人が亡くなるたび、古い辞書がまた一冊、失われる 介護現場と地域で見つめてきた「検索できない知恵」
父が、ある日ぽつりと、こんなことを言った。
「年寄りが亡くなると、古い辞書がまた一冊、失われる。」
その頃の私は、「また父ちゃん、何か面白いこと言うとるなぁ」くらいにしか思っていなかった。
けれど、介護福祉士として十五年以上、高齢者の方々と向き合い、地域で見守り活動に関わるようになった今、その言葉は何度も私の胸によみがえる。
父が言っていた「辞書」は、本屋に並ぶ辞書ではない。
長い人生の中で積み重ねてきた経験。
その土地だからこそ育まれた暮らしの知恵。
雪国で身につけた危険の避け方。
家族を守る工夫。
言葉にしなくても伝わる、人との距離感。
そんな、一人の人生そのものが詰まった「一冊の辞書」のことだったのだと思う。
検索しても出てこない。
AIに尋ねても、そのまま答えは返ってこない。
それでも確かに、一人ひとりの中には、その人だけの辞書がある。
そして、人が亡くなるということは、その辞書が静かに閉じられるということでもある。
介護の現場で多くの高齢者と向き合うなかで、私は父の言葉の意味を少しずつ教えられてきた。
介護の仕事は、マニュアルだけでは成り立たない。
記録には「異常なし」と書かれていても、
「今日は、この声のトーンが少し違う。」
そんな小さな違和感が、その人を支える大切な手がかりになることがある。
薬を飲んだ後の表情。
家族が帰られた後の静かな沈黙。
昔の仕事の話をした瞬間だけ見せる、誇らしそうな笑顔。
どれも数値では表せない。
けれど、その人らしく生きてもらうためには欠かせない「経験知」だ。
私は以前、ご本人が「好きなものを食べたい」と望まれ、ご家族とも相談しながら、その思いを大切にしたことがある。
後日、ご家族からいただいた言葉は、今でも忘れられない。
「あの人らしく過ごせて、本当に良かった。」
その一言は、私にとってもまた、新しい一ページになった。
この「辞書」の話は、介護現場だけではない。
町内会や地域で見守り活動に関わるなかでも、同じことを感じている。
ある一人暮らしの高齢者が入院し、その後施設へ移られたことを知ったのは、正式な連絡ではなく、近所の方との何気ない会話だった。
誰か一人が悪いわけではない。
高齢化や人手不足のなかで、情報は少しずつ途切れていく。
そして、その途切れた先で、本来つながっているはずの人たちが、お互いの状況を知らないままになる。
私は、その現実を何度も見てきた。
最近は、
「AIが何でも覚えてくれる時代になる。」
そんな言葉も耳にする。
私もAIには大きな可能性があると思っている。
実際、こうして文章を書きながら、何度も助けられている。
けれど、それだけでは足りない。
AIが扱えるのは、人間が言葉にし、記録として残したものだ。
誰にも語られなかった知恵。
誰にも書き残されなかった経験。
それは、AIだけでは救えない。
だからこそ、記録するのは私たち人間の役目なのだと思う。
AIは、人の人生を代わりに生きることはできない。
けれど、人が残した一ページを、未来へ届ける手伝いはできる。
私は、そんなAIの使い方を選びたい。
以前、地域の「ドアtoドア」の移動支援がなくなったとき、私は冬だけでも安全網を残せないかと提言したことがある。
雪国では、バス停まで歩けないことが、そのまま孤立につながることもある。
介護も、地域も、防災も。
私の中では、すべて一本の線でつながっている。
どれも、「誰かが取り残されないため」にある。
父の言葉は、今でも私の中に残ってる。

「年寄りが亡くなると、古い辞書がまた一冊、失われる。」
あの日は、その意味が分からなかった。
でも今なら、少しだけ父に返事ができる。
私は両手を広げた分しか護ることはできない。
だからこそ、一人ではなく、誰かと手を取り合える社会であってほしい。
人が持つ知恵を、人の手で受け継ぎながら、必要なところではAIの力も借りる。
そんな未来なら、きっと閉じられる辞書は少しずつ減らせる。
そう信じて、私はこれからも現場に立ち続けたい。
幸せってなんだったっけ。
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