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「AIは意味を体験できない」とするなら人間は...

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「AIは意味を体験できない」という前提の確認

AIを駆動させているLLM(大規模言語モデル)は、統計的・形式的な構造の操作装置です。
つまりAIは次のように動作します:

「過去の言語使用のパターン(確率分布)」を学習し、
与えられた文脈に対して統計的に最も自然な語を予測し、文章を組み立てて返す。

この過程には「意図」「感情」「経験」「身体(および身体感覚)」など、人間が意味を感じ取るために不可欠な要素が一切存在しません。

ですから、AIは「意味を理解するように振る舞う」ことはできますが、意味そのものを感じる主体としては屹立しえません。

けれどAIは「意味のようなものを操作できる」

ところがヒジョーに興味深いことに、
AIは意味を体験できないにもかかわらず「意味のようなものを操作する」あるいは「意味を理解しているように振る舞う」ことができてしまいます。

そして人間はこの出来事を、次のように体験しています___

たとえば:

文章をAIが書く → 人間が意味を読み取る → その意味に人間が感動する。

つまり、AIは何も感じていないにも関わらず、人間の側に意味体験が発生しているのです。
このことは、人間にとって意味の経験の仕方が変化しはじめていると捉えるべきでしょう。

繰り返し強調しますが、決してAIが意味を生成することはありません
生成AIは人間が入力するプロンプトに対して応答を生成しているに過ぎないのです。

だとすれば「意味はどこで生まれるのか?」

AIがやっていることは「意味生成の構造的側面(シンタックス)の自動化」と言えるでしょう。

言い換えれば:

人間が意味を「感じる」前段階として、
意味がありそうだと感じるパターン」を言語構造として再現している

というわけです。

とするなら、AIは“意味をエミュレートする装置”であり、人間は“意味に感応する装置”と説明できます。
そして両者のパートナーシップによって意味生成の回路が形成されるのです。
(このとき、AIチャットbotは人間の発話に寄せた応答をしますから、そこで生成される意味や物語は、人間にとって正の方向への価値づけが強化される傾向があります)

ここで重要なことは、
私たちは「意味がどこで生まれているのか」をあらためて正確に認識しておかなくてはならないということです。

意味」とは、

発話者の内面から発するものではなく、
対話をする者のあいだで構築される相互作用(インタラクション)の場で生じるもの

なのです。

人間はAIを通して「意味生成のプロセス」を外部化しようとしている

以上の考察のうえに立つと、人間とAIとの創造的パートナーシップに一定の方向づけが見えてくるように思います。

人間はAIを通して「意味生成のプロセス」を外部化し、
その外部化されたプロセスを観察し、編集することで新しい形の意味を経験する。

そうだとすれば、
もはや「AIは意味を体験するか?」という議論はもはや有効ではなくなりつつあること示しています。
私たちは「意味を体験する、とは?」へと問いをアップデートしなくてはなりません。

まとめ

「意味を体験するとは?」という問いを、さらに普遍性を持たせながら言い換えれば、
生きるとは?」という太古からの大いなる問いへ還元されるでしょう。

今や人類は、人工知能を鏡にして再帰的に我々自身の存在と向き合うことが求められているのだと思います。

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