QAコミュニケーションアンチパターン 2章 新たな船出
新たな船出
緊急会議が終わった後、香椎さんに呼ばれた。
「ようやくこの日が来たよ。待たせたね。いろいろ大変だったでしょ。俺もアサインした身として心苦しくてさ」
「いえいえ」
「ここからが本番だ。前のプロジェクトで培ったアジャイル・スクラムの経験を大いに発揮してくれ」
「はい!」
「メビウス君には引き続きこのチームにいてもらう。本当はメビウス君にリーダーをお願いする予定だったが、一旦サブリーダーをやってもらう」
「構いませんが、リーダーは誰ですか?」
「…黒々さんだ」
嫌な予感が的中した。黒々さんがリーダーでは、今のチームの雰囲気が変わることはなさそうだ。少しがっかりした。
「本人が頑なにリーダーを降りたくないし、このプロジェクトを抜けたくないそうでな」
「そうなんですか」
本人の意向を無視して転籍させるわけにはいかないので、妥当な判断だとは思う。
大榊さんの資料にはアーキテクチャについても記載されており、非常にわかりやすかった。通知機能をマイクロサービス化するようだ。香椎さんもアーキテクチャ設計に関わっているらしい。
「大榊さんはプロジェクトマネージャー業に忙しいから、技術的な質問は僕にしてほしい」
「わかりました」
「…」
黒々さんが黙っていたが、しばらくして唐突に口を開いた。
「こんなアーキテクチャではダメです」
「どうダメなんですか?」
「全然ダメです。話になっていない」
全否定されてしまった。それに、何がダメなのか具体的に説明されないので、話が進まない。
「どこがどうダメか教えてもらえれば議論できるのですが」
香椎さんが冷静に答える。
「何もわかっちゃいないんですよ、あのお客さんは」
黒々さんは雄弁に批判を始めたが、具体的な話は一切なく、要するに自分が優れていて、大榊さんと香椎さんが理解していないという主張だった。ダメだという理由は、このプロジェクトに携わった時間が短いからだという。
「でも、顧客のビジネスを理解しているのは大榊さんなので、前提条件は正しいのではないでしょうか?」
思わず口にしてしまった。
「わかっていないなぁ、チミは。顧客は素人なんだよ。玄人の僕がいなければシステムなんて作れないんだよ。素人に任せていたら、このプロジェクトも終わりだね」
話は平行線のままだ。ちらっと香椎さんを見る。
「話はわかりましたが、方針は変わりません。方針通りに進めます」
いつも余裕そうな黒々さんが一瞬動揺した。
「まだ、わからないんですか?」
「これは顧客と合意して決めたことで、具体的な事例・事象・事実がなければ変えようにも変えられません。先ほどいろいろご指摘いただきましたが、事実がありませんでした。黒々さんの憶測に基づいた意見ばかりで、実態と乖離していると思いました。ゆえに受け入れられません」
香椎さんが淡々と答えた。いつも優しい雰囲気だが、冷静で怖さすら感じた。黒々さんも黙り込んでしまった。
「あと一つ、黒々さんとメビウス君以外の開発メンバーだが、チームを抜けることになった。理由は様々だ。この後、黒々さんと話をしてください」
唐突なことで驚いたが、メンバーたちにとってはちょうどいい潮時だったのだろう。しかし、この後の開発はどうなるのだろう?
「新メンバーは今週中に決まるから、それまで設計に専念してくれ」
3スプリント先くらいの設計を行い、プロダクトバックログも整理した。ストーリーポイントも仮に付与したが、新メンバーの実力がわからない部分もある。それはメンバーが入ってから考えることにした。
一部、前の仕様を確認した方がいい部分があり、黒々さんに聞いてみたが、
「そんなことは自分で考えたまえ」
と一蹴されてしまった。黒々さんが意気揚々と資料を見せてきた。
「これを見てくれたまえ」と誇らしげだ。
それは体制が変わってからの問題点を長文で書き連ねたものだった。
「これは?」
「この1週間で書いていたんだよ。このプロダクトは絶対に破綻する。それは間違いないんだ。あいつらを論破してやるぞ。ぐふふ」
アジャイル・スクラムの問題点や、マイクロサービスアーキテクチャの失敗事例、自分の仕事の実績(というか自慢)、そして自分が長い間エンジニアをやっていて、その経験がすごいということ、その経験上いかに大榊さんがわかっていないかをつらつらと書いているようだった。それは仕事と言えるのだろうか。
香椎さんが部屋に入ってくる。
「ちょっと宜しいでしょうか?」
黒々さんは意気揚々と話し続けている。どうやら話が長くなりそうなので、後で時間が設けられるとのことだ。
「新メンバーだ!入って」
驚いた。
「龍井でーす!」龍井先輩だ。
「龍龍です。よろしく」龍龍さん?
「古林です。期待に応えたいです」古林さんだ。
「ふぁーひぃー」
「まぁ、よく知った仲らしいね」
香椎さんが笑いを堪えている。
「予想通りのリアクション過ぎてつまんないよ。メビウス君さ」
「ほんとほんと」
「『はーひー』が『ふぁーひぃー』になったくらいだな」
懐かしい雰囲気になった。どうやら、以前話していた通り、チームの入れ替えが行われたらしい。僕の助っ人として、3人が来てくれたようだ。
「よろしくな、リーダー」
そういえば、彼らは先輩だ。僕がリーダーで不満はないのだろうか。
「メビウス君がリーダーか、フォローしてあげないとなぁ」
どうも気にしていないらしい。心強いメンバーが揃った。これなら、黒々さんに嫌なことを言われても動じずに済みそうだ。
この数ヶ月で仲良くなった他のチームメンバーと話していても、明るい話題が増えてきた。少しずつこのプロジェクトが良くなる気がした。
「とりあえずウェルカムランチしようよ」
「リーダーだから奢りでしょ?」
「はーひぃー」
「ははは」
香椎さんも大笑いしている。
「俺にも奢ってくれるの?焼肉定食行くかな」
「ふぁーひぃー」
「嘘だよ。奢りっていうか経費出るって。今日は」
楽しくなりそうだ。黒々さんはすでにいなかった。
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