マネジャーとしてのあなたは自分の自己欺瞞に気づかれていることに気づいているか
マネジャーという立場は、成長が難しい。
それは能力の問題というより、置かれる構造の問題だと思っている。
マネジャーになると、露骨なフィードバックは減り、指摘は遠回しになり、正面から否定される機会はほとんどなくなる。一方で、過去の判断は積み重なり、現在の自分を縛り始める。
結果として、マネジャーの成長は「誰かに教えてもらう」形では起こりにくい。
残される手段は、ほぼ内省だけになる。
内省しか残されていない局面
マネジャーの仕事には、正解が外部から与えられない判断が多い。
人をどう評価するか、どこまで任せるか、何を優先するか。
これらは手順書では決められない。
だからこそ本来は、「なぜ自分はそう判断したのか」「その前提は本当に妥当だったのか」を振り返る必要がある。
つまり、内省ができなければ、成長の回路そのものが閉じてしまう。
内省ができない人は、実は多い
ただし、内省は誰にでもできるものではない。
自分の判断を振り返ること、自分の価値観を疑うこと、自分が間違っている可能性を直視すること。
これらは強い心理的負荷を伴う。
その負荷を避けるため、人は無意識のうちに別の選択をすることがある。
内省をスキップした結果
内省をしないまま現実と折り合いをつける。これを続けると、何が起きるか。
価値観が更新されるのではなく、正当化が積み重なっていく。
「今の若い人はこうだから」「昔はこれでうまくいっていた」「理想論を言っても仕方がない」。
こうした説明で、現実とのズレを処理し始める。
自分は変わらない。
世界のほうを歪めて理解する。
いわゆる「老害」と呼ばれる状態は、ある日突然完成するものではない。
内省を省略し続けた末に、少しずつ形になっていく。
自己欺瞞は、周囲にはすぐに見える
この状態は、本人よりも先に周囲が気づく。
周囲からは、それが自己欺瞞として映るからだ。
例えば、心理的安全性を重視すると言いながら、異論を唱えた部下を無意識に遠ざけている。
任せると言いつつ、重要な判断だけは必ず自分で覆す。
挑戦を評価すると言いながら、失敗した事例だけが記憶に残っている。
本人の中では、すべて辻褄が合っている。
だが外から見ると、言葉と行動、説明と現実のあいだに明確な歪みがある。
なぜ自分では気づけないのか
厄介なのは、ここからだ。
内省をスキップするという選択をした時点で、すでに強いバイアスが生まれている。
向き合うべき点には立ち止まらず、世界はこういうものだという解釈だけが先に固定される。
人や出来事は、その解釈を軸に見られるようになる。
この時点で、すでに「気づく/気づかない」という話ではなくなっている。
自己欺瞞とは、単なる嘘ではない。
向き合うことを迂回した結果として、成立してしまう心のメカニズムでもある。
世界観が歪むと、対話は成立しない
この種の問題は、スキル不足や知識不足とはまったく別物だ。
世界の見え方そのものが歪んでいるため、データを示しても、論理を積み上げても、感情を共有しようとしても噛み合わない。
結果として、対話が成立しなくなる。
マネジャーや上司に対して、「あ、この人には言っても伝わらないな」と感じたことはないだろうか。
あれは、だいたい、そういう状態だ。
責める必要はない。
察してあげてほしい。
世界と正面から向き合う準備が、まだできていないだけかもしれない。
自己欺瞞の先に、成長はあるのか
さて、マネジャーはこの状態から成長できるのだろうか。
自己欺瞞から、人はどうやって抜け出せるのか。
抜け出せる人と、抜け出せない人の違いは何なのか。
正直に言うと、ここはまだよく分かっていない。
ただ一つ言えるのは、成長できるかどうかは能力よりも、
自分の世界観を壊す覚悟を持てるかどうかに近い、ということだ。
マネジャーの成長とは、スキルの獲得ではなく、
自分自身との対峙なのかもしれない。
そしてそれは、想像以上に、しんどい。
Discussion