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若手に「周りを巻き込む力」を求めることは、本当に正しいのか

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はじめに

近年、多くの企業で、若手社員にも主体的に動き、周囲を巻き込みながら物事を前に進めることが求められるようになっている。役職や年次に関係なくリーダーシップを発揮することが重要だ、という考え方は、Amazonのリーダーシップ・プリンシプルをはじめ、グローバル企業の人材観にも色濃く表れている。変化が激しく、正解が見えにくい環境において、現場からの自律的な提案や改善がなければ組織は停滞する。この意味で、「巻き込み型リーダーシップ」が重視される流れ自体は、きわめて合理的である。

しかし一方で、それが常に機能するわけではないという現実もある。むしろ環境によっては、それは成長機会ではなく、若手に過剰な負荷を集中させる装置になってしまうことがある。周囲を巻き込めと言われながら、実際には権限も支援もなく、調整と摩擦だけを背負わされる。そのような状態で発揮される「リーダーシップ」は、成果ではなく疲弊を生みやすい。

リーダーシップが機能する前提

本来、リーダーシップが前向きに機能するためには、いくつかの前提条件が暗黙に存在している。提案や挑戦が歓迎される空気があり、上位層が一定の後ろ盾を提供し、失敗が致命的な評価低下につながらず、関係者の目的が大きく共有されている。こうした条件がそろっているとき、若手が周囲を巻き込みながら試行錯誤することは、学習と成果の両方につながりやすい。リーダーシップは負担ではなく、成長のプロセスとして経験される。

ここで重要なのは、これらが個人の性格や能力の問題ではなく、環境や制度の設計によって大きく左右されるという点である。リーダーシップとは、発揮する人の内面だけで完結するものではなく、周囲がそれを受け止め、支える構造と不可分なのだ。

現実の組織とのギャップ

ところが実際の多くの組織では、こうした前提は部分的にしか満たされていない。意思決定の権限は上位にありながら、現場には説明責任と調整責任だけが下りてくる。部門間の利害は複雑に絡み合い、合意形成には形式的な議論よりも根回しや政治的配慮が必要になる。変化を嫌う人や、現状に利得を持つ人が構造的に存在し、それが目に見えない抵抗として現れる。さらに、失敗したときには「挑戦したこと」よりも「結果が出なかったこと」が強く評価に反映される。

このような環境で若手に求められる「巻き込み」は、もはやリーダーシップというより、組織の歪みを個人が引き受ける役割に近い。制度や構造が処理すべき摩擦を、個人の努力と感情労働で吸収することが暗黙のうちに期待される。そこでは、主体性は称賛されるが、主体性を発揮した結果生じる負荷については、あまり語られない。

なぜ人を入れても解決しないのか

組織論の文脈では、これは「構造の問題を人の問題として処理しようとする」典型例だとされる。プロセスが歪んでいるのに、優秀な人を入れれば回ると考えてしまう。権限設計や評価制度が不整合を起こしているのに、個人の頑張りで補えると思ってしまう。しかし実際には、構造が悪い場所にリーダーシップのある人を投入すると、その人が燃え尽きる確率の方が高い。特に若手は拒否権も交渉力も弱いため、役割過負荷や役割葛藤、そして過剰な感情労働を一身に引き受けやすい。

こうして見ると、問題は若手の能力や意識の問題ではなく、環境の設計にあることがわかる。リーダーシップが成長になるか消耗になるかの分岐点は、その人がどれだけ優秀かではなく、周囲がそれを受け止める構造を持っているかどうかにある。

おわりに

若手にリーダーシップを求めること自体が悪いわけではない。しかしそれは、適切な構造と支援と安全性が整って初めて意味を持つ要求である。それが整わないままリーダーシップだけを求めることは、成長機会の提供ではなく、組織の未整備さのコストを個人に転嫁しているにすぎないのではないか。

必要なのは「もっとリーダーシップのある若手」ではなく、「リーダーシップが自然に機能する環境」をどう設計するか、という問いなのだと思う。

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