「何か違う」の正体、熟練者がAIとすれ違う理由
自分の周りを見てみると、熟練者ほどAIの利用に苦労しているように感じています。
一方で、経験が浅い人ほどAIをスムーズに使えているように見える。
このギャップは、どこから来ているのでしょうか?
はじめに
最近、この現象がずっと気になっていました。
自分自身も「何か違う」と感じることが多かったからです。
考えを巡らせていくうちに、ふと腑に落ちる瞬間がありました。
この記事では、その気づきを言語化してみたいと思います。
TL;DR
- 熟練者がAIに感じる「何か違う」は、AIの能力不足ではなく、まだ渡していない情報があるサイン
- 知っているからこそ伝えられない—「知識の呪い」が熟練者ほどAI活用を難しくする
- AI時代、言語化スキルが最強の武器になった。「知っている」だけでは価値にならない
対象読者
- AIを使ってみたけど「何か違う」と感じているエンジニア
- 経験を積んできたのに、新人の方がAIを使いこなしているように見えて悔しい方
- AIとの協働を、もっと生産的にしたい方
熟練者は基準が高いから、AIの出力に満足できない?
「熟練者の方が求める基準が高いから」
これは、ある程度正しいように思えます。
実際に私自身、AIのアウトプットを確認した際に「これではだめだ」、「もっとこうすればよいのに」と思うことが多々あります。
でも、本当にそれだけでしょうか。
そうではなく、「何かが根本的にズレている」という感覚があります。
この「ズレ」の正体は何なのか。考えてみたいと思います。
同じ15文字、違う世界
ちょっとした思考実験をしてみます。
チームのSlackで、以下の障害報告が飛んできたとします。
本番で500エラーが出ています
【1回目】まず、頭を真っ白にして見る
何も知らない第三者として、この15文字だけを見てみます。
何がわかるでしょうか?
「どこかで何かが起きている」「エラーらしい」「500だからサーバーエラー?」
それくらいではないでしょうか。
【2回目】自分の知識と経験をフル動員して見る
次に、自分が持っている環境についての知識と経験をフル動員した上で見てみます。
本番で500エラーが出ています
今度は何が見えましたか?
「本番、ユーザー影響あり、優先度高い」
「500、サーバーサイドの問題」
「どのコンポーネント?あそこならまずい」
「最近のリリースは?どのエンドポイント?」
「ログは?スタックトレースは?」
「過去に似た障害は?」
「今、誰が対応できる?」
一瞬で、これだけのことが頭をよぎったのではないでしょうか。
AIに見えているもの
同じ15文字なのに、見えているものがまったく違います。
ここで考えてみると、AIが私たちから受け取る情報は「1回目」と同じです。
2回目で見えたシステム構成、過去の障害パターン、チームの状況は、言葉にして渡さない限り、AIには一切見えていません。
「何か違う」の正体
ここに「何か違う」の正体があるような気がします。
熟練者がAIの出力に感じる「何か違う」。
それは「間違っている」でも「下手だ」でもない、もっと根本的な感覚です。
「あるはずのものが、ない」という違和感。
私たちは無意識に、たくさんの「こうあるべき」を持っています。
エラーハンドリングはこう書く。このパターンは過去に痛い目を見たから避ける。
これらは自分の手を動かすときには、自動的に適用されてきました。
しかし、AIには、その「こうあるべき」が伝わっていません。
だからAIの出力には、いつもあるはずのものがない。
私たちは「何か足りない」と感じる。
でも、何が足りないのかを言葉にできない。
暗黙知が伝わっていないという、言葉にならない欠落感。
この欠落感こそが、「何か違う」という違和感の正体ではないかと思います。
これまでは言葉にする必要がなかった
正体がわかったところで、次の疑問が浮かびます。
なぜ、その「こうあるべき」を言葉にしないのでしょうか?
答えはシンプルで、これまでは言葉にする必要があまりなかったからだと思います。
500エラーの例で考えてみます。
熟練者は頭の中で考えながら、自分の手でログを調べ、自分の手で対応を進める。
考える主体と、手を動かす主体が、同じ人間でした。
だから、暗黙知は頭の中にあれば十分でした。
ところが、AIは渡された言葉しか見えません。
これを図にすると、こうなります。
【これまで】 頭 → 手 → コード(一体)
【AIがある今】頭 → [言語化] → AI(手) → コード(分離)
両者が分離した結果、「言語化がボトルネック」 になりました。
知識の呪い
そして厄介なことに、熟練者ほど言語化が難しいです。
認知科学では、これを「知識の呪い(Curse of Knowledge)」と呼びます。
知っている人は、知らない人の視点に戻れなくなる現象です。
「熟練」とは「省略すること」 です。
省略することで速くできるようになり、また、より高度なことに思考を割くことができるようになります。
その意味では、言語化は余計な工程でした。
さらに、知識が自動的に見えてしまうから、「自分だけに見えている」と気づけません。
空気が透明なように、自分の知識も透明になってしまう。
知っているからこそ、伝えられない。
初心者は暗黙知が少ないから、言語化で失われるものも少ない。
だからAIの出力に満足できます。
これが、熟練者がAIに苦労して、初心者がさほど苦労しない理由なのではないかと思います。
ただし、初心者が「満足できる」ことと「質の高い成果を出せている」ことは別の話です。
むしろ、熟練者が感じる「何か違う」は、AIの限界を正しく検出できている証拠です。
「知っているからこそ、ギャップが生まれる」 という皮肉な逆転です。
言語化が最強のスキルになった
ここまでの話を踏まえると、一つの結論が見えてきます。
それは、私たちの価値が「何を知っているか」から「何を言語化できるか」にシフトしたということです。
言語化できれば、自分の何年もの経験をAIに渡せる。
「何か違う」が完全になくならないにしても、一定の軽減はできそうです。
これが、熟練者の今後の役割になっていくのかもしれません。
では、どうすれば言語化できるようになるのでしょうか?
「何か違う」をトリガーにする
その鍵は、シンプルに「何か違う」を無視しないことだと思います。
AIの出力を見て「何か違う」と感じた瞬間。それは言語化の最大のチャンスです。
3つの問いを投げかけてみます。
- 「何が」違う?
- 「どう」違う?
- 本当は「どうあってほしかった」?
すると、暗黙知が少しずつ言葉になって出てきます。
そしてそれは、次回AIに渡すべき情報そのものです。
違和感を「AIの能力不足という不満」で終わらせず、「発見」に変えるというシンプルな行動です。
まとめ
熟練者がAIに感じる「何か違う」。
その正体は、AIの能力不足ではなく、まだ渡していない暗黙知があるというサインです。
そして皮肉なことに、「知っているからこそ、伝えられない」。
熟練者ほど、この壁にぶつかります。
でも、その違和感の中にこそ、長年熟成されてきた未発見の宝箱が眠っています。
次に「何か違う」と感じたとき、その宝箱をなんとかこじ開けてみようと思います。
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