QAコミュニケーションアンチパターン 2章 ブラックボックスの先に
ブラックボックスの先に
次の日には、意思を香椎さんに伝えた。本来ならば1ヶ月ほど引き継ぎ期間を設けるのだが、私が担当していたAPI設計書やテストケースなどのドキュメントをチームメンバーが理解しており、API設計やテストもローテーションしていたため、チームにナレッジが蓄積されていて、引き継ぎにはあまり時間がかからないと判断されたようだ。ちなみに、ローテーションやドキュメントの方針はスクラムマスターの八島さんの提案だ。ここまで見据えて対応していたと思うと、本当に感心する。異例らしいが、1週間で移動が決まった。甲斐さんや八島さんが、少しでも早く送り出そうとする親心なのだろうと思った。
最終日には、盛大に送り出し会をしてくれた。予定には「メビウス追い出し会」と、少々酷いタイトルがついていたが、もちろんみんなに悪意はない。このちょっとした表現に、逆説的な愛情を感じてしまう。
飲み会ではなぜか龍井さんが号泣している。どうやら、飲むと泣き上戸になるらしい。そういえば、前回も好きなアイドルがグループを脱退すると言って泣いていた。
その日はみんな終電ギリギリまで付き合ってくれて、本当に嬉しかった。できることなら、またこのチームメンバーと仕事をしたいと思った。
本社に出社する。受託開発なので、本社で開発をしているらしい。チームは3つあり、そのうちの1チームに配属されるとのこと。
香椎さんが言った。
「この間話した通り、テストをするってアプローチでシステムのキャッチアップから入ってくれよな」
「はい!」
まずは今のリーダーを紹介するよ、と言われて会議室に向かう。会議室に入った瞬間、どんよりとした空気が漂っていた。
「リーダーの黒々さんだ」
こちらをチラッと見て、ほんの少しだけ会釈をしている。不機嫌そうな印象を受けた。
「有路です!よろしくお願いします!」
「ちなみにあだ名はメビウス君ね」
「メビウス?はぁ、よろしく」
香椎さんが場を和ませようとメビウスネタを投入したが、塩対応されてしまった。僕が滑ったようになってしまったではないか。内心「はーひー」と思った。
香椎さんから今のプロジェクトの状況を説明された。香椎さんが黒々さんに話を振るが、なかなか話が広がらない。結局、ほとんど香椎さんが説明をしている。香椎さんも困っているようだ。
会議が終わり、香椎さんがぼやいた。
「僕も最近黒々さんと関わったんだけど、もう少し話してくれるといいんだけどなぁ…」
一抹の不安を抱えながら、プロジェクトが始まった。
約1ヶ月間、テストを行った。仕様も大体理解してきた。以前のプロジェクトはスクラムで進めていたので、ユーザーストーリーがあり、そのユーザーストーリーをもとにAPI設計書を作成したり、APIテスト設計をしたりしていた。プロダクトオーナーの世羅さんは、ユーザーストーリーを細かく書いてくれるし、コラボレーションツールを駆使してビジュアル的に説明してくれるので、理解も質問もしやすかった。このプロジェクトでは、要件定義書があるものの、スプレッドシートに文字だけで書かれている。書かれている内容もメンテナンスされておらず、古い情報が記載されていたり、表現が曖昧で理解するのに苦労する。この要件を知っているのは黒々さんだけのようだ。
他のエンジニアが要件について聞きに行くと、黒々さんは言った。
「そんなこともわからないのか、チミは」
「はぁ」
「仕方ないなぁ、教えてあげるよ」
その後、席に戻ってきたエンジニアが隣にいるエンジニアに話しかけた。
「全然説明がわからない…話が別なところに飛んで、関係あるのかなって思ったら、その機能は顧客に好評で、その要件と設計をしたのは自分だって自慢話だった」
「肝心の要件のところは?」
「資料に書いてあること以上の説明はなかった…どうしよう」
「違う実装をすると嫌味を言われるしな」
「『チミはなぁ』ってな」
この資料を見ると、世羅さんがいかにきちんと仕事をしていたかがよくわかる。それに、このチームは雰囲気が悪い。基本的にみんな黙って仕事をしている。前のチームでは、みんなが意見交換をしながら進めていた。正直、ギャップに戸惑っている。
八島さんや甲斐さんがいたら、この状況をどうするんだろうと、ぼんやり考えていた。
数日後、チームメンバーがプルリクエストをしたとのことで、その部分をテストすると、要件と実装がずれているようだ。
「すいません、この実装ってどんな前提で作っていますか?」
「はぁ?間違っているって言ってる?」
ものすごく機嫌が悪い。確かに自分が埋め込んだバグかもしれないことを指摘されるのは、心理的に辛いのがよくわかる。このようなリアクションになるのも無理はない。
「そうですね、前提条件はこうで、データはこれを使っています。操作はこの動画を見てください」
「わかったよ。調べるよ」
しばらく時間が経ったが、特に修正したとの連絡は来ていない。
そのうちに開発会議が始まった。毎回2時間以上かかる会議だ。
その中で、先ほど自分がバグを指摘した機能の話になった。少々気が重かったが、正直に事象を伝えた。黒々さんの目つきが変わる。
「修正したの?」
「いや、その前にテストが間違っている可能性はないでしょうか?」
少し責めるような口調だ。
「もしかしたら、その可能性もあるので、先ほど説明をしました。ご確認いただけましたか?」
可能な限り丁寧に話したが、機嫌は悪そうだ。
「有路さん、その説明をしてください」
もう一度説明をする。
「ふむ、間違っていなさそうだな」
少しホッとする。
「チミの実装が間違っているのでは?」
「うぅん」
声にならない声が聞こえる。なんだか胸が痛い。特に責めたいわけではないが、黒々さんも責めた言い方をするので、僕まで加害者的になってしまっている。
「修正します」
「何かお手伝いできることがあれば!」
とフォローしたつもりだったが、舌打ちが聞こえた。ショックだった。
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