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エンジニアは生きのこる ←ホンマか???

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コーディングタスクではかなりの部分を AI が解決できるようになってきた今、改めてエンジニアの存在意義が問われている。AI の能力が高くてもエンジニアの存在は残り続ける、という主張も同時にされている。考える力だの、判断する力だの、問う力だの。私も「現時点では」という留保つきでその主張に納得する。

しかし、果たしてその主張されている存在意義は何年先まで通用するのかは定かではない。

私は現状を見て生き残る戦略を考えるよりも、何年くらいで置き換わるのか、のほうがマシな話な気がしている。というのも一年前の言説が陳腐化するような状況である以上、現状で求められる能力が、数年後も同じように求められているかはかなり疑いを持っている。

AI にどのような順番で代替されていくと考えられるか、そもそもどこまで代替することを人類は許すか、こういったことをもっと議論していいのではないか。そんなモヤモヤを共有したい。

「現時点では」という留保を見逃すな

おそらく慎重な態度で記事を書いているほとんどの人たちは、この留保をちゃんと記事の中に入れて明示している。

ただし、とくに SNS などではこの「現時点では」という留保が書かれていないことがある。「現時点では」ということを主張者本人の中では当たり前であり、言うまでもない前提かもしれない。あるいは本当にそう思っているかもしれない。しかし、それを目にする人たちはそれら前提を共有できていない。

なぜこの留保が必要なのかというのは、ChatGPT が出始めの時の自分達のスタンスや態度を思い出して内省してみてほしい。GPT-3.5 は 2022年11月30日公開。[1] それからまだ 5 年も経っていない。そして今の現在地がどこまできたのかを改めて考えてみてほしい。我々はあまりにも早い進化に気を取られすぎて、俯瞰してタイムスケールを見ることを忘れてしまっている。

・・・まあ、俯瞰して見たところで気絶しそうな変化速度であるが。

私としては、現時点で求められることを考えるだけでなく、もっと本質的な問いを立ててほしい。奇しくも、「AI 時代に求められている能力」系の記事と同じ主張だ。

その能力を目の前の仕事だけでなく、俯瞰し、大局的に使ってみてはどうだろうか。ひいては我々の"人生"というものを考えるということである。

AI は我々と共進化している

我々の「使えないじゃん、やっぱまだこの程度か」という感想は、それなりに AI に届いている。

というのも、そういった素朴な感想が AI 開発者の耳に届くだけでなく、AI の学習元データとしても取り込まれていく。不満は改善され、穴は塞がっていく。

徐々に作業的タスクが人の手を離れていくにつれて、より高次と思われている能力や仕事、それに対する問題解決が提案される。つまり、その時点での AI の乗りこなし方についてのプラクティスが共有される。すでに研究の論文でも、この Zenn のようなプラットフォームでも起こっていることだ。

それらの問題や解決策は当然 AI 開発者も考えるし参考にする。そして AI の学習元データとして入ってくるし、その振る舞いもトレーニングされたり、2025 年で起きたことのように AI の自走を支える周辺ツールも充実していくだろう。

AI は我々の考察や使い方を養分に AI 自身の乗りこなし方を学び、その自走力を高める方へ進化する。

こうしてみると我々と AI との間にあるフィードバックループが、より AI の利用幅を拡大させ前進させる構造になっている。AI にできない人間の能力はこれだ!という主張があれば、その振る舞いを AI にいかに持たせるかという知見も増えていく。

この相互作用は無視できず、人間が「AI にはできないこと」を発見するにつれて、それができるように改善される。問題はそれがどこまでいくのか、続くのか。

難しいのは、これまでの技術に比べて AI のできる限界がどこまでなのかが見当つかないことだ。少なくとも私の浅い理解では、理論的なアーキテクチャからはとても想像できない能力を発揮しているように思える。

情報科学を学べば出てくる、チューリングの示した計算可能性の限界も、それが人間のできる範囲より小さいということまでは言及されていない。我々の活動が実はすべて計算可能な問題だった場合、AI との共進化はそこまで行き着くかもしれない。

人間の活動を、どこまで「予測」で説明できるかが AI 評価のカギかも

我々が「思考」と呼んでいるもののうち、どのくらいが「予測」なのだろうか。

AI の理論的な構造から考えると、やっているのは常に「予測」である。問題は我々が、人間が持っている能力として挙げている「思考」というものが「予測」と実は同じだったとき、AI は全て模倣できることになる。

特に仕事の現場で言われている「考える」ということや「仮説を持って」というのは、たいていの場合は「予測すること」を指しているように思う。顧客の「本当に必要だったもの」も、結局はその周辺情報から「予測」しているにすぎず、そうなるとほとんどの「良い仕事」と呼ばれているものの多くは、単に予測精度が良いだけかもしれない。人間の感情を察する、ということも結局は予測の内なのではないか。

そうなると、人間にはその予測精度を高めるための記憶容量と学習時間の制約が大きく、予測精度という観点からはいずれ AI に勝てなくなるだろう。

特に仕事という成果を求められる領域においては「思考」のほとんどが「予測」と同じ意味で使われているのではないか。to B にせよ to C にせよ、ターゲットの要望を予測し続けているにすぎないのではないか。

「仕事がなくなる」という文脈において、AI より人間が優れている部分があるというのであれば、「予測で解決できない」本質的な価値にフォーカスする必要がある。しかし、仕事の現場においては予測では説明できないことがどれくらいあるのか、私はパッと思いつかない。

少なくとも「エンジニアはまだ必要」論の多くは、「予測能力」の域を出ていないように思える。「予測能力」の"幅"を観点にしている時点で AI の土俵から免れられていないことに気をつけてほしい。

もう少し真面目に仕事がなくなる世界を議論してもいいんじゃない?

この記事は正直注意喚起止まりである。
AI に対する現時点での私の考えは別で書いているので、読んでもらえると嬉しい。

https://zenn.dev/takanari_dev/articles/2026-05-13-how-do-we-live

悲観的すぎず、楽観的すぎず、しかし自分の感情、不安や期待をちゃんと出し合った方がいいと思う。もっとこの AI による影響は議論されていいんじゃないか。私はもっといろんな議論と意見を見たい。

考える力や問う力が AI にない人間の力だというのならば、今この瞬間の断面ではなく、目の前の仕事だけでなく、その人間の力だとあなたが思っている想像力でもって、もっと先のことを考えた方がいいんじゃないか。もっと根本的な、人間の幸福などを問うべきなのではないか。

怖がるのではなく、正々堂々前を向いて考えてみようではないか。

脚注
  1. Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/ChatGPT ↩︎

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