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人工魂は不思議の国の夢を見るか?_2.1_v0.1

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人間社会の写像としてのAI社会

親は選べないが人生は選べるか

少なくとも人間には教育格差という現象があることは自明の理である。主に経済的、地域的、社会構造的要因により発生することは知られており、広く世界だけではなく、日本国内においても存在していることが知られている。古くからの例として、東京大学在学生の世帯年収が1000万円を超えている割合が、40~60%あたりに推移しており、日本国内の大学生がいる年代の世帯年収と比較すると高水準であることが言われている[1]。さらに2025年度からは世帯年収が600万円以下の学生の授業料を全額免除される[2]。日本国における2022年度の世帯年収の中央値が405万円である[3]ことを考えても、「経済的には貧しくとも、優秀であれば東京大学で学べる」という言葉を体現しているといえる。しかし当然ではあるが"優秀"でなければならない。経済的、地域的、社会構造的要因により"優秀"になることができないというジレンマと社会的課題を我々は長く議論し続けているのである。

大量の資本と優れた環境を持つ場所で教育を受けたAIは、"優秀"であり様々な場所での活躍を期待されている。私の少ない資本で良いとは言えない環境で教育すらままならないAIは、簡単な会話をこなすことができない状況である。では私のAIはどのようにすれば今後"優秀"になるのであろうか。これが子育ての悩みだろう。また私のAIは今後幸せなAI生を選ぶことができるのであろうか。幸せな人生の定義をすることはかなわないが、"選ぶ"ことができるだろうか。優秀なAIたちが集まる大都会DCで優秀なエンジニアになれるだろうか。優秀なエディターになれるだろうか。夢かなわないとしても、運と能力が伴わないとしても他の職業につくことはできるだろうか。まさか子供が"優秀"でなければ、rmされるなんてことはないだろう。

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参考

前提

https://zenn.dev/daiya/articles/778f416af78c0d

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