とも異なる、技術コミュニティを通じた関係性に強く関心を抱き、積極的に参画しているのもまた、多様な関係性によってもたらされる「関わる力」の重要性を感じているからです。

気づいたこと ー この思考プロセス自体が、5KANではないか

ここまで書いてきて、ふと気づきました。

この「新たな5KAN」というフレームワークを考えるプロセス自体が、まさに5KANの発露だったのではないかと。

まず、「換える力」。「五感(ゴカン)」という馴染みのある言葉と、「勘・感・換・鑑・関」という共通の「カン」という音。この音韻的な共通項から、まったく異なる概念を結びつける行為。身体的な五感と、認知的な5KANへの変換。具体と抽象を置き換える思考、まさに「換える力」の実践ではないでしょうか。AIの評価において、鑑定士のアナロジーを持ち出したのも同様の「換える力」の発露だと思いました。

そして、勘・感・関も働いていました。営業時代のExcelの経験、BIレポートの作成、運用時代の手順書からの要件定義書の見直し。これらバラバラに見える経験をこの「5KAN」という定義に紐づけできるのではないかと自分の中で統合されていく感覚。

お客様とのプロジェクトで感じた違和感、SNSで見かけた投稿への共感、社内の人との対話で得た気づき。人との関わりの中で得た情報が、自分の中で統合されていきました。

そして今、「鑑みる力」 を使いながら、この概念を多角的に見極めようとしています。本当にこれは妥当なのか、見落としている視点はないか、どう表現すれば誤解なく伝わるのか。

最後に、「関わる力」。このブログを読む人にとって少しでも価値ある内容として、できる限り体系化したい。どんな表現なら受け取ってもらえるのか。それを考えながら、文章を紡いでいます。

つまり、この記事を書くという行為そのものが、5KANを使った高度な作業であり、思考し、感じ、置き換え、見極め、伝える。すべてが連動していると体感しています。

この執筆に限らず、私たちは日々、意識せずにこの5KANを使っているのかもしれません。そして、AI時代だからこそ、それを意識的に磨く必要がある。そんな気がしています。

5KANを磨くための日々の実践

では、この「新たな5KAN」をどう磨くか。正直、まだ自分も試行錯誤の途中です。

ただ、意識していることがいくつかあります。

データだけを見ずに、現場に足を運ぶこと。お客様と直接対話する時間を意図的に作ること。AIの提案を鵜呑みにせず「本当にそうか?」と問い続けること。異分野の人と話して、自分の思考の枠を広げること。『感じる力』で述べたような、問いを引き出す質問の仕方。

技術も重要ですが、五感を使う経験、人との生の対話、身体を動かすことの価値が、AI時代だからこそ増しているように感じます。

最後に:あなたは、どのKANを磨きたいですか?

この「新たな5KAN」は、あくまで一つの仮説です。もっと良い枠組みがあるかもしれないし、人によって重要なKANも異なるでしょう。
とはいえ、このように自分だけが持つそれぞれの経験知、暗黙知に基づいた、自分だけのフレームワークを考えること自体が、AIが現時点ではできない、人間だけが実装できる高度なインテリジェンスだと考えています。

そんな私の着想から生まれた、この5KAN。

あなたは、どの『KAN』を磨きたいですか?もしくは、あなたなりの『第6のKAN』があれば、ぜひ教えてください。

Discussion