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なぜ、現在の日本の労働市場で、正規雇用の担い手不足が起きているのか?

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はじめに

現在の日本で起きているのは、単純な意味での人手不足ではありません。より正確には、企業が正規雇用として長期に抱えたいと考える水準の働き手、すなわち担い手の不足です。実際、2025年平均の正規の職員・従業員数は3,708万人で11年連続の増加でしたが、2026年1月の正社員有効求人倍率は0.99倍で、席が全面的に消えたわけでも、求職者が全面的に足りないわけでもない中で、埋まりにくさが続いています。

この現象を「企業が人を選り好みしているだけだ」と説明するのは粗すぎますし、逆に「人さえ増えれば解決する」と考えるのも単純すぎます。厚生労働省の白書は、人手不足の背景を、人口減少による労働供給制約と、産業や職業ごとのミスマッチの双方から説明しています。つまり問題は、求人があるかないかだけではなく、どのような人をどのような条件で欲しているか、そしてそのような人がどれだけ存在するかです。

本稿の中心命題は明快です。そもそも正規雇用の中核を担うには、単に真面目であるだけでは足りず、曖昧な状況でも仕事を組み立てて回し続ける自走が要ります。そしてこの自走は、昔から一部の人間にしか安定して担えない重い要件でした。高度成長期には、その希少性が人口ボーナスと景気拡大によって覆い隠されていましたが、バブル崩壊後は覆いが剥がれ、現在では若年人口の縮小によってその希少性がさらに露出しています。

したがって、現在の正規雇用の担い手不足を理解するには、賃金や求人倍率だけでは足りません。自走の希少性、高度成長期の包摂構造、バブル崩壊後の育成余力の消失、氷河期と現在の非正規雇用の性格差、そして若年人口の半減を一つの流れとして見る必要があります。以下では、その構造を順に整理します。

自走という要件の重さ

ここでいう自走とは、単に指示された仕事を期限までこなすことではありません。仕事の切り方が曖昧でも自分で分解し、優先順位をつけ、例外が起きても止まらず、必要な相手に必要なタイミングで相談し、自分の担当範囲に責任を持って回し続けることです。正規雇用の中核で企業が欲しているのは、要するにこの意味での自走であり、これは補助作業や部分作業をきちんとやることより一段重い要件です。

もちろん、この自走性は生まれつきだけで決まるものではありません。上司の質、業務設計の明確さ、組織の心理的安全性、失敗時の扱われ方、教育の順序といった環境要因にも大きく左右されます。企業の人材育成に関する調査でも、能力開発に問題があるとする事業所は79.9%に達し、その最大要因は「指導する人材が不足している」でした。つまり、自走が育ちにくい職場環境は現実に広く存在します。

ただし、環境依存性を認めてもなお、自走が軽い要件でないことは変わりません。環境が整っていても、曖昧さの中で自分で判断し、先送りせず、他者と調整しながら責任を持って動き続けられる人は限られます。現場感覚として言えば、ベテランになってもそれを安定して再現できる人は人口の半分を大きく超えて広がるものではありません。ここで重要なのは、これは現代だけの話ではなく、昔からそうだったということです。

言い換えれば、昔の企業が本当に欲していたのも、やはり自走できる層でした。昔は誰でも正規雇用の担い手になれたのに、今だけ急に要求水準が上がったのではありません。違っていたのは、自走できない者まで含めて制度の中に抱え込めたかどうかです。この点を見失うと、高度成長期の包摂も、氷河期の選抜も、現在の担い手不足も、すべて誤って理解することになります。

高度成長期は何を包摂していたのか

高度成長期の日本型雇用は、長期雇用年功的処遇企業内訓練配置転換を組み合わせた仕組みでした。新規学卒者を一括採用し、社内教育と異動を通じて育て、できるだけ長く雇い続けることが、日本的雇用システムの特徴として説明されてきました。厚生労働省やJILPTの整理でも、長期雇用の下で企業内訓練を行い、生産性上昇と賃金上昇を結びつける構造が明確に示されています。

この仕組みの要点は、若手を育てることだけではありません。より重要なのは、自走できる中核層が組織を回す一方で、十分には自走化しなかった人まで含めて、企業が制度的に包摂できたことです。高度成長期には景気拡大で仕事量もポストも増え、多少の低生産性や役割の曖昧な人員を抱えていても、企業全体として回すことができました。配置転換や関連会社への出向も、その吸収装置として機能しました。

したがって、昔の正規雇用は「新人は育てればみな自走できる」という理想主義の制度ではありませんでした。実際には、伸びる人も伸びない人もおり、自走できないままベテラン化する人も当然いました。それでも、高度成長と人口ボーナスの時代には、そのような人まで含めて養うことができたのです。昔から自走できない人は中核担い手としては不要だったが、社会と企業の側にそれを包み込む余白があった、と捉えるのが正確です。

この点は、現在の視点から見落とされやすいところです。後から見ると、高度成長期は雇用が豊かで、誰もが正規雇用に入れた時代のように見えます。しかし実際には、担い手として本当に重い責任を負っていたのは一部の自走層であり、それ以外の層まで同じ制度の中に置けたのは、景気と人口構成がそれを許したからでした。昔の包摂とは、未熟な若手の育成だけでなく、非自走のベテランまで内包する包摂でもあったのです。

バブル崩壊後になぜ養えなくなったのか

バブル崩壊後に壊れたのは、正規雇用という形式そのものより、自走できない者まで抱え込める余白でした。低成長が続き、企業が将来の拡大を前提に雇用と賃金を設計しにくくなると、若いうちに生産性未満の賃金で抱え、中高年で回収するモデルは急速に重くなります。長期雇用と年功的処遇は、高成長の下では合理的でしたが、低成長下ではそのコストが露出しやすくなりました。

その調整は、まず入口の絞り込みとして現れました。JILPTは、平成不況期に新卒採用抑制が進み、卒業直後にフリーターとなる若者が増えたことを明記しています。就職氷河期とは、単に景気が悪かった時代ではなく、既存の成員を広く守るために、外から入る若者に選抜圧が集中した時代でした。ここでも、自走できない人を養う余力が失われたことのしわ寄せが、まず若年層の入口に出たのです。

そして現在では、入口を開けても、採ってから長く育てる力自体が弱っています。能力開発基本調査では、人材育成に問題がある事業所が8割近くに上り、その理由として「指導する人材が不足している」「育成しても辞めてしまう」「育成の時間がない」が上位を占めます。これは、企業が気持ちの上で冷たくなったというより、育成装置そのものが痩せたことを意味します。

このため、バブル崩壊後から現在に至るまで、自走できない者を昔のように正規雇用として抱え込み続けることは、構造的に無理になりました。昔は人口ボーナスと景気が隠していた負担が、今はそのまま企業にのしかかります。したがって現在の正規雇用は、善悪の問題として非自走者に冷たくなったのではなく、そもそも養えない制度に変わったのです。ここを見誤ると、現在の担い手不足を、単なる企業の意地悪として誤読してしまいます。

非正規は氷河期と現在で何が違うのか

就職氷河期は、政策的には1993年から2004年に学校卒業期を迎えた世代を指すことが多いです。JILPTもこの定義を採用しており、この世代は労働市場への参入時点で極めて厳しい環境に置かれました。したがって、氷河期世代が「正規雇用されたかったのに、席が足りず、仕方なく非正規で働いた」と語ること自体は、かなり現実に即しています。

しかし、現在の非正規雇用は、その頃とはかなり性格が違います。総務省の2025年平均結果では、非正規の職員・従業員は2,128万人でしたが、その雇用形態を選んだ主な理由で最も多かったのは「自分の都合のよい時間に働きたいから」の757万人でした。労働経済白書でも、近年は不本意非正規が減少し、家事・育児・介護との両立や通勤事情などを踏まえた選択が目立つことが示されています。

もちろん、現在も不本意に非正規にいる人はいます。しかし、氷河期のように「本当は正規に行きたかったが、入口が閉まっていた」が中心だった時代とは違い、現在の非正規層のかなりの部分は、正規雇用の責任密度や拘束性を避け、あえてその形を選んでいます。つまり、現在の非正規人口を丸ごと正規雇用の予備軍と見なす前提自体が、すでに古くなっています。

この違いは決定的です。氷河期では、正規雇用の席が足りないことが中心問題でした。現在は、席があっても、その席に付随する負荷と責任が重いため、そもそも正規雇用を強く要望しない人が相当数いるのです。したがって「人手不足なら非正規を正規にすればよい」という議論は、現在の労働市場の実態を外しています。現在の担い手不足は、単に人数の移し替えで埋まる種類の不足ではありません。

若年人口の半減が争奪戦を生む

この構造に、若年人口の縮小が重なります。総務省によれば、18歳人口は1994年に207万人でしたが、2026年1月1日現在では109万人です。氷河期前後の厚い世代と比べると、現在の就職入口コホートはほぼ半分です。これは比喩ではなく、統計上かなりそのままの事実です。

この意味は大きいです。仮に、自走できる人材の割合が母集団の中で昔も今も大きく変わらないとすれば、その絶対数は若年人口の縮小とともに減ります。氷河期の頃に企業が採れていた水準の人材を、今も同じ人数だけ確保しようとしても、そもそも原資となる母集団が小さくなっているのです。現在の採用難は、若者が急に働かなくなったからではなく、まず前提として、争奪対象の人口が減ったことから始まっています。

しかも、企業の正規雇用需要は消えていません。2025年平均の正規の職員・従業員数は3,708万人で増加が続き、2026年1月の正社員有効求人倍率も0.99倍です。つまり、企業は今なお正規雇用の担い手を欲しています。しかし、若年人口は半減し、しかも非自走層を抱え込む余力もないため、需要は自走層へ集中しやすくなっています。

ここに現在の争奪戦の本質があります。氷河期の頃は、母集団が厚い中で入口を絞ることができました。現在は、入口人口が細い中で、なお同じ水準の担い手を求めて企業同士が競っています。したがって、現在の正規雇用の担い手不足とは、単なる景気循環ではなく、人口構造選抜水準の維持がぶつかった結果です。この衝突が続く限り、担い手不足は簡単には解けません。

自己選別を生む現在の労働市場

現在の特徴は、正規雇用の厳しさが、選考結果の後ではなく、その前から自己選別を生みやすいことです。これは単なる若者の気分の問題ではありません。企業は育成余力を失い、最初からある程度の自走を求めます。その一方で、非正規雇用には時間の柔軟性を理由とする自発的選択が多く、さらに新規学卒就職者の3年以内離職率は、2022年3月卒で高卒37.9%、大卒33.8%に達しています。こうした条件が見えていれば、応募前の段階で「自分はこの席には向かない」と読む人が増えるのは自然です。

ここで重要なのは、これは心理の話であると同時に、構造の帰結でもあるということです。正規雇用の席に入った後の責任密度が高く、途中で離れにくく、しかも育成余力の細った現場で早く戦力化を求められると分かっていれば、そこに向かないと判断する人が増えます。つまり、現在の労働市場は、選抜以前に応募者側へ自己評価と自己制限を促す構造を持っています。

その結果として起きるのは、求人があるのに応募が細るという現象です。しかも、その応募が細るのは無差別ではなく、比較的自走しやすい層に企業の関心が集中する一方で、それ以外の層は最初から非正規や短時間就労へ流れやすいというかたちで起きます。したがって現在の担い手不足は、単に「採用できない」のではなく、「採ってから回せる人に需要が集まり、その層の絶対数が少ない」こととして現れます。

ここにAIと省力化も補助線として加わります。政府は、生成AIによって将来的に一部の事務職等の労働需要が減少する可能性を明記しており、内閣府も事務的タスクの比重が高い職業ほどAIの代替性が高いと整理しています。AIが現在の担い手不足の主因ではありませんが、かつてなら補助業務として人を入れて慣れさせられた領域を薄くし、企業が採用下限を下げずに済む方向へ働いています。

まとめ

現在の日本の労働市場で正規雇用の担い手不足が生じている最大の理由は、正規雇用の中核を担うために必要な自走が、昔から一部の人間にしか安定して担えない重い要件だったからです。これは個人の生得的資質だけで決まる話ではなく、環境にも左右されます。しかし環境依存性を認めてもなお、自走が誰にでも広く成立する軽い条件ではないことは変わりません。

高度成長期には、その希少性が見えにくかっただけです。人口ボーナス、景気拡大、長期雇用、企業内訓練、配置転換によって、自走できない人まで包摂できました。昔から中核担い手として不要だった人々を、社会と企業が養うことができたのです。しかしバブル崩壊後は、その余白が失われ、現在では育成余力の不足によって、それを続けること自体が難しくなりました。

一方で、氷河期の頃の非正規雇用は「正規雇用を望んだが入口が狭かった」ことの結果として語られることが多く、その理解にはかなり理があります。これに対して現在の非正規雇用は、「自分の都合のよい時間に働きたいから」という理由が最大であり、多くは正規雇用への単純な予備軍ではありません。さらに、18歳人口は1994年の207万人から2026年の109万人へとほぼ半減しており、自走できる若手の絶対数そのものが細っています。

したがって、現在の正規雇用の担い手不足とは、人口減少で若年母集団が縮小する中で、企業が非自走層を長期に抱え込めなくなり、もともと希少だった自走層への需要が集中した結果として生じています。AIや省力化はその傾向を後押ししていますが、本体はあくまで人口構造雇用制度の変化です。現在の不足を理解する鍵は、「人手が足りない」という平面の言い方ではなく、「誰を担い手とみなす市場に変わったのか」を見ることにあります。

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