【海外アプリ探訪①】鳥を育てないと自分が死ぬアプリ「Finch」の話
はじめに——あるいは、言い訳
今日から新シリーズを始める。
日本にまだ未上陸のアプリやサービスを紹介していく、という企画である。
「未上陸」と書いたが、正確に言うと「日本のApp Storeからダウンロードはできるが日本語に対応していない」ものも含む。つまり、英語の壁という名の関税がかかっている状態だ。
なぜこんな企画を始めるのか。
理由は単純で、自分のサービスのネタが尽きたからである。
会員21名のサービスについて書ける話題には限界がある。限界というか、もう書いた。全部書いた。会員一人ひとりにインタビューして回ろうかとも思ったが、21人中8人は私の知り合いなので取材にならない。
というわけで、海の向こうに目を向けることにした。
第一回は「Finch」。
鳥のアプリである。
Finchとは何か
Finchは、一言で言えば**「自分の面倒を見ないと鳥が育たないアプリ」**である。
もう少し丁寧に言うと、セルフケア(自己管理)をゲーミフィケーション(遊び化)した、メンタルヘルス支援アプリだ。
2021年にアメリカ・サンタクララで生まれた。シリコンバレーのお膝元である。メンタルヘルスのアプリがシリコンバレーから出てくるあたり、あの界隈の精神的疲弊が透けて見えるような見えないような。
仕組みはこうだ。
- アプリを開く
- 小鳥を一羽もらう(色と名前と代名詞を選ぶ)
- 毎日「水を飲む」「散歩する」「日記を書く」などのタスクをこなす
- タスクを完了するとエネルギーが貯まる
- エネルギーで鳥を冒険に送り出す
- 鳥が成長する
- 自分のメンタルも(たぶん)改善する
要するに、たまごっちの逆である。
たまごっちは「ペットの面倒を見る」ことが目的だった。Finchは「自分の面倒を見る」ことが目的で、鳥はそのご褒美だ。
中島らもは『今夜、すべてのバーで』の中で、アル中の主人公に「自分の体は自分のものじゃない」と言わせた。自分の体の面倒を見られない人間は確かにいる。私もその一人だ。水を飲むことすら忘れる。肩が凝っていることに三日後に気づく。メンタルの不調に至っては、「あ、あれ鬱だったんだ」と半年後に振り返って初めてわかる。
そういう人間にとって、鳥が可愛いから水を飲むというのは、わりと合理的なソリューションなのかもしれない。
創業者の話——鬱と不安から鳥が生まれた
Finchの創業者は二人いる。Stephanie Yuan(ステファニー・ユアン)と、Thomas Aquinas Nugraha Budi、通称Nino(ニーノ)。
二人とも、長年の鬱と不安障害を抱えていた。
ステファニーは28歳のとき、客観的に見れば人生が最高の状態にあった。12年続く幸せな関係、素晴らしいスタートアップでの仕事、絶縁していた父親との和解。それでもメンタルは崩れた。
**「人生が順調なのにメンタルが最悪」**というのは、周囲に理解されにくい苦しみだ。「何が不満なの?」と言われてしまう。不満じゃないんだ、脳がバグっているんだ、と叫びたいが叫べない。
二人はいくつものアプリを試作しては失敗を繰り返した。「セルフケアペット」というアイデアは、最後の悪あがきだったという。
初期バージョンは今とだいぶ違っていた。鳥が毎日危険な障害物に遭遇し、ユーザーがセルフケアをすることで鳥を「生き延びさせる」という仕組みだった。鷲に襲われ、雷に打たれ、幽霊に脅かされ、エイリアンに誘拐される鳥。
……カオスである。
友人に見せても誰もピンとこなかった。しかし二人はそのまま公開した。
すると、ユーザーが翌日も戻ってきた。
鳥の力は偉大だった。
機能紹介——鳥を育てるために自分を育てる
Finchの機能を一通り紹介しよう。全部鳥のためである。いや、自分のためである。いや、もうどっちでもいい。
デイリーチェックイン
毎日、自分の気分とエネルギーレベルを記録する。5段階の顔文字で。
「今日の気分は?」と聞かれて顔文字を選ぶだけ。簡単だ。だが、この「自分の気分を意識する」という行為自体が、意外と難しい。
「普通」を選びがちだ。「普通って何だ」と哲学が始まる。「普通の定義とは」「そもそも気分とは」「気分と感情の違いは」——鳥を育てようとしただけなのに、ソクラテスになってしまう。
習慣トラッキング
「水を飲む」「ストレッチする」「日記を書く」「友人に連絡する」など、日々の目標を設定して達成をチェックする。
目標は自分で追加もできる。「推しのライブ映像を観る」とか「猫を5分間なでる」とか、そういうのもアリだ。たぶん。
一つ完了するたびに鳥にエネルギーが貯まる。鳥のために水を飲む。鳥のためにストレッチする。もはや鳥の下僕である。
ジャーナリング(日記)
自由記述の日記や、アプリが出してくれる質問に答える形式の日記が書ける。
「今日感謝していることは?」「最近嬉しかったことは?」などの問いかけ。
ポジティブ心理学でいう「感謝の実践」というやつだ。効果があることは科学的に証明されている。
問題は、聞かれてもすぐに出てこないことだ。「感謝していること……えーっと……Wi-Fiが繋がっていること?」くらいしか浮かばない日もある。
でもそれでいい。Wi-Fiに感謝できる人間は、たぶんまだ大丈夫だ。
呼吸エクササイズ
ガイド付きの呼吸法。不安が高まったときに使う。
吸って、止めて、吐いて。
呼吸を意識的にやるというのは不思議な体験だ。普段は無意識にやっているのに、意識した途端にぎこちなくなる。「あれ、息ってどうやって吸うんだっけ」と混乱する。
人間の体は、意識した途端に不自由になる。歩き方を意識すると変な歩き方になるし、瞬きを意識するとタイミングがわからなくなるし、呼吸を意識するとなぜか苦しくなる。
意識しないほうがうまくいく。人生と同じだ。
メンタルヘルスクイズ
不安度、鬱度、ボディイメージなどに関するセルフチェッククイズ。
結果を見て「あ、自分けっこうやばいんだ」と気づくためのもの。気づかないよりは気づいた方がいい。たぶん。気づいたあとどうするかは別として。
冒険
貯めたエネルギーで鳥を冒険に送り出す。鳥は森を探検し、成長し、新しい性格特性を獲得し、やがて世界中を旅するようになる。
鳥が成長するにつれ、赤ちゃん→ティーン→大人と姿が変わっていく。
自分は何も変わっていないのに、鳥だけがすくすく育っていく。
……いや、自分も変わっているはずだ。水を飲んでいるし。ストレッチもしたし。Wi-Fiにも感謝した。
マイクロペット
鳥以外にも小さなペットを集められる。卵から孵化させ、15回の冒険で成長させる。
収集欲を刺激するシステムだ。人間は「集める」ことに本能的な喜びを感じる。切手でも、ポケモンでも、借金でも。いや、借金はただ溜まるだけだ。
ファーストエイド(応急処置)ページ
ここは真面目な話。
パニックになったとき、強い不安に襲われたとき、すぐにアクセスできる緊急ページがある。呼吸法、グラウンディング(五感を使った現実認識)、そして相談窓口の電話番号。
ゲーミフィケーションの中に、ちゃんと「ガチ」の部分が仕込まれている。
ここが、Finchが「ただの可愛いアプリ」ではない理由だ。
日本語対応していない問題
さて、ここで残念なお知らせだ。
Finchは日本語に対応していない。
App StoreやGoogle Playからダウンロードはできる。動く。使える。ただし全部英語だ。
日本のApp Storeのレビューには、こんな声が並んでいる。
「日本語対応したら1年間のプラン入りたいっていうくらいかな」
「ぜひ日本語対応して欲しいです!」
「翻訳を使いながらなんとか使っています」
みんな鳥を育てたいのに、英語の壁に阻まれている。
さらに問題がある。為替の壁だ。
有料プラン「Finch Plus」は月額5ドルだが、日本では為替レートの関係で年間約11,000円になるという。ドルベースでは年間60ドル(約9,000円)のはずが、Appleの価格帯設定のせいで割高になる。
英語しか使えない上に、料金まで割高。
日本のユーザーは二重の関税を払わされている。
ただし、基本機能は無料で使える。「本当に困っているときに必要な機能は全部無料にする」というのが開発チームのポリシーだそうだ。ここは素直に偉いと思う。
ゲーミフィケーションの功罪
ゲーミフィケーション、つまり「ゲーム要素を使って行動を促す仕組み」は、セルフケアと相性がいい。
なぜなら、セルフケアはとにかく退屈だからだ。
「水を飲みましょう」「ストレッチしましょう」「早く寝ましょう」——正しい。圧倒的に正しい。正しすぎて頭に入ってこない。小学校の保健室に貼ってあったポスターと同じだ。正論は人を動かさない。
しかし「水を飲まないと鳥が冒険に行けない」となると話が変わる。正論ではなく、感情が動く。
一方で、ゲーミフィケーションには副作用もある。
毎日ログインしてタスクをこなさないと、という義務感が生まれることだ。セルフケアが義務になった瞬間、それはもうセルフケアではない。ストレス解消のためのアプリがストレスの原因になるという本末転倒。
12時間のクールダウンがあるため、一日中張り付く必要はないのだが、「今日もちゃんとやらなきゃ」というプレッシャーを感じる人は確かにいるだろう。
薬も過ぎれば毒になる。セルフケアも同じだ。
所感——鳥に救われる人間の滑稽さについて
中島らもは『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』の中で、人間のどうしようもなさを愛おしく描いた。酒に溺れ、仕事をさぼり、借金を重ね、それでも生きている人間たちを。
Finchを使っている人たちも、きっとそうだ。
水を飲むことすら忘れる。朝起き上がるのがつらい。人に連絡する気力がない。自分の感情がわからない。何が辛いのかもわからない。
そんな人間が、スマホの中の小さな鳥のために、水を飲む。
滑稽だろうか。
滑稽だろう。画面の中のドット絵の鳥のために水を飲む大人の姿は、客観的に見れば相当に滑稽だ。
でも、飲まないよりはいい。
理由が何であれ、水を飲んだという事実は変わらない。鳥のためでも、ポイントのためでも、惰性でも。体に水分が行き渡ったという物理的事実は変わらない。
動機が不純でも、結果が正しければそれでいい。
これは、セルフケアに限らず、人生全般に言えることかもしれない。
正しい理由で正しいことをする必要はない。間違った理由で正しいことをしても、正しいことは正しい。
鳥を育てるために自分を育てる。
その転倒した因果関係の中に、どこか人間らしい温かみがある。
シリーズについて
この「海外アプリ探訪」シリーズでは、日本にまだ上陸していない(あるいは日本語対応していない)海外のアプリやサービスを紹介していきます。
次回は未定です。面白いサービスを見つけたら書きます。見つからなかったら書きません。
ネタをお持ちの方がいたら教えてください。会員21名のサービスを運営している人間に、海の向こうのサービスを教えてくれる奇特な方を求めています。
Finch公式サイト: https://finchcare.com/
App Store: https://apps.apple.com/us/app/finch-self-care-pet/id1528595748
Google Play: https://play.google.com/store/apps/details?id=com.finch.finch
参考:
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