🐕

Zennの英語翻訳機能の投稿を見て、自分の記事の立ち位置や翻訳されることについてどう思うかを考えた話

に公開

はじめに

Zennに英語翻訳機能が搭載されました。
https://x.com/zenn_dev/status/2009523822085722497
この機能について、肯定的な意見と否定的な意見の両方を目にしました。
それらを見ているうちに、ふと気になったことがあります。
自分はなぜ、どちらか一方の立場をとるというスタンスにならなかったのだろうかということです。

今回はその疑問をきっかけに、自分の感覚を整理してみようと思います。
なお、この記事は英語翻訳の是非を判断するものではありません。
あくまで自分の感覚を整理するためのポエムです。

他人の意見を見て感じたこと

まず、否定的な意見を見て「わかる」と感じました。
自分の書いた言葉が、自分の責任ではないところで別の言語に加工されます。
その過程で文脈や熱量が削ぎ落とされてしまいます。
しかも、それがGoogle翻訳のように読み手が能動的に行う作業ではなく、プラットフォーム側で自動的に発生します。
このような自分の書いた内容が、自分の知らぬところで加工されることに抵抗を感じることはごもっともだなと思いました。

一方で、肯定的な意見にも「わかる」と感じました。
プラットフォームがよしなにやってくれることで、読み手の門戸が広がります。
英訳したものを提供することで、普段ではつながれなかった人とつながれる可能性があります。
Zennに投稿している身としては、より多くの人に読んでもらうための施策を考えてくれていることは素直に嬉しいです。

ただ、どちらの意見にも共感はしつつ、自分自身は「へーそうなんだ」くらいの感覚でした。
なぜ自分は強い感情を持たなかったのでしょうか。
そこを掘り下げてみることにしました。

自分の記事の立ち位置

英語翻訳について考える前に、そもそも自分の記事がどのようなものかを整理してみます。

私が書く記事は、自作プロダクトの解説ではありません。
OSSや技術仕様の解説が中心です。
つまり、私が書く内容には、すでにRFCや公式ドキュメントという一次情報が存在しています。
そう考えると、自分の記事は二次情報という位置づけになります。

ただし、二次情報だから価値が低いとは思っていません。
一次情報と二次情報は役割が違うからです。
一次情報には正確性や網羅性が求められます。
対して二次情報は、理解の補助や橋渡しを担います。
そして何より、二次情報は書き手の熱意を伝えることができます。

以上のように、私の記事は二次情報としての役割を担っており、熱意を伝えることが求められていると考えています。

二次情報についての自分の考え

二次情報というものを私がどう考えているか、もう少し掘り下げてみます。

二次情報は、一次情報ほどの網羅性や、記載内容と実際の挙動の完全な一致が求められないと思っています。(完全に主観です。後後述しますが、正確性が求められない=無責任でよいという意味ではありません。)
その代わり、書き手のこだわりが見えることに価値があると考えています。
「自分は」どう感じたのか、「自分が」注意したほうがよいと感じた点は何かといったことです。
そういった主観が入ることで、読み手にとっての理解の手助けになります。

一方で、二次情報である以上、最終的にその情報を信じるかどうかは読み手の責任だと考えています。
一次情報を確認せずに二次情報だけを鵜呑みにするリスクは、読み手が負うものだと考えています。
ただ、明記しておきたいこととして、これは読み手への攻撃ではありません。
二次情報というものの性質上、そうならざるを得ないと私が考えているに過ぎない点は留意ください。

今回の英語翻訳について考えた結果

ここまで自分の記事について整理してきました。
その上で、今回の英語翻訳についてどう思うかを書いていきます。

まず、二次情報である以上、正確性の最終判断は読み手に委ねられます。
なので、翻訳によって情報が多少変質したとしても、その影響は限定的だと考えます。
もともと読み手が一次情報を確認する前提であれば、翻訳の精度が落ちても大きな問題にはならないと思っています。

次に、翻訳によって熱量が削がれる可能性についてです。
今回のケースだと、自分の意志で投稿ボタンを押した文章ではないものが、自分の名前で表示されることになります。
それは、他者から見ると自分ではない誰かが語っている文章のように見えるかなと思います。
これを嫌だと感じる人がいることも理解できます。
ただ、これについては「翻訳とはそういうものだよね」という感覚で、強い嫌悪感はありません。
なので、自分は「そういうものだよね」と感じてはいますが、自動翻訳を手放しで肯定できるとも思っていません。

そしてもう一つ、考えていて気づいたことがあります。
そもそも、読み手が生成AIで翻訳するのと、プラットフォームが翻訳するのとで、本質的な差があるのだろうかということです。
英語圏の人が日本語の記事をコピーして、生成AIに英訳してもらって読みます。
それと、プラットフォームがあらかじめ英訳したものを提供します。
考えてみると、どこが英訳を担当するかの違いでしかないと感じました。
これも、自分が強い感情を持たなかった理由の一つだと思います。

以上の英語翻訳されることによる影響や、翻訳する主体の違いを考えた時に、自分は今回の件について「へーそうなんだ」と感じるとどまったのだと実感しました。

書くことについての補足

最後に記事とは直接関係ないですが、一点だけ書いておきたい内容があります。
ここまで、二次情報の正確性の判断は読み手の責任と書いてきました。
ただ、それは書き手が無責任でよいという意味ではありません。
このことだけは明記しておきたいです。

実際に、私は記事を書く際に公式ドキュメントやRFCを確認しています。
可能な限り誤りを減らそうとしていますし、きちんと動くかの技術検証もしています。
文章の構成も考えて、読んでいる人に伝わるようにと意識しています。
時間をかけて、自分の気になる情報を伝えたいという熱意を持って記事を書いています。
読み手の責任があるから書き手は無責任でよいとは全く思いません。

内容の精査は読み手の責任だとは思いますが、いい加減な内容を投稿して良いと言っているとは思われたくなかったため、別途書かせていただきました。

おわりに

今回の議論をきっかけに、自分がなぜ技術記事を書いているのか、そして自分の記事をどう捉えているのかを整理できました。
強い肯定も否定も持たなかった理由が、自分なりに言語化できたのは良かったです。
これからも同じ距離感で技術記事を書き続けようと思います。

Discussion