エンジニアの才能と努力
エンジニアとして仕事をしているのだけど、私があまり好いていない同年代の人間が
- 「〇〇さんは頭が良いからできるんだよ」
- 「才能があるからうまくいくんだよ」
と他人に対していっていた。その考え方に対して思うところがあるので綴っていこうと思う。
確かに、世の中には生まれつきのセンスや直感を持った人がいる。でも、それだけで成功するわけじゃない。むしろ、そういう人ほど努力を積み重ねているからこそ、結果を出しているんじゃないかと思う。
才能がある人は努力していない?
トーマス・エジソンは「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」と言った。彼が電球を発明するまでには何千回もの試行錯誤があったとされる。もし彼が「才能があるから努力しなくても成功する」と思っていたら、今のような文明の進歩はなかっただろう。
エンジニアの世界でも同じことが言える。たとえば、身近なところでいうと社内のできる人たちなど、彼らは決して「才能だけ」でその地位を築いたわけではない。彼らは日々技術を学び、試行錯誤を繰り返している。その結果として、「できる人」と呼ばれるようになったのだと思う。
「才能があるからできる」という言葉に隠れた諦め
「〇〇さんは才能があるからできる」と言うのは、ある意味で自分への言い訳なのかもしれない。才能があるから無理、頭がいいからできるんだと決めつけてしまえば、自分が努力しなくても済むからだ。でも、それって成長のチャンスを自分で手放してしまっているような気がする。
たしかに、どれだけ頑張っても届かないレベルの人がいるのは事実。でも、だからといって何もしないよりは、少しずつでも前に進んでいったほうがいい。少なくとも、今の自分よりは成長できるはずだから。
まあ、他人がどう思おうと、自分は変わらず勉強を続けるだけ。才能があろうがなかろうが、努力しない限り、何も変わらないのだから。
何もしないでいたら、何も変わらない
もし今の自分に不満があるなら、まずは行動してみることが大事だ。何かを学び、試し、失敗してもまた挑戦する。そうやって少しずつ積み重ねていけば、いつの間にか「できる側」になっているかもしれない。
例えば、わたし自身の話をしてみる。
私は偏差値35程度の高校を卒業し、新卒で入社した企業で「お前みたいなのもこの会社に入れるんだ」と馬鹿にされた。タイピングすらまともにできなかったし、周りと比べて圧倒的に劣っていた。でも、そこで「まあ適当でいいや」と思っていたら、今のように同年代中央値の2倍以上稼ぐフリーランスにはなれなかった。
ときには諦めたことも何回もあったけど、なんだかんだ努力は継続しつつ、コードを書き、エラーを出し、調べ、修正して、また試した。最初は全くわからなかった技術も、繰り返すうちに少しずつ理解できるようになった。そして気づいたら、フリーランスとしてお仕事もらえるくらいのレベルにはなれた。
才能よりも、続けることが大事
才能がある人間が努力しているのに、平凡な自分が何もしないでいて、何者かになれるはずがない。
確かに、生まれ持ったセンスがある人はいる。でも、だからといって自分が成長できない理由にはならない。環境や他人のせいにせず、できることを少しずつ積み上げていく。それが、エンジニアとして成長するために一番大事なことだと思う。
もし今の自分に満足していないなら、とにかく行動しよう。完璧じゃなくてもいい。少しずつでもいい。続けることが、最終的に大きな差を生むのではないだろうか。
何者にもなれないかもしれないと不安になりつつも、何者かになるために努力していこうと思う。
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