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一番認めたく無い事実から、意思決定をはじめよう

2020/10/01に公開

一番厳しい事実と向き合うというのは非常に難しいことです。

例えあなた以外の人間が、その事実に気づいていないとしても、あなただけはその事実から目を背けることはできません。もしできるとしたら、自分の目を潰すことによってしか達成できません。つまり「正しく見る能力」を自ら失うことによって、事実から目を背けようとする人間になっていきます。一度そうなって仕舞えば、正しく見る能力を取り戻すためにかかる労力と時間は、事実に向き合い汗をかくためにかかるそれよりも、莫大です。

一番認めたくない事実から、意思決定をはじめよう

エンジニアとして仕事をしていると、やらなければいけないこと、知らなくてはいけないことが無限にあるように感じられると思います。

新しいライブラリが出たから試さなくちゃ、ライブラリのバージョンが上がって新機能が出たらしい、把握しておかないと。あのスターエンジニアがツイートしていたあれについて知っておこう…等々。

ただ、人間である限りは人生は有限であり、またそれも自分が考えているよりもかなり短い時間しか与えられていませんので、次に実行すべきことを「決める」必要があります。

ではそういう場合に、「どうやって」次に実行することを決めればいいのでしょうか。

不都合な事実に目を向ける

その際に自分がいつも考えるのは、事実のうち、今自分が一番認めたく無い事実は何か、ということです。

例えば私だったら「JavaScript は全ての領域について高い生産性をもって開発が可能である」と提唱しているのにもかかわらず、実際にはフロントエンド以外の仕事を今までしたことがありません。

これは私にとって非常に不都合な事実です。

なぜならば、本来、全ての領域おいて JavaScript は生産性が高い開発が可能だという提言に説得力を持たせるためには、発言者が実際にそれを行っていた方がいいからです。基本的には、発言者がそれを実行しているのかしていないのかが、説得力もつかどうかの指標になるといっていいでしょう。

ですから、次に何をすべきなのかを決定するためには、私の場合であれば「JS がユニバーサルな開発言語であると提唱しているにもかかわらず、自分は限られた領域の開発経験しかない」ということから、思考を始めるのが良いということになります。

簡単なようで難しい、事実と向き合うこと

この不都合な事実から意思決定を始めるというのは、当たり前のように思われるかもしれませんが、人間の性質上、これは非常に難しいことです。なぜならば、人間は不都合な事実は認知できない、もしくは難しいようにできているからです。

例えば、人間全体にとって一番不都合な事実は、近いうちに全ての人間は死ぬという事実です。ここから逃れられる人間は一人もいません。当然あなたがここに含まれます。(今後もしかするとそうでない時が来るのかもしれませんが、少なくとも我々の生物学的祖先である脊椎動物が五億年間、全て死んだという事実を鑑みるに、どれだけ懐疑的な態度を取ったとしても、この文章を読んでいるあなたが未来人でなければ、確実に死ぬ運命にあるといって差し支えないでしょう)しかし、常に自分が死ぬのだという事実が知覚されていたら、人間は生きていくことが非常に難しいでしょう。また、死について考えるのは多くの人にとって非常に難しいはずです。少なくとも自分が健康なうちは、それについて考えてみても、真実味をもって考えることはできず、他人事のようにしか思えないことでしょう。必ずあなたも死ぬ運命にあるのだというのに!これほど不確実な現代において、そして多様性にとんだ人生にあっても、全ての人間に確定している将来だというのに!

繰り返しになりますが、人間が一番不都合な事実を知覚できない、もしくは知覚するのが困難であるように原理的にできているのです。なので、事実と向き合うというのは、自然とできることではありません。相当意識的にならないとできない技術なのです。

不都合な事実と向き合えないとどうなるか

不都合な事実と向き合うことは非常に苦痛が伴います。目を逸らすことができるのならば、誰しもそうしたいことでしょう。ですので、目を逸らした場合に、どのような不利益があるのかを検討するとことで、その不利益を避ける覚悟を持つ助けとすることにしましょう。

ではまず、例えば私の「JavaScript は全ての領域について高い生産性をもって開発が可能であると提唱しているのにもかかわらず、実際にはフロントエンド以外の仕事を今までしたことがない」という不都合な事実から目を背けた場合、どのような結末になるか検討してみましょう。

簡単にいえば、JavaScript がユニバーサルな言語としての地位を得ることはないでしょう。なぜなら、この言説に説得力がないからです。人がついてこないからです。ただ一人で吠え続けるだけの存在に私はなってしまうでしょう。

それだけならまだいいのですが、ついには他の技術者を馬鹿にし出すことでしょう。自分に説得力がないから、人がついてこないという事実を認めることができないと、認知は次のようにねじ曲がります。つまり「自分の提唱する真理を、理解できない愚かな技術者しかいないのだ」と。

ここまで明確な表現は使わずとも、同等のことを発言しているエンジニアはよく見ます。もちろん気持ちは非常によくわかります。努力をして探求したことが他人に理解されないというのは非常に辛いことです。しかし、そういったことはこの人類の歴史で繰り返し起きてきました。私やあなただけではないのです。そういう事実とも向かい合う必要があります。それから、それをどう打開してきたのか、できなかったのか、そういうことも探求していく必要があるでしょう。

話を戻しましょう。ある種の真実を自分は知っているということと、他者がそれを認めないということをそれぞれ事実と考えてしまうと(実際には真実であればそれを他者が理解できるという前提に問題があり、また単に自分に説得力がないから無視されているだけなのですが)、結果として、他者が愚かであるという結論を引き出すしかありません。この結論は、本来向かい合うべき「JavaScript は全ての領域について高い生産性をもって開発が可能であると提唱しているのにもかかわらず、実際にはフロントエンド以外の仕事を今までしたことがない」という不都合な事実から「目を背けたために」出された結論です。いうまでもないことですが、不都合な事実から目を背けて導き出された結論に合理性があるわけはありません。こういった考えを元に行動をしていっても、結果は全く出ません。新たな歪んだ認知を作り出し続けるだけです。

つまり、不都合な事実と向き合わずに思考を始めると、事実ではないことを事実だと思い込むことでしか論理に一貫性を与えることができなくなるため、結果として事実に基づかない、妥当性のない結論が導き出され、結果として、それにしたがって行動しても、成果が出ません。

では不都合な事実と向き合った後、次は何をすればいいのか

一番厳しい事実がなんなのかはっきりすれば、仕事はほぼ終わったようなものです。あとはこれに立ち向かうだけです。

例えば私であれば、データベースや認証、決済といった領域を JavaScript で書けばいいのです。それが正しい方向性であり、実際そうしてきました。

そして正しい道を歩んでいれば、さらに不都合な事実に向かい合うことができます。

次に生じるのはおそらく、開発したアプリケーションが価値を生んでいない、ということになるでしょう。ただ開発するだけであれば何を使っても可能です。重要なのは、それが価値を生んでいるのかどうかということでしょう。誰も使っていないアプリケーションが JavaScript で書かれていたって仕方がないわけです。

ですから次は、ある程度ユーザーがあるアプリケーションを JavaScript で開発していく必要がある、ということが明確になります。

そして次は、本当に大量のユーザーが使うアプリケーションでも有効なのか?ということを証明しなくてはいけないでしょう。小規模な開発では有効でも、大規模なアプリケーションならあまりうまくいかないのでは?という当然な疑問に対して回答をしていく必要があるからです。

なんにせよ、正しく不都合な事実と向き合うことができれば、やるべきことは明確になります。そしてやるべきことが明確になりさえすれば、仕事はほぼ終わったようなものです。順番にやっていけばいいだけです。といっても何ヶ月も、何年もかかることにはなりますが…

よくある不都合な事実に対する一般的な回答

ここまでは私の例を検討してきましたが、ここからは、みなさんによりこの考え方をうまくつかえるように、一般的な例に対して、自分であればどう考えるかということを示していきます。

フリーランスになるか悩んでいる

会社員エンジニアがフリーランスになるかどうか悩んでいる。

職業というのは非常に人生において大きな要因ですから、悩むのは非常にわかります。しかし、常に何らかの決断を行わないことには、人生は進みません。こういった難しい決断ができない場合には、不都合な事実から目を背けている可能性が高いといっていいでしょう。つまり、意思決定に必要な情報を意図的に収集しないということが、心の水面下で起きている可能性が高いのです。決断に必要な情報を集めないから、意思決定が進まずに、いつまでも同じところにいるのです。

まず、なぜ会社員からフリーランスになりたいと思っているのか、その部分をしっかり考えることがブロックされている可能性が非常に高いでしょう。自分が本当に感じていることを隠すと、認知がねじ曲がっていくのでいつまでも正しい意思決定ができません。例えば、フリーランスの方が賃金が高いことに気づいたので転身したいのに、それを認めないことになると、フリーランスは税金が高い、事務処理が多いのでそれを肩代わりしてくれる会社員のほうがトータルの所得は高い、といったような嘘の理由を自分に投げかけることで、意思決定を先延ばしにすることになります。

なぜある行動をしたいと思っているのか、まずそれを素直に認めることが、全ての意思決定のスタート地点です。なぜフリーランスになりたいと思ったのか、素直にリストを書くことにしましょう。人に見せる必要はありません。恥ずかしいことがそのリストに並んでいたっていいのです。会社員よりかっこよさそうだから、とか、モテそうだから、とか、人が注目してくれそうだから、とか…とにかく自分がなぜそれをしたいのか、正直に自分だけは認識する必要があります。これを正確にできないと、全ての意思決定に意味がなくなります。

ダサいリストが出来上がったら、それを本当に自分はしたいのか、もう一度考えて欲しいのです。もう一度考えて、それでも望むなら、いくらダサくてもそのリストに従って行動しましょう。

この場合、一番認めたくない事実は、自分がやりたいことは「めちゃくちゃダサいこと」なんだということだと思います。自分がダサいということはまさに「一番認めたく無い事実」です。それをしっかり認められたら、フリーランスになるかどうか、という悩みはなくなるはずです。ダサくたってフリーランスとしてカフェでイキった作業写真をアップロードしたいんだという自分の気持ちを認めることができれば、多分もう悩むことはなくなります。あとはそれに向けて案件を探したりすればいいだけです。

一番認めたくない事実を認めれば、必ず先に進める

普通、自分がダサいなんて認めることはできないですよね。しかし、一番認めたくない事実を放置しているかぎりは、絶対に先に進めません。一番認めたくない事実を「放置」していることが一番ダサいのです。一番認めたくない事実に向き合って、先に進みましょう!

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