継続できるかどうかは、意志ではなく「やることが決まっているか」だった
はじめに
意味のある github の履歴を毎日作成したほうがいいというのは聞いたことがありました
ですが
「継続が大事なのは分かるけど、実際できるものかなぁ?」
と思っていました。
そんな中 単純な npm パッケージ を作成していたところ
週末に気分が乗れば触る程度だった私が2週間ほぼ毎日 GitHub にコミットしていました
正直、自分でも少し驚きました。
なぜ意識していなかったのに、それほどまで取り組むことができたのかを考えてみました
不思議だったこと
冷静に考えると、技術的に難しいことをしていたわけではありません
- 小さな修正
- README の調整
- 処理の整理
- ライセンス周りの確認
作業時間も短い日が多かったです
それなのに なぜか続いた
一方で、同じ時期に考えていた別のことはこうでした
- 勉強系のこと
- 別の個人開発
- 調べてまとめたいネタ
これらは全部、
「土日にやろうかな」
「時間があるときにやろう」
で止まっていました
違いを分解してみる
npm パッケージの作業
- 触る対象が決まっている
- やることが具体的
- 1回の作業が小さい
- 途中で終わっても問題ない
GitHub を開くときには
「今日はこれをやる」
というのがすでに決まっている状態でした
続かなかった作業
- 何をやるか毎回考える
- ゴールが遠い
- 1回の作業が重い
- 途中で止めにくい
つまり、始める前に考えることが多い 状態でした
気づいたこと:判断コストが違う
ここで一つの言葉に行き着きました
判断コスト
判断コストとは
「次に何をするか決めるために必要な思考エネルギー」のこと(らしいです)
続いた npm パッケージ作業は、
- 判断コストがほぼゼロ
- すぐ作業できる
→ まず何から始めるかを考え、その段階で後回しにするというのを毎回繰り返していた
続かなかった作業は、
- まず「今日は何をするか」を考える必要がある
- その時点で疲れる
- 結果、先延ばしになる
なぜ「やることが決まっている」と続くのか
人は、
- 選択肢が多いほど動けなくなる
- 行動前にエネルギーを使い切る
それを踏まえて
npm パッケージ作業は、
- 選択肢が少ない
- 判断が自動化されている
- 行動までが短い
→ 必然的にコードに触れgithubに反映される作業内容になっていた
結論
2週間 GitHub を触り続けて分かったのは、
継続できなかったのは、意志が弱かったからではない
毎回「何をするか」を考えるということから始めていて取っ掛かりずらい環境から逸脱することができていなかった
やることが明確なほど取っ掛かりが作成されていることが重要ということ
おわりに
今回の記事は、
特別な成果が出た話ではありませんが、なぜ自分が意識せずに良い習慣を実行することができていたのか、それの継続を行うためには何をするべきかについて書いてみた記事のため、参考になれば幸いです
何かに取り組むときや、プロジェクトのリーダーとなった際にはこれらの事を意識することで、最大限のパフォーマンスを引き出せるようにしたいです
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