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QAコミュニケーションアンチパターン 3章 甘い誘惑と不安の影

2024/09/13に公開

##甘い誘惑と不安の影

登壇イベントがあり、話した後の懇親会で声をかけられた。

「独黒と申します。よろしくお願いします!」

「あ、はい。有路です」

「もちろん知っていますよ。何度か登壇で拝見しています」

「ありがとうございます!」

何度も登壇を見ていると言う割には、見覚えがないことが気になった。最近では、声をかけてくれる人はイベントかSNSで見かけることが多いからだ。

「私はスタートアップ企業で『ドクロクロ』というサービスを展開しています。ご存知ですか?」

「す、すいません。勉強不足で」

一瞬、不機嫌そうな顔になった気がしたが、すぐに笑顔に戻った。

「新体験のマッチングアプリサービスなんですよ。アクティブユーザーも急増中で、20億円も資金調達しています。ほら、この雑誌にも紹介されています。」

ビジネス誌の小さい枠に紹介があった。確かに資金調達をしたらしい。マッチングアプリでの資金調達は珍しいなと思った。

「あぁ、マッチングアプリにお世話になったことがなくて」

「あれ、モテるんですね」

「いやいや、大学の時からの彼女がいまして」

「なぁるほどぉ」

独特のイントネーションだ。

「で、単刀直入に言いますが、CTOをしてくれませんか?」

「CTO?」

「はい、CTOです。品質が課題になっていて、品質に強いCTOが欲しいんです」

正直、CTOという言葉に心が躍った。心のどこかでこの役職に憧れていた。それが顔に出たのだろう。

「興味がありそうですね。この後少し話しませんか?」

「今日は約束があって…」

「では、明日は?」

ずいぶん展開が早いなと思いながら、今日断ってしまったのが申し訳ないのと、たまたま予定も空いていたので、了承した。

「では、明日の14時によろしくお願いしますね。」

次の日、待ち合わせ場所に行くと、近くの高級ホテルのラウンジに誘われた。コーヒーが一杯1,500円もする。

(はーひー)

内心驚いた。スタートアップながらお金の周りが良いのだろうか。

「で、一晩経って考えはどうですか?」

「やはり、自分のチームが好きですし、悩みますね」

「なぁるほどぉ」

「うーん」

「こんなチャンスはなかなかありませんよ。実際に3人ほど候補がいて、今日・明日には決まりそうです」

それを聞いて少し焦った。

「ここで断られたら、その方に決めるしかありませんねぇ。メビウス君ならと思って少し引き延ばしていたのですが」

「あ、そ、そうなんですか。恐縮です」

「ここまでして誘っている私の気持ちも考えてくれませんかねぇ」

その表情は少し怖かったが、罪悪感のようなものもあった。

「この場で決めていただけませんかね?」

すごく強引だ。

「じゃあ、この金額でいかがでしょう?」

提示された金額はとんでもない額だった。お金が全てではないが、そこまで自分を買ってくれるという気持ちの表れだと思った。

それから2時間近く、自分の事業が優れていることや、僕を高く評価していることを雄弁に語られた。少し演技っぽいのが気になったが、時間が経つにつれて心が傾いていった。

「ま、前向きに検討します」

と言ってしまった。独黒さんが喜んでいる。その場で契約書を書かされた。

次の月曜日、辞表を出しに行くと、香椎さんは驚いていた。

「えぇ、きゅ急だね」

「はい、このチャンスを逃したくなくて」

「そっかぁ、スタートアップでCTOか、それはすごいチャレンジだな」

「はい」

「その会社、大丈夫なの?」

この言葉に少し引っ掛かったが、独黒さんの前向きな言葉がリフレインしている。

「はい、将来性があると感じました」

香椎さんは少し考えるようなそぶりを見せたが、

「まぁ、若者のチャレンジを阻害しちゃダメだよなぁ」

と言って、辞表を受け取った。その日のうちにチームメンバーに説明した。その説明には龍井さんも来た。

みんな、快く送り出してくれた。来世さんは、

「ちょっと心配だな、その会社…でも、メビウス君の決断だしね」

自分も少しだけ引っかかっている。

独黒さんには辞表を出したことを報告すると、彼はすごく喜んでいたが、その下品な笑い方が気になった。

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