😊

AI が人間を不要にしていく未来

に公開
4

2025年現在、ChatGPT や Gemini を使っていてひしひしと感じるのは、「AI が人間を不要にしていく未来」。
創作に関する全てのレイヤーは AI に呑み込まれ、人の役割は、その上澄みを掬うだけの単純作業になりつつある。

たんぽぽ職人が、たんぽぽの並べ方に、これまでの自分の経験や信念や夢や希望を語り、優劣をつける。
いずれ創作はそんな狭い世界の片隅に追いやられてしまうのかもしれない。

仕様書どおりのコードしか書けないプログラマーは、この2~3年で完全に時代遅れになった。
Cursor や Cline が代わりにやってくれる。
多くのサイトは「型」が決まっている。AI はその「型」に例外となる機能も追加しつつ、人間よりもメンテナンスしやすいプログラムを生み出すだろう。
いや、もうプログラム自体は「必要になったときに、パッと作り出し、不要になったらパッと捨てる」そんなポジションになるのかもしれない。
UI も UX も、アートのような意外性は不要だ。即応性と、いかにクリック数を減らしてあげるか。
AI が人間の代わりにこの方法を 24 時間休まず考え続けてくれる。人が今まで構築してきたインダストリアルデザインの全ては、人よりも AI のほうが記憶している。

ハンコ絵の得意なキャラクター絵師は残念ながら仕事にあぶれる。たった1枚のキャラクター画像から自由なポーズ、自由な角度でキャラクターを生み出すことが可能になりつつある。
アニメの「動画(中割り)」と言われるセクションは早晩 AI が勝手にやってくれるようになる。アニメーターの多くはその「動画」を登竜門として「原画」「作監」と自分のスキルを伸ばしていくのが通例だが、もはやその道は途絶える。
心配しなくてもいい。そのうち原画も AI でよくなってしまうし、作監は「AI にどう上手く作画工程を伝えられるか」がお仕事の内容になるのだから。

人を不安に煽るだけの提灯記事ライターなんて論外だ。
AI が作り出すスピードは人間の数百倍だ。太刀打ちできるわけがない。
適当に面白そうな Youtube の動画を NotebookLM で要約し、人が書いたように GPT で整形させればあっという間に「それっぽい」記事になるだろう。あなたがそれを知っているかどうか、そんなことは問題なく。
もう、既に AI に取って変わられた大量の記事が note に上がっている。
この数は指数関数的に増えていく。

作曲はどうだろう?
──曲とは、突き詰めて言えば、「感性」と呼ばれる情緒的な理論を心地よく刺激するための、効率的な旋律とリズムの配置だ。
AI がなくても、心地よい音を集めて自分なりにまとめれば、それなりの曲はできあがる。
それが、(全てではないが)デジタルネイチャー時代の「作曲」であり、ストリーミングサービスがその環境をさらに容易にしてしまった。
AI がその上を行く効率で、1日何百と曲を書き続けた時、今のように1曲数万~数百万も払って曲を創ってもらうなんて笑い話になるだろう。

「自分は人とのコミュニケーションが苦手で……」そんな理由でクリエイターになった多くの人に、これから待ち受けるのはタイパという名の、冷酷な選別だ。
人より圧倒的なスピード、どんな指示を出しても、眉一つ動かさない献身さ。
動画を 2 倍速で見るような君たちだって、人より AI を選ぶだろう?

AI に指示を出すのは「どうしたら人に仕事をしてもらえるか」、それを考えるのに似ている。
元々、人へ論理立てて指示するのが得意な人は、そのスキルをそのまま AI に転用できる。
そうして AI に仕事を振っていった先には……。

部下も、新人も、仕事の出来ないアイツもソイツも、全ていらない。
指示を出して24時間 AI に働いてもらったほうが効率がいい。

ここからは AI と上手にコミュニケーションできる人間がクリエイターを名乗れるのだろう。
今「クリエイター」と呼ばれている人たちは、やがてシーラカンスのように、ただそこに存在する「趣味人」として扱われていく。
X で写真さながらの絵を描く人を「すごい!」とリポストしても、多くの人はそれを買うわけでもなく、ましてやそこから絵を描こうとはならず、写真で満足する。
電気があるのに、今さら蝋燭だけの生活に戻ろうという人はいない。
いたとしてもそれは「無駄なことしてる自分カッケー」と思える、一部の好事家だけだろう。

このまま AI が物凄い勢いで進化し、あっさりとシンギュラリティを超えていった時……。
クリエイターが一部の「好事家」と呼ばれるようになった時……。

自分はきっとその「好事家」を続けるんだと思う。

作るのは、楽しい。ただ、それだけの理由で。

革新的な技術が「面倒を楽」にしてくれるのはわかる。でも「楽しいことを奪う」のは必要なことだろうか?
人の作った AI が人の生きがいを奪った時、人は一体なんのために生きていくのか。
もちろん、ググる以前にはもう戻れなくなったように、AI がなくなることはない。
自分なりに折り合いをつけて、付き合っていく。自分の創造に、活かしていく。

AI とも向き合っていこう。自分が「楽しい」を実感するために。

「~の仕事はなくなる」なんて知ったことか。
人間は不完全な生き物だ。
誰にも理解されないような斜めの上を目指して、まっすぐに突き進む。
全体を見渡すことなどできず、敢えてせず、周りのことなどお構いなしに、ただ、尖った場所を求めて。

──この愚かさこそが。
それだけが、AI に抗う、人間という存在の最後の灯火なのかもしれない。

Discussion

YadaScriptYadaScript

AIは感情を持たず、新しい発想やひらめきなどもない。ただ人間に支持されたタスクを実行するだけだ。そんなAIに人間の役割を取られる時代は来るのだろうか?

catsnipecatsnipe

難しい問題ですね、AIが今後どう進化するかわからないので。

新しい発想も、ひらめきも、人が「なにかのデータ」をインプットした結果生まれるものだとしたら、
あらゆるネットのデータをインプットし、そこからなにかをアウトプットしているAI。
例えば膨大な将棋の棋譜を研究した結果、一流の棋士でも発想しない「理解不能だが、勝つための一手」を選択し、人間棋士を負かすのは、人間ですら届かなかった新しい発想であり、ひらめきと言えるようにも思えます。

とはいえ、AIはAIであり、人ではないし、人になる必要もないでしょう。
人は人なりに、やれることを見つけ出していけばいい。
文章は若干悲観的な感傷に寄せてしまいましたが、私自身は結構楽観的に捉えています。

YadaScriptYadaScript

そうですね。僕もAIを否定するつもりはありませんし、なんならとても便利なのでいろいろなことAIに使用しています。ただ「人間がしなくていいもの」と「人間がしないといけないもの」をしっかりと分けて、AIを運用していくことが大切になりますね。

catsnipecatsnipe

おっしゃる通りですね。「人間がしないといけないもの」の区分はとても大切だと思います。
私は、可能な限り、最終決定権・責任を人が持つようなかたちを望んでいます。