「よい技術記事」とは何なのかについて考えてみる
はじめに
最近そこそこ記事を投稿していますが、ふと思う時があります。
「よい技術記事」ってなんだろうと。
今回はそんな疑問について考えていこうと思います。
よい技術記事とは問いを生む記事である
よい技術記事とは、読者に問いを生む記事であると考えます。
ここでいう問いとは、「自身の内省を促す」と「活用法を考える」の二つを指します。
自身の内省とは、今のやり方が正しいのか、もっと良い方法はないのかを考えることです。
技術記事を読んで、自分の現在の方法や考え方に疑問を持ち、改善の余地がないかを模索することは、技術者としての成長に欠かせません。
活用法を考えるとは、技術の基礎部分は記事で理解したが、さらに自ら良い使用方法を考えることを指します。
技術の基本的な使い方は記事で学べたとしても、それを実際の問題解決にどう応用するかは読者自身が考える必要があります。
よい技術記事は、読者にそのような能動的な思考を促すものとなります。
以上のことから、その記事だけで完結しない、すなわち問いを生む記事がよい記事と考えます。
記事の内容をそのまま受け取るだけでなく、それを起点として自分なりの思考を巡らせることが重要なのです。
よく読まれる記事=よい技術記事ではない
よく読まれる記事は役に立つ記事です。
特定の問題を解決するための方法が具体的に書かれていたり、わかりやすく解説されていたりするため、多くの人が読むのでしょう。
そのような記事は疑問を解消するためには使えますが、その記事を起点とした発展的な思考を促すことはできません。
もちろん、よく読まれる記事の中にも有益なものは多くあります。
ここで考えるよい技術記事とは異なるだけで、今回の定義している範囲から外れているからと言って、そのような記事に価値がないわけではありません。
あくまで、今回の要件であるよい技術記事とは異なるということだけを伝えたく、この節を設けています。
よい技術記事になりうる条件
よい技術記事になりうる条件は以下のとおりです。
- 一次情報であること
- 有名な人が書いた記事であること
一次情報はそれ自体が情報の基準となります。
一次情報は事実のみを記載しようとするため、自分ならどうするかを考えることを促します。
問いは事実からの方が生み出されやすいのです。
例えば、あるプログラミング言語の新しい機能についての記事があったとします。
その記事が、その機能の仕様や使い方をドキュメントから引用して説明するだけでなく、実際にその機能を使ってみてわかったことや、その機能によってできるようになったことを具体的に示しているなら、それは一次情報と言えるでしょう。
読者はその記事から、自分ならその機能をどのように活用できるかを考えるきっかけを得られます。
一方、丁寧にまとめたとしても二次情報以降は書き手の主観が入るため、その理解や解釈が記事に入ってしまい問いを生みにくくなります。
チュートリアルはドキュメントを分かりやすく咀嚼し、初学者の理解の助けにはなりますが、読む人が疑問を生むような内容にはなりにくいのです。
書き手の主観が入ると、読者はその主観が頭によぎってしまい、自分ならどうするかを考えるきっかけになりにくいです。
このようによい技術記事というのは、読者に考えるための空間を作ることとなります。
もう一つのよい技術記事となりうる条件である、有名な人が書いた記事についても見ていきます。
有名な人が書いた記事は 100%よい技術記事になるとまでは言えませんが、一定の条件を満たせばよい技術記事となります。
その条件とは、有名になった分野に関わることの記事であるということです。
有名な人が書いた記事はしっかり読まれます。
記事には学びがあるかもしれないという期待感で読み手は読むのです。
となると、記事の内容や行間についても意図を考えながら読みます。す
ると、捉えきれなかったことについて考えたり、自分ならどうするかを考えます。
これすなわち「問いを生む記事=よい技術記事」にほかなりません。
ここまでのまとめ
ここまでのまとめとして、記事の内容そのものよりも対象としている人やもののほうが重要だと言えます。
よい技術記事を書くという前提なら、書く技術を学ぶより、作る技術を学ぶ方が大切なのです。
自身の提供できるものが無ければ、内容を文字にすることもできませんし、名を知らしめることもできません。
有名でも提供できるものもない私はどうすればよいのか
有名でも一次情報になりうるものもない私みたいな人間はどうすればよいのでしょうか。
まず第一の選択肢とてい、会社に所属しているなら、業務で行ったことを経緯含めて書くのがよいと考えます。
会社というのは利益を挙げているからこそ存在しています。
直接・間接に関わらず利益をあげるための営みを書くことで、有名な人が書いた記事と似たような効果を生み出すことができます。皆利益をあげるための専門家なのです。
例えば、自分が携わったプロジェクトでどのような技術的課題があり、それをどのように解決したのか、そのために自分がどのような役割を果たしたのかを具体的に書くことができれば、読者にとって参考になる情報になると思います。
そのような記事は、読者に「自分ならどうするか」を考えさせる良質な問いを生み出すはずです。
あるいは、有名になれるように自分の武器を磨き、アプリやライブラリ、方法論など成果を残すよう努力するのもよいと考えます。
何を書くか、どう書くかより提供できる内容の充実を図る方が先なのです。
技術記事においてはよい書き手より、よい作り手の方がよい技術記事を作りやすいです。
オープンソースソフトウェアやライブラリを開発したり、自分なりの方法論を提案したりすることで、一次情報の発信者になることができます。
そのような活動を通じて技術力を高め、その過程で得られた知見を記事にすることで、よい技術記事を書くことができるはずです。
よい技術記事でなければ書いてはいけない?
そんなことは全然ありません。
書くことでしか生まれないつながりもあります。
書くことで良い記事を皆に広めることができ、良い記事を読む気力を与えることができます。
一次情報をちゃんと読むのは難しいので、ハードルさげるためにも使えます。
特に、初学者にとってはよい技術記事を読むのはハードルが高いかもしれません。
わかりやすく解説された記事は、初学者にとって学習の手助けになります。
そのような記事を書くことで、より多くの人に技術の面白さを伝えることができるでしょう。
でも、良い記事を作りたいなら書く以外で価値を高めることが大切です。
書くことはあくまで最低限の条件でしかありません。
よい技術記事を書くためには、日頃から技術力を高める努力が欠かせません。
新しい技術を学んだり、実践で使ったりすることで、自分なりの知見を蓄積することが重要です。そうした知見があってこそ、よい技術記事を書くことができると私は考えています。
おわりに
よい技術記事について考えてみました。
少し論として荒い部分もありますが、書ききれて良かったです。
色々書きましたが、何を書くかではなく、誰が書くほうが重要だということを一番伝えたかったです。
とはいえ書くこと自体は楽しいので続けたいですが、書くことだけで満足しないために自身の戒めとしても書きました。」
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