AIで生産性が3倍になった私たちが、チームを置き去りにした話
「すぐには理解できないが、正しいことを言っているのだと思う」
週次の報告会で、上司がそう言った。
私はAIで作ったスライドとHTMLレポートを画面に映していた。上司は内容を否定しなかった。むしろ、正しいと言ってくれた。理解はできないけれど、正しいのだと思う、と。
そのときの私は、それを好意的な反応として受け取っていた。今になって思えば、あれはレビューが壊れた瞬間だった。
私は大手製造業のDX推進部門でマネージャーをしている。この1年ほど、チームの若手中堅メンバーと一緒にAI活用を進めてきた。体感の生産性は3倍になった。そして同じ時期に、私たちは上司とベテランメンバーを置き去りにした。
これは、その置き去りがどう起きて、何を壊したかの記録である。先に結論を書いておく。置き去りは誰の悪意でも怠慢でもなく、構造で起きる。そして置き去りにした側も損をする。
登場人物に悪役はいない。上司は誠実だった。ベテランは真面目だった。若手は優秀だった。それでも壊れた。だからこの話は、たぶんあなたの組織でも起きる。
対象読者:組織のAI活用を推進している人、チーム内のAI活用の温度差にモヤモヤしている人、「一部の若手だけが突っ走っている」と感じている管理職。ソフトウェア開発の現場の話ではないが、たぶん同じことが起きている。
私たちが走った道
前提として、私たちがどこから来たかを書いておく。
私は製造現場出身で、転職を機にPythonを1から勉強した。製造ライン向けのアプリを現場に入れるようになり、やがてAIコーディングを使い始めた。
現場向けのアプリを何本か作るうちに、標準化の必要を感じるようになった。作る人によって構造がバラバラで、引き継げない。標準仕様を作ろうとしていたところで仕様駆動開発という思想を知り、Claude Codeでそれを回す取り組みを始めた。
この頃から、チームの空気が変わった。取り組みメンバー——30代前後の若手中堅が中心だった——と議論しているうちに面白くなって、気づけばプライベートの時間にも情報を集め、試すようになっていた。私たちは業務時間の外で学んでいた。
やがて活用はコーディングの外に出ていった。
本社や幹部への報告資料は、それまで1週間くらい頭を支配される仕事だった。何を主題に置くか、どの順で見せるか、想定質問は何か——手を動かしていない時間もずっと頭の片隅で回り続ける。それがAIとの壁打ちなら、1日集中すればだいたい形になる。もちろんそこから手直しはする。それでも、頭を占有される期間が1週間から1日になった。
アプリ開発は、仕様さえあれば待っているだけで出来るようになった。気を使うメールの下書きは一瞬で出る。打ち合わせのメモを雑多に投げれば、ToDoとテーマの進捗が自動で更新される。最後のものは自分用の秘書エージェントで、markdownのリポジトリを記憶の置き場にして、AIがそれを読み書きしながら育っていく仕組みにしてある。
体感の生産性は3倍になった。この「3倍」が何の3倍なのかは、はっきりしている。作業のスピードではなく、同時に抱えられるテーマの数だ。
解放されたのは時間ではなく、頭の占有だった。1週間ずっと資料に支配されていた頭が空けば、その分だけ他のことを考えられる。1件あたりが3倍速く終わるのではなく、並行して持てる件数が増える。だから体感は「少し速くなった」ではなく「働き方が別のものに変わった」に近い。
このとき私たちは、自分たちが何を置き去りにしているかに気づいていなかった。
効率化は見えない場所で起き、見える場所で爆発した
置き去りが表面化したのは、報告会だった。
考えてみれば当然で、AIコーディングは上司から見えない場所で進んでいた。コードが速く書けるようになっても、上司の目に入るのは成果物とスケジュールだけだ。1年かけて起きていた変化は、上司にとっては「順調に進んでいるらしい」という以上の解像度を持たなかった。
それが、AIで作ったスライドとレポートが報告会に出てきた瞬間に可視化された。上司にとってそれは、1年かけた段階的な変化ではなく、ある日突然現れた断絶だった。驚くのが当たり前である。
ここから一般化できることがある。置き去りは進行中には気づかれず、可視化された瞬間に一気に表面化する。 そして表面化したときには、もう差は1年分ついている。
そして見えた瞬間から、壊れ始めたものがあった。レビューである。
レビューが、上下両方向で壊れた
これがこの話の中心にある。壊れたのは個人の能力ではなく、レビューという組織の品質保証機構だった。 しかも上下の両方向で、同時に。
上から私へのレビューが機能しなくなった
冒頭の「正しいことを言っているのだと思う」に戻る。
AI製の資料は情報が濃い。加えて、AIと壁打ちしながら考えを詰めているぶん、私自身の視座も上がっていた。結果として、上司がレビューできる点がなくなった。
「正しいと思う」は信頼の言葉であって、検証の言葉ではない。レビューの本来の機能は誤りを見つけることなのに、そこから検証が抜けて承認だけが残った。信頼それ自体は美徳だが、レビューにおいては機能不全の症状である。
この頃から、上司の言葉に変化が現れた。「中身にはついていけなくて、申し訳ない」「持ち帰ってちゃんと読む」「勉強します」「教えてください」。職制上の関係は何も変わっていないのに、知識の勾配だけが逆転していた。レビューの場が、いつのまにか謝罪の場になっていた。
念のため書いておくと、上司は誠実だった。自分のギャップを公の場で認め、メンバーに向かって「AIで急速に変化が起きている。自分が一番キャッチアップが必要だが、分からないことは自分で調べて、この場で質問していこう」と言える人だった。できることをやっていた。それでも壊れた。
作っても、定着しなかった
象徴的な出来事がある。
上司には、報告用の定型集計業務があった。手元のデータを所定のフォーマットにまとめるだけの仕事に見えるが、実際には例外的な扱いをする項目がいくつもあり、そのルールは上司の頭の中にしかなかった。毎回それなりの時間を取られていた。
私はまず、そのルールを本人に書き出してもらった。それをもとにアプリ化し、マニュアルを付けた。アプリといっても集計程度の軽量なもので、実行ファイルにしてダブルクリックで起動する形で渡している。使うのはOfficeが触れる程度の、エンジニアではない人たちだからだ。さらに「このアプリをどうやってAIと作ったか」の手順をレポート形式でまとめて添えた。作り方まで見てもらえば、AIでアプリを作るという感覚を少しでも掴んでもらえると思ったからだ。ここまで3時間だった。
結果を書く。上司はそれを、次の集計タイミング——1ヶ月後——までまともに触らなかった。そして触らないうちに使い方が分からなくなり、最終的にアプリごと集計業務を別のメンバーに渡すことになった。自動化は、業務移管に化けた。
作り方のレポートも、たぶん誰も読まなかった。良かれと思って添えたものだったが、そもそも読まれない前提が抜けていた。
ここで白状しておくことがある。私はこのとき、あえてOJTをほとんどしなかった。 実験のつもりだった。マニュアルも手順も揃っているのだから、読んで試して、詰まったら調べて動かせるはずだ——そう考えていた。今思えば、これは実験ではなく、教える手間を惜しんだ自分への言い訳だった。
無理だった。
ここから学んだことが2つある。
ひとつは、「説明を読んでやってみる、詰まったら調べてまたやってみる」という自走力は、当たり前のように見えて実は希少なスキルだということ。マニュアルを配れば全員が使えるようになる——そんな前提が成り立った現場を、私は見たことがない。エンジニアの世界にいると自走力は基礎スキルに見えるが、人間のデフォルトはたぶん逆側にある。
もうひとつは、こちらの方が重要で、管理職は時間の貧困ループの最も深いところにいるということだ。上司には自分の会議があり、部門の調整があり、上からの依頼がある。「持ち帰ってちゃんと読む」と言った本人が一番、持ち帰って読む時間を持っていない。私は自走力の問題だと思っていたが、その手前に時間の問題があった。新しいことを覚える時間が最もない人に、新しいことを覚えてもらおうとしていた。
そしてもうひとつ。開発リードタイムはAIで潰せたが、定着リードタイムは潰せなかった。 作るのは3時間で済む。しかし定着は人間の時間で動く。AIによって開発が速くなればなるほど、ボトルネックは開発から定着へ移動する。
上から若手へのレビューも機能しなくなった
逆方向でも同じことが起きていた。
AI活用を進めていた若手メンバーの報告に、あるときから違和感を覚えるようになった。自分の専門から外れたテーマについて説明するとき、資料はきれいにできているのに、自分の言葉になっていない。詰まるわけではない。劇的な破綻もない。ただ、書いてあることをそのまま読んでいるように聞こえる。そういう場面が、一度ではなく増えていった。
そして上司は、それを指摘できなかった。
私はここで、AIが何を壊したのかを理解した。これまで「資料が書けない」ことは「理解していない」ことの検知器だった。 分かっていない人間には、それらしい資料が作れない。だから資料作成自体が理解度のテストとして機能していた。AIはこれを壊した。資料の完成度と本人の理解度が、切り離されてしまった。
検知器は資料から質問へ移った。本人の言葉かどうかを見抜くには、的確な質問をぶつけるしかない。ところが、AI活用についていけていない上司には、その質問が出せない。検知器が移った先に、検知できる人がいなかった。
正直に書くと、私もその場では質問しなかった。できなかったのではなく、しなかった。人前で答えられない状態を作れば、それは指摘ではなく晒しになる。そこで恥をかかせるのは違うと思った。
ここに、この問題の厄介さがある。質問という検知器には、相手に恥をかかせるという副作用がついてくる。 上司は質問できず、私は質問しなかった。理由はまるで違うのに、検知されなかったという結果だけが同じだった。
これを書く資格が私にあるとすれば、同じことを先にやったからだ。学生時代、論文やネットから拾った言葉をそのままスライドに貼り付けて発表し、先輩か教授に質問されて答えられず、こっぴどく叱られたことがある。以来「自分の資料は一言一句自分の言葉で説明できなければならない」を自分のルールにしてきた。この原則はAI以前からある。AIは、この失敗モードを大量生産できるようにしただけだ。
だから若手を責めるつもりはない。むしろ逆で、AIがなければ彼は「勉強して出直します」と言っていたはずなのだ。AIがあると、できてしまう。能力の前借りは道具の性質であって、本人の資質の問題ではない。
分断は上下だけではなかった。横にも走っていた。
時間の貧困ループと、双方向の恨み
AIを使うメンバーは、資料作成もデータ集計も極力自動化して、空いた時間を創造的な仕事に使う。あるいは、単に楽をする。使わないメンバーは、相変わらず資料作成とデータ集計に時間をかけている。同じ職場で、時間の使い方が非対称になった。
そして、この非対称は自己強化する。
作業に時間を取られている人には、AIを学ぶ時間が生まれない。学ばないから作業が減らない。減らないから学ぶ時間が生まれない。一方で自動化した側は、空いた時間でさらに学んで差を広げる。仮に時間の貧困ループと呼ぶことにする。
同じ職場に、逆向きに回る2つのループが立っている。分断は、放置しても自然には解消しない。
しかも奪われているのは時間だけではない。前に書いた「頭の占有」がここで効いてくる。来週の報告資料に頭を支配されている人は、仮に空き時間を与えられたとしても、その頭では新しいことを学べない。時間を作ってあげるだけでは解決しない。 占有そのものを外す必要があり、そのための道具がAIなのだから、ループの入口はAIしかない。堂々巡りに見えるが、だからこそ外からの介入が要る。
やがて、チームから共通言語が消えた。AI活用の話をしても通じない。「ただただ凄いことをやっている人たち」という見られ方になった。それは理解ではなく、畏怖である。
ここで、私の側の感情も正直に書いておく。当時の私たちには苛立ちがあった。自分たちばかりが仕事をこなしている。なぜ自分で情報を取りに行かないのか。なぜ勉強しないのか。
これは間違いだった。
プライベートの時間を投じて学んだ人間は、学ばないことを意欲の問題として道徳化してしまう。私はまさにその罠にはまっていた。実際には、学習機会の構造の問題だったのに。私たちが学べたのは意欲が高かったからではなく、たまたま面白いテーマに当たって、たまたまその時期に自分の時間を使えたからだ。
分断が完成するのは、技術の差がついたときではない。お互いが相手を道徳的に責め始めたときだ。
だが、いちばん静かで、いちばん危険な反応は別の場所にあった。
ベテランの、静かな退場
40代以降のベテラン層の反応は、上司とは違った。
上司は驚き、動揺し、ついていこうとした。ベテランからは、あきらめを感じた。自分たちはもう、自分が知っていることでやっていこう——そういう静かな退避だった。
上司はこの状況に危機感を持っていた。ベテランメンバーのことも、ちゃんと心配していた。だからこそ「分からないことは自分で調べて、この場で質問していこう」と言ってくれていた。
それでも、質問が出なかった。
あきらめが可視化された形は、質問が出ないことだった。 驚きは声になるが、あきらめは声にならない。声にならないから問題として表面化せず、表面化しないまま固定化する。だから私は、畏怖よりあきらめの方が危険だと思っている。
そして、ここが自分にとって一番痛い部分なのだが——質問が出なかった理由の一端は、間違いなく私にある。
私は普段から、内輪の議論では浅い発言にすぐ厳しく追及していた。悪気はなく、議論の質を上げるつもりだった(外部との場では、自分のメンバーを詰めることはしない)。だがその結果として、質問すると詰められる場を日常的に作っていた。上司がいくら「質問しよう」と促しても、質問が出るわけがない。
底上げのために最初に必要だったのは、教材でも時間でもなかった。質問が出る場だった。そして私は、それを壊す側にいた。
誤解のないように書いておくと、降りたくて降りる人はいない。何十年もかけて自分のやり方を作り上げてきた人にとって、道具が変わることは仕事のやり方そのものを疑われることに近い。しかも、それを持ち込んだのが自分より一回り以上年下の人間で、質問すれば詰められる場だとしたら、降りる方が合理的だ。あきらめは、置かれた条件に対する妥当な判断でもある。
そのうえで、構造的な皮肉も書いておかなければならない。降りたベテランは、自分の知識をAIの射程の外に置いたまま現場を去っていく。組織で最もAIに載せる価値のある暗黙知——不良の因果、工程パラメータの勘所、過去の失敗——を持っている人から先に、AI活用から離れていくのだ。底上げは追いつかせる話であると同時に、その知識が失われる前に接続する時限問題でもある。
このとき私は、これがうちのチームだけの話ではないと気づいた。
これはあなたのチームの予告編
改めて見ると、この分断を駆動していたものは2つしかない。
ひとつは学習機会の非対称。業務の仕組みではなく個人の余暇で学ぶ構造だったから、学べる人と学べない人に割れた。もうひとつは道具が業務の形そのものを変えたこと。単に速くなったのではなく、働き方が変わったから、使う側と使わない側で仕事の形が乖離した。
ここに、うちのチーム固有の事情は何ひとつない。だからこの力学は、チームから部門へ、部門から会社へ、会社から社会へ、スケールを変えてそのまま働く。これはうちのチームの失敗談ではなく、あなたのチームの予告編だと思っている。
確信を持ったきっかけは、社外にあった。AI時代の開発生産性をテーマにした社外のカンファレンスに参加したときのことだ。そこでは「個人の開発生産性が上がっても、なぜ組織の生産性は上がらないのか」というテーマが繰り返し語られていた。私たちの状況とほとんど同じだった。開発の現場ではないのに、である。
AI導入で先を行くソフトウェア業界が、すでにこの問題に組織として取り組んでいる。つまり私たちの悩みは個別の失敗ではなく、先頭集団が直面している普遍的な問題だった。製造業から見れば、あの業界の議論は他人事ではなく、数年後の自分たちの姿である。
ただし、ひとつだけ条件が違うと思っている。ソフトウェア業界で語られる格差は、基本的にエンジニア同士の格差だ。速い人と遅い人はいても、コードとレビューという共通言語は最初から全員が持っている。だから「キャッチアップする」という言葉が成立する。
私たちの現場は違う。置き去りにされた側は、そもそもコードを書かない。共通言語が失われたのではなく、最初から存在しなかった。この差は小さくない。共通言語がある組織では追いつく話で済むが、ない組織では言葉から作らなければならない。製造業の間接部門でAIを広げるというのは、たぶんそういう仕事である。
もうひとつ、自分の立場から書いておきたいことがある。私はDXを推進する部門にいる。この部門がAIを諦めたら何が起きるか。ツールは新しくなっても仕事の形は変わらない、ただのデジタイゼーションで止まる。それはイノベーションには繋がらない。まだAIを使っていない側との合流は、福利厚生でも人材育成でもなく、部門の存在意義そのものの防衛なのだ。
底上げは、優しさではなく自衛である
最後に、いちばん言いたいことを書く。底上げは、置いていかれた人への優しさではない。
私たちが動いた理由は3つあって、どれも自分たちのためだ。ひとつ、レビューが機能しない組織では、私たちの成果は正しく評価されない。ふたつ、ベテランの暗黙知は、彼らが現場を去る前にしか接続できない。みっつ、AIを諦めた瞬間に、DX部門は存在意義を失う。だから底上げは自衛なのである。
そして、ここまで書いてきたことを踏まえると、やるべきことは「教える」ではなかった。
置き去りは構造で起きる。誠実な上司がいても起きる。分断は時間の貧困ループで自己強化するから、放置では解消しない。驚きは声になるが、あきらめは声にならない。そして、質問が出ない場を作ったのは私だった。
だから私たちは、上司も含めたチーム全体へのClaude Codeハンズオン教育を、2つの設計で始めた。ひとつは、資料を配る方式をやめて、隣で手を動かしてもらう形にしたこと。もうひとつは、私が講師をやらないこと。教えるのは私より若いメンバーに任せ、私は同席するが多くは喋らない。チームで一番知識のある人間が教えないというのは奇妙に見えるかもしれないが、質問が出ない場を作ったのが自分である以上、私が前に立てば同じことが起きる。教える力より、聞ける場を優先した。
その教育で何が起きたかは、次の記事で書く。
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もっと手を動かす話が読みたい方へ。現場向けアプリの実装例です。
Discussion
考えさせられる内容ですね。私たちのところでも同じことが起こっています。
以下は参考にします。
ありがとうございます。「同じことが起きている」という声が一番ありがたいです。書いている間、これはうちだけの話なのか、それとも構造的なものなのか、正直判断がついていなかったので。
教育はまだ途中で、結果はこれからです。何が起きたかは改めて記事にするつもりなので、そのときにまた読んでいただけたら嬉しいです。
きっかけは全く同じ。
なので個人学習を行ってもらうために初心者用ブログを立てました
でも、私の考え方、やり方を変える必要があるかもと痛感しました
「きっかけが全く同じ」というのは重いですね。構造なんだと思います。
形は違いますが、私もマニュアルと手順書を作って渡しました。読まれませんでした。「読んで試して、詰まったら調べる」を相手もするはずだと前提していたのが失敗だったと思っています。
ドキュメント自体は今も作りますが、読まれる前提はやめました。今は隣で手を動かしてもらう形を試している最中で、正解かはまだ分かりません。
手応えのあるやり方が見つかったら、ぜひ教えてください。
おっしゃる通り、構造なんでしょうね
しかし、ここまで同じとは・・・私も同じ前提でした。同じ轍を踏んでる感・・・・
私もマニュアルと手順書を作り、ブログの展開をしましたが同じく読まれていません。
このブログで同じような仲間がいるんだと思いコメントさせていただきました。
私も試行錯誤しながらいつか同じようなテーマで発信しようと思います。
こちらこそ手応えのあるやり方が見つかったら、ぜひ教えてください。
私はこの上司側ですが、あなたも書かれているようにまずは時間が足りません。
資料手順書といいますが、その資料と手順書を、理解するための前提(これは資料には無い)をどこからか手に入れ理解してから、初めて用意された資料と手順書の意味がわかるようになります。
解決するには皆で実際にやるハンズオンで、その場その場で詰まったり疑問に思ったら質問できる環境じゃないと難しいと思いますよ
各個人がAIで作ったアプリを共有することを止めたらいいのでは?
共有をAPIだけにして、データとそのフォーマットのみを外に見せる。
ありがとうございます。共有の単位そのものを疑う、という発想が自分にはありませんでした。製造現場を相手にすることが多く、チームや社内へアプリを配った経験が乏しく、サーバーも保有しておらず、アプリごと渡すのが当たり前となっておりました。
前提の説明が足りていなかったので本文に補足したのですが、ここで扱っているのは集計程度の軽量なアプリで、使うのは上司やベテランです。Officeが触れる程度で、エンジニアではありません。API越しにデータを取ってもらうのは、その人たちには難しいという側面はございます。
いただいた視点は持ち帰って考えたいと思います。
方法はあります。ベテランがOfficeやメールしか使えないなら、インターフェースをExcelとメールにしてしまえばいいのです。要求するフォーマットのメールと添付Excelファイルを受け取ったらそれをトリガーにして添付ファイルをアプリに流し込み、出力Excelファイルをメールで自動返信するようにするのです。ベテランの操作はExcelとメールに閉じます。
他人が作ったGUIアプリの操作を覚えるのは案外大変ですよ。しかもその知識は応用が利かない。
Excelはエンジニアと非エンジニアを繋ぐ唯一の橋です。これを利用しない手はないです。
仕様駆動開発を知っているなら、仕様を中心としたコミュニケーションの強さ及び保守の簡潔さを知っているでしょう。仕様(インターフェース、API)のみを共有するのです。
ありがとうございます。おっしゃる通りだと思います。
インターフェースを既存の道具の側に寄せるという発想が、自分の中で抜けていました。特に「GUIの操作知識は応用が利かない」というのは、これまで覚えるコストの大小としてしか見ていなかったので、覚えた知識がその人の資産にならないという捉え方は新しい視点でした。
この形に寄せていくのを検討してみます。
若手の理解の裏付けの無いAI成果物には理解度を追求せず、
ベテランには追求する、とご自身で書かれているように見えました。
もしそうなら、現場はおかしくなるのではないかと思いました。
ありがとうございます。ご指摘のとおり誤読を招く書き方になっていたので、本文を修正しました。
区別しているのは相手ではなく場です。内輪のミーティングでは追及し、事業部向けの報告会など外との場ではしない、という分け方でした。章立ての都合で若手とベテランの対比のように見えてしまっていたので、そこが伝わるよう補足しています。書き方の問題に気づけたのはご指摘のおかげです。
ただ、内輪で追及して質問しづらい雰囲気を作ったこと自体を、良しとしているわけではありません。記事の後半で、底上げに最初に必要だったのは質問が出る場で、それを壊していたのは自分だった、と書いたのがその部分です。
場で分けること自体は続けるつもりですが、内輪の側をどうするかは考えているところです。
何回か、このような講座をやってますが
分からないです、と声をあげるのが一番つらいのだろうな、と感じます。
・そもそも、ツールを正しく開いているか
・ツール側の想定通りの入力をしているか
・入力のあとどのボタンを押せばいいか理解しているか
・ツールの出力結果が、講師側の想定通りになっているか
・出力結果を受けて、受講者は次に何をすればいいか理解しているか
と言った項目でチェックリストを作り、
受講者の方がどこで詰まっているか、講師が巡回して受講者の画面を目視で確認し、やり方を伝えていくような形が良いのではないでしょうか。
うまくいかなかった人は手を挙げてください、のようなやり方だと、まず出てこないので
講師側から確認に回る必要があるかと思います。
具体的でありがたいです。チェックリストの粒度が、自分の想定よりずっと細かくて驚きました。「ツールを正しく開いているか」から始まるんですね。
特に「うまくいかなかった人は手を挙げて、では出てこない」は、まさに自分のチームで起きていることです。講師側から巡回して画面を見に行く形、次回から取り入れます。
AIでは無いですが、メカ系主体の組織で、エレキ系を担当していて、その業務の立案、計画、遂行、管理、報告を担当していました。同じ様に上位はエレキ系に詳しくなく、(ここは筆者と異なるが、学ぶ気も無い)報告しても何をやっているか分からないので正当な評価が無いと感じていました。上位だけ出なくて、他部署も下位も含めてだったんですけど。その為、自分が講師になってエレキ系の勉強会をしたり、極力現物や動画、写真を持っていき興味持ってもらい少しでも関心、質問が出る様に働きかけました。今は組織側が理解がやや得られその様な活動に1/5位の理解を得られる様になったと感じています。ここまで来るのに10年掛かりましたがw
10年、という時間感覚が重いですね。
分からない側を責めず、現物や動画で関心を作りにいく、というやり方は自分にはなかった発想でした。理解を得るというのは説明することだと思っていましたが、興味を持ってもらうところからなんですね。
記事を読んでいて、ハンズオンは良い施策だと思う一方、もう一段別の方向もありそうに感じました。
全員をClaude Code側に寄せるのではなく、AIを使う人と使わない人が、違う能力のまま仕事を受け渡せる境界を設計する方向です。
たとえば集計アプリの件なら、GUIを覚えてもらうより、既存のExcelやメールをそのまま入力・出力インターフェースにする。報告資料なら、AIに完成資料だけでなく、判断事項・根拠・未確認事項・反証条件(どんな条件なら見直すか)も一緒に出させて、専門内容を全部理解できない上司でも、レビューや意思決定に必要な情報へアクセスできる形にする
若手についても、成果物の品質と本人の理解を分け、AIに反証質問や説明すべき前提を事前生成させる。
つまり、教育で人を新しい仕組みに適応させるだけでなく、プロンプトやアーキテクチャの側で、そもそも覚えなくてよいものを減らす、という方向です。
記事にある
開発リードタイムは潰せたが定着リードタイムは潰せないという観測をもう少し一般化すると、生成側だけが高速化し、組織側のインターフェースが追いついていない、とも読めました。そう捉えると、教育以外の打ち手もかなり増えると思います。
ありがとうございます。「生成側だけが高速化し、組織側のインターフェースが追いついていない」という言い換えは、自分が書いたことより正確だと思いました。
既存のExcelやメールをそのまま入出力にする、判断事項・根拠・未確認事項・反証条件まで出させる、というのは具体的で、すぐ試せそうです。教育で人を寄せるのではなく、覚えなくてよいものを減らす。その方向は完全に抜けていました。持ち帰ります。
同じ立場、同じタイプ(質問が出ない場をつくる)として、激しく同意します。最近、自身も前に出るべきでないと感じ始めてます。
記事を読んで、全体的に違和感を覚えるというか、手段が目的化してるなと思いました。
はじめに、「チームを置き去りにしてしまった」というより、DXを進める側が、現場とは別の道を全力で走ってしまったのではないでしょうか。
特にOfficeで行っていた業務をアプリ化し、使われなかった原因をOJT不足として捉えている点は、他責では?と思います。
もちろんOJTは重要ですが、その前に、
そもそもPythonアプリにする必要があったのか?
を考える必要があるように感じます。
既存のExcelの入力・出力フォーマットを変えず、VBAなどで集計だけ自動化する。上司から見れば今までとほぼ同じ操作のまま、処理時間だけ短縮する。
それだけで解決できる業務だった可能性
新しいアプリを作ってマニュアルを用意し、さらにOJTを行って使い方を覚えてもらうよりも、そもそもOJTをほとんど必要としない形に設計する方が、現場への導入としては自然ではないでしょうか。
業務ルールについてのヒアリングはされていると思いますが、何を処理するかだけではなく、
・普段どのツールを使っているのか
・今の業務フローの何を残したいのか
・どこまで操作変更を許容できるのか
・既存の環境で改善できないのか
といった、運用側の要求まで含めて設計することが重要だと思います。
DXは、アプリを作ってマニュアルを作成することそのものではないはずです。
現場の業務を理解し、不要な工程をなくし、既存の仕組みで改善できるところは改善し、それでも必要な部分に初めて新しい技術を使う。
その結果としてPythonが最適ならPythonを使えばいい。
逆に、Pythonを使うことが先に決まっているのであれば、それはDXというより「アプリ化」が目的になってしまいます。
なので今回の問題は、「AIを使える人が、使えない人を置き去りにした」というより、
DXを進める側と現場との間で、要求定義や技術選定、日頃のコミュニケーションが十分に噛み合っていなかった
という問題として捉える方が、私はしっくりきました。
「置き去り」というより、別の道に全力疾走してしまった。それを自分たちは認識していない。
そんな印象を受けました。
ありがとうございます。要求定義のところは仰るとおりです。ルールは聞き出しましたが、今どのツールを使っているか、操作の変更をどこまで許容できるかは聞いていませんでした。内輪の便利ツールという扱いで、そこを省いてしまっています。
あの件は技術選定の例ではなく「渡したものが使われるとは限らない」ことの例として書きましたが、要求定義を飛ばした案件を出した時点で、例として不適切でした。
「置き去りというより、別の道に全力疾走した」は刺さりました。否定できません。
今一度なぜDX化を推進するのか。の本質的な意味を考え、
なぜその機能を別に置き換えるのか。が本当に役に立つことなのか、
作りたいが先行していないか。1ヶ月に1回の仕事でなく、日常的に困っていることを探す。
なぜツールは使用されないのか。を現場に直接聞きに行く。
というAIでは代替できない思考が必要だと思われます。
完成品を即日納品ではなく、未完成品の単純なツールを何日もかけて一緒に作り上げていく。
こっちの方が使いやすいので、結果的にチーム全体の生産性は高まるのではと思います。
単純接触効果です。
非常にリアルで参考になる記事をありがとうございます。
上司(マネージャー)側の1人としてコメントさせてください。
まず、書かれているような自己学習をメンバーがしてくれるのは非常にありがたいと思いますし、起きた事象も未然に防ぐべき問題ではなく成長痛のようなものに見えます。
なので、周囲へのリスペクトさえ失わなければ推奨される行動に見えます。
「構造の問題」と書かれていたので、その点についても一つ。
"The Goal"という本で工場の生産性についての話が書かれているのですが、今回の内容も抽象的な構造として似ていると感じました。
工程の一部だけ技術革新などで速くなっても、ボトルネックが解消されない限り工場全体の生産性は上がらない、むしろ仕掛り中の在庫が増えて保管コストなどが増えてしまうというものです。
今回の例でいうと「開発」や「資料作成」などのAIを導入しやすい箇所だけ速くなっても、「レビュー」などのボトルネックが解消されない限り全体の効率に寄与しないという感じですね。
ただ、投稿主さんもそこを認識して1メンバーとしての視点から全体最適を考えるマネージャー的な視点に切り替え始めていそうですね。
その視点で、上司にどう動いてほしいか提案してみるのも良いかもしれません。場合によっては「私が全部やるから役職を代わってくれ」言っても良いかも笑。
ありがとうございます。The Goalの例え、製造業にいながら自分の組織に当てはめていませんでした。
工程の一部だけ速くしても全体は上がらず、むしろ仕掛在庫が増える——まさにレビュー待ちの資料が積み上がっていた状態です。
上司にどう動いてほしいか提案する、というのは考えていませんでした。役職を代わってくれ、はさすがに言えませんが笑
一見なるほどと思いましたが、気になることもありましたので質問させてください。
1 従来は質問が理解の度合いのチエックとありますが、それは、そもそも本当の意味での質問だったのでしょうか。言い方が悪いですが、従来も中身を理解した上での質問ではなく、しゃべりと資料が整合性とれているかの確認が質問だったのでは?そして、これが不整合だと、理解していないという結論だったのでは?つまり、従来型であっても、書いた内容しか喋らないし、答えないのであれば、同じことが発生していたのでは?ということです。
2 1の通りだったとするなら、若手の内容に関しては、資料のままに読む状態になっているというのが、従来型のチエックを当然壊します。これが質問の役割として適切かどうかは別にして(本来は内容自体に関しても突っ込めないといけないと思います)、従来と同じ効果を期待というなら、資料は聴衆を素人向けの最低限にし、その場でストーリーや背景を言わせるのがいいかと。これなら、他の人も自分の問題に置き換えて質問できるのでは。
3 他にも書かれていますが、アプリ側を従来のソフト境界に揃えるのは一つです。ただ、最近のアプリは、マニュアルなしで直感的に使えるようにかなりの程度組むことができますし、ヘルプも組めます。そこがどの程度やられていて使われているのか、少なくとも調べるべきかなと。ほとんどの人は新しいことをしたくないというのは事実なのですが。
ありがとうございます。
1について。整合性の確認で終わっている質問が多いのはそのとおりだと思います。ただ全部がそうだったとは思っていません。質問の質は聞く側の知識次第で、中身を知っている人がいれば中身を聞かれる。今困っているのは、その聞ける人がいなくなったことの方だと思っています。
2はまさにそこに効く案だと思いました。資料を最低限にして口頭で背景を言わせれば、中身を知らない人でも引っかかりを見つけて質問できる。聞ける人を増やすのではなく、聞ける形にする、という発想は持っていませんでした。
3もご指摘のとおりです。内輪の便利ツール扱いで、使いやすさの作り込みもヘルプも入れていません。調べずに定着の話にしたのは順番が違いました。
UIについては、導線(何もみなくても、迷わず使える)が一番重要と思っています。そうでないと、初見や時間のない人には使ってもらえません。ただ、そこまでやっても、現場が欲しいものは違ってたりするんですよね。現場の知識が作る側にはなかったりするので。最終的に、現場の人が作れるようになる、作るための時間や導線をつくってあげるのがいるのかなぁとは思っています。
導線が最重要というのはそのとおりで、マニュアルを読ませる前提で作っていた時点で負けていました。「現場の人が作れるようになる」も、自分が向かいはじめた方向と思いました。そのための、導線と時間を作りだすのが難しく、いまそこで詰まっています。何か進んだらまた書きます。
文脈をざっと見しかしていない(詳細は追わず)で、AIに考えてもらったコメントです。
自分的には基本、上司へのリスペクトの姿勢はあった方が良いと思ってます。
個人の生産性向上やAI活用の面白さが優先され、組織全体のDXという目的と乖離している印象を受けます。上司の認知負荷軽減(防AI Slop - この記事みたいに長文じゃないか)やチームへの定着を軽視した自己満足の効率化は、果たして組織の利益と言えるでしょうか。
AIやアプリ開発に限らず、どんな場面でも同じ「問題」は出てきます。
組織力学的には「全員が、同じペースで」が基本なので。
置き去りにしたというか、単純に社内の技術移行に失敗しただけです。
従来の開発手法と大きく逸脱したものを作って、最終的にそれを誰がどう保守していく体制になるかまで目を向けましたか?あなた一人で全部面倒見れる訳じゃないですよね。
システムは作って終わりではなく、作ってからが長いのです。
誰もメンテ出来ないものを作って後で困るのは、Office使ったオレオレSystemで腐るほど見てきました。
新しい技術を会社なり部署なり開発チームに持ち込む場合、各人のスキルセットや業務内容を把握する必要があります。従来の開発手法と大きく逸脱する場合、かなりの人間がついてこれません。
最終的にこうしたいというゴールがあったなら、段階を踏みましょう。
一人で全力で突っ走りたい場合は、そういう人だけで集めたベンチャー企業でも起こすかフリーランスでやるしかないと思います。
「名選手、必ずしも名監督にあらず」はよく言われますが、今回は典型的な事例だと思います。
非常に興味深い記事でした。私は製造業におけるDX技術の研究開発部門にいますが最近主任以下クラスのメンバーと管理職クラスのメンバーで知識や技術に乖離を感じており、深く共感します。
ありがとうございます。研究開発部門でも同じなんですね。主任以下と管理職の乖離、自分のところとまったく同じです。部門や業種を問わず同じ声をいただくので、やはり構造なのだと思います。
嫌な言い方ですが、たくさん見られる=構造の問題 というのは根拠がないと思います。
企業のほとんどが能力が低く、AIに適応できていないからだとも解釈できますし。逆に、そもそも、なんとか本部は、いつも成功できてたのか?それなら、今回はAIによる問題といえるかもしれませんが、どうでしょうか? 本部が現場と乖離しているのはいつもじゃないですか。AIだから、特別なことが発生しているというのは私も違うと思います。DXに成功する企業は一つもない、必ずこの問題が起きるならまだわかりますが、そうではないと思います。もっとも、AIによって、今までより問題が可視化されやすくなっているようには感じますけど。
ご指摘のとおりです。「同じ声が多いから構造」は根拠として弱く、返信の書き方が雑でした。本部と現場の乖離が昔からある、というのも同意します。
現場を巻き込まないDXは速く作れるが、現場への浸透に時間が掛かる。
現場を巻き込んだDXは作るのに時間が掛かるが、現場への浸透は速い。
という事のように読み取れました。
どちらが良いというよりも、一長一短な感じがします。
現場を巻き込むと言えば聞こえは良いですが、
時間が無かったり非協力的だったりするとそもそも何も進まない可能性もありますし
AIがいくら速くても、結局は人間の仕事に落とし込む所で必ず時間を掛けなければならない
という事のように感じました。
まとめていただいたとおりだと思います。特に「巻き込むと言えば聞こえは良いが、非協力的だと何も進まない」は実感があります。先に走って、現場への浸透に壁を感じたところが今で、走るのを一旦止めて時間かけて現場巻き込み直すのを試しているところです。
DX推進の現場のリアルが痛いほど伝わってきて、とても考えさせられる内容でした。感謝いたします。
私自身は平社員のぺーぺーであり視点が低く申し訳ないのですが、筆者様のように、現場の実務担当者としてAIを活用し業務を効率化高速化する仕組みを作りマニュアルまで添えて提示した時点で、被雇用者としては120点満点の素晴らしい成果だと思うのですが、世の中の考え方は違うのでしょうか。
そこから先の「AI前提の成果物に対してレビュー体制や品質保証のルールをどうアップデートするか」や「新しい仕組みを定着させるためにチームの『時間』をどう再配分するか」は、マネジメント層である管理職や組織全体としての課題であり、一被雇用者が取り組む範疇を超えているように思います。(筆者様も管理者であられたら申し訳ありません、、、。)
他責になるのかもしれませんが、上司の方がアプリを使わなかった理由についても、本質は、組織側に「痛みを伴ってでも古いやり方を捨てて、新時代に適応する」という明確な意志と目的が欠けていた、または浸透していなかったことにあると感じているところです。
とはいいながら、劇的に真なる改革を行うスーパー社員がいることも事実としてあると思います。あまり論理的ではありませんが、そういった方々は含有する熱量でとにかく前に出て人の心を動かしているように見受けられるので、私自身含め、組織全体で熱量を持てるようになるといいなと常々思っています。
※筆者様のような上司が居たら、私ももう少し頑張れるかもしれません笑
改めて、素晴らしい記事をありがとうございました。
ありがとうございます。励みになります。
分かりにくかったと思うのですが、私はそのチームのマネージャーです。といってもなりたてで、「レビュー体制をどう更新するか」「時間をどう再配分するか」はまさに自分の課題として考えなければいけなくなったところです。一担当者が背負うものではない、というご指摘はそのとおりだと思います。組織の意志の話も同意しますが、自分はその「組織側」に含まれるので他責にはできないところです。
120点と言っていただいた部分なのですが、そこだけでは価値になりにくくなってきた実感があります。作ってマニュアルを添えるまでがAIで安くなったぶん、使われるところまで持っていけるかで差がつくようになった、という感じです。今回はまさにそこが足りませんでした。
熱量で人を動かせる人は確かにいますね。自分にはその才能がないので、仕組みの方でなんとかしようとしているのだと思います。