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Vibe Codingとは?

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Vibe Codingとは?

語感が制度化されてしまう時代の、ひとつの症例として


本来の意味(出典ベース)

「Vibe Coding」という言葉は、OpenAIの元研究者であるアンドレイ・カルパシー氏がX(旧Twitter)上で軽くつぶやいたのが発端です。

“There's a new kind of coding I call 'vibe coding', where you fully give in to the vibes, embrace exponentials, and forget that the code even exists.”
Andrej Karpathy, Feb 2, 2025

直訳すれば、「バイブスに身を委ね、指数関数的な勢いに乗り、コードの存在すら忘れるようなコーディング」。

この言葉が生まれた背景には、カルパシー氏が週末にAIツール(CursorやWhisperなど)を使って「手を動かさず、ひたすらAIに指示を出してコードを生成してもらう」実験をしていたことがあります。
彼自身も、「週末の使い捨てプロジェクトとしては悪くない」と語っており、あくまで“プロトタイプ遊び”としてのコーディング体験に過ぎません。


世間の誤解と語感の暴走

しかし、この「Vibe Coding」という語感の強さと“かっこよさ”だけが一人歩きしはじめ、以下のような誤解が広がっています。

  • 「新しい開発手法」として提唱されたもの
  • 「AI時代のコーディングパラダイムシフト」
  • 「誰でもAIに任せてアプリが作れる夢のスタイル」

実際、MIT Technology Reviewの記事「What is vibe coding, exactly?」などでは、vibe coding があたかも“提唱された手法”であるかのように紹介されており、
この言葉が本来持っていた「ラフで即興的な体験記録」という文脈から大きく逸脱し始めています。

そして今では、AIにコーディングを丸ごと任せようとしていた層が、さらに丸投げを加速させるための“免罪符”としてこの言葉を使い始めているように見えます。


なぜ誤解が生まれたのか?

  • “Vibe”という言葉の語感に頼った印象操作
  • たまたま上級エンジニアの遊びが、手法っぽく見えた構造
  • AIツールとLLMの急成長というタイミングが作り出した“神話”
  • 「Karpathyが提唱した」という物語が、丸投げの正当化に転用された

提唱の事実と、文化の生成

確かに、Karpathy氏が「Vibe Coding」という言葉を使い始めたのは事実であり、用語の命名者=提唱者という意味では間違いではありません。

しかし、そこから生まれた文化は——
「AIに丸投げしてもいいんだ」という思考と行動の連鎖であり、Karpathy本人が描いていたスコープを大きく逸脱しています。

言葉が現象を定義したのではなく、言葉が現象を生成してしまった
これは、技術よりも語感が先に制度化されていく現象の一例です。


Wikiにすら侵食しているという現象

現在、「Vibe Coding」はWikipedia(日本語 / 英語)にも項目が存在します。

だがその内容を見れば分かる通り、定義されているのは技術的手法ではなく、メディアが構築した語感とバズの物語です。

語られているのは思想ではなくムードであり、技術ではなくテンションであり、構造ではなく語彙の響きです。

このように、Wikiに記述されたから正しいという認識ではなく、
Wikiにすら語感が“侵食”してしまっているという現象こそが、vibe codingの本質的な危うさを示しています。


正しい理解とは?

Vibe Codingは、AIとの対話によってコードを生成していくプロトタイピングの遊び方のひとつであり、
「全てをAIに任せられる開発手法」ではありません。

実際に複雑なアプリやシステムを構築するには、依然として人間側のスキル・知識・判断力が必要不可欠です。
これは、Vibe Codingの発案者であるカルパシー氏がゴリゴリのソフトウェアエンジニアであることからも明らかです。


結論

Vibe Codingは未来の全自動コーディングではなく、
AIと遊ぶ余裕のある人間が週末に得た一瞬のゾーン体験
です。

それを“手法”と呼ぶのは構造偽装。
それを“未来”と呼ぶのは、責任を放棄したがっている側の都合です。


出典と観察対象

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