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カーボンニュートラルという幻想

2025/01/30に公開

自分の頭で考える人にとっては、当たり前のことしか述べない。

EVは、その製造過程において、ガソリン車以上にお金がかかる。
また、EVに対して充電する電気は、CO2の発生にともなっている。
EVがCO2を発生しないというには、EVの充電しているその場所だけ、EVの走行しているその場所だけを、局所的に切り出して見ているだけにすぎない。
EVを充電するための発電のしかたを考えた時点で、カーボンニュートラルなんて大嘘だ。

カーボンニュートラルとかEVとかは、ハイブリッド車で日本企業が優位を持っている状況を変えたい人たちが言い出したものにすぎない。

カーボンニュートラルは、日本のハイブリッド車を潰すための手段にすぎなくて、「ガソリン車を禁止」というロビー活動によるものにすぎない。

現代文明は、化石燃料を使うことで、人力以上のパフォーマンスを実現している。化石燃料を使わなければ、薪という森林破壊をするしかない。トウモロコシのバイオエタノールは、「薪で森林破壊する」のと同じくらいたちが悪い。それを、あたかもカーボンニュートラルという詭弁を用いているにすぎない。

中国やインドが加わらない温暖化対策は、無意味だ。
既に十分、省エネが進んだ分野でそれ以上省エネをするのは、投入する資金に対して効果は少ない。

「バイオ燃料で車を走らせれば排ガス量を減らせることは確か。しかし、全体で見ると化石燃料よりバイオ燃料は環境への負担が大きいという研究報告が発表された。」

「バッテリー生産における「知られざる環境負荷」が明らかになってきた」

「中国依存の脱炭素は愚かだ CO2と独裁国家、どちらが喫緊の脅威なのか?」


等温等圧過程の自由エネルギーは、ギブズの自由エネルギーである。

等温等圧過程の中で、現象は、ギブズの自由エネルギーが現象する側に自発的に進む。
化石燃料と酸素が、水とCO2になるときのギブズの自由エネルギーの変化量が大きいことが、
化石燃料から、電力を得たり、エンジンを作れたりする理由だ。

だから、水とギ酸のレベルで、とどめてCO2を発生しない状況が仮に作れたとしても、その場合には利用できるものが圧倒的に少なくなる。

始状態と終状態とを比較して、ギブスの自由エネルギーが大きい現象だけが、
産業革命以降の原動力になる。

化学反応が循環的であっても、始状態と終状態はある。
ブドウ糖(グルコース)と酸素がCO2の水になる反応である。
見かけ上反応が、どれほど循環的であっても、
そのサイクルの中で消費されるもの、生成されるものをみればよい。

結局は、始状態と終状態とのギブスの自由エネルギーとの差が重要になる。
バッテリーに充電・放電を繰り替え範囲だけを見るのは、系のごく一部しかみていない。

発生するCO2を局所的に取り除くことはできても、広い範囲で取り除くことはできない。
生石灰を使って、水酸化カルシウムを使って、CO2という気体を、炭酸カルシウムという固体として、温暖化ガスと発生させないというアイディアを思いつくだろうか。

でも、その場合、生石灰を作るプロセスで、同量のCO2が発生していること、高温にすることによってエネルギー消費の中でCO2をもっと余分に発生している。
だから、広い範囲でCO2を取り除くことはできない。

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