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AI時代にも残りうる「価値」とは何か? 〜生贄信仰からの脱却〜

に公開

価値の正体とは何だろう?:

資本主義の世の中、みんな誰もが価値を欲しがっている。価値があると認められた者は、フォロワーもコネも多く、金も稼げてモテる。

まるで価値なき者は存在してはいけないとばかりに、この社会は容赦のない淘汰圧をかけてくる。

だが、価値とは何だろうか?

人間にはそれぞれ価値観があり、宗教観があり、何一つとして同じものなどない。誰も他人の頭を覗けないのだから、「エスパーの如く察しろ」などと強要されても不可能である。

そこで、誰もが参照できる共通の客観尺度が欲しくなってくる。

古典的定義への痛烈なツッコミ

では、ここではまず個人の変動的な主観的価値は一旦置いておいて、価格というものに目を付けてみよう。

単純な古典経済学においては、価格の正体は需要と供給の釣り合いで決まるものだと、かつてのアダム・スミスやその徒弟たちは説いた。

これの売買を媒介するものがお金だ。ここまではいい。ただの一般常識、さながら経済学の九九だ。

いや、しかし待って欲しい。この定義には決定的な、そして致命的な難がある。

需要と供給が決まる前に、独立した個体である売り手と買い手どうしが、相手の頭の中を覗き、先にどれくらい欲しかったり売りたかったりを知るのは絶対的に無理だ。

この情報の非対称性と観測不可能性こそが、需要逼迫だったり、反対に供給過多だったりを生んでしまう。

この価値反映のズレ、時間差こそが、バブル価格高騰や余剰在庫、そして不可避な不況を生み出してしまう根本原因だと考えられる訳だ。

適切な価値反映、すなわち「情報伝達の速度」を最適化することは、経済の安定性から言っても極めて重要な論点となる。この価値反映の遅れがある限り、不況という名の集団的苦痛は何度でも繰り返す。

つまり、需要と供給の釣り合いの適正価格というのは、過剰高値や底値買い叩きでひとしきり損をする人と得をする人が発生してから後の、反応が終わった後の平衡状態にしか成立しない。これではちっとも役に立たない。

知りたいのは、全ての反応が終わった後の価格ではなく、刹那の価格の方なのだ。

もちろん、現代の経済学、特に情報経済学やオークション理論、そして行動経済学は、この刹那の価格決定や情報の非対称性から生じる問題を解決しようと腐心しているのは承知している。

しかし、それらの多くは「合理的な行動」を前提とした理想モデルの範疇を出ていないか、あるいは人間心理の不合理性を組み込むにしても、その普遍的計測には至っていない。
この序文では、その刹那の価格を動的な計測量として捉え直すための地盤を築きたい。

本の価格というのは何で決まるのか?:

業界の慣習とかそういう話ではない。もっと本質的な価値の話だ。

みなさんは本屋で本を買う時に何に納得して価格というものを支払うのだろうか?

内容への期待感? 表紙デザインの豪華さ?

内容は名著かもしれないし、逆に全くのゴミ情報本かもしれない。

いずれにしても買う前から内容を知ることはできない。買う意味が無くなるからだ。

そこであなたは周辺情報から推測することを試みる。

本屋ではたくさんの宣伝ポップやらポスターやらが飾ってあって、平積みしている本から大体の売れ筋が見えるようになっている。

そういう雰囲気から推測する訳だな。一種の賭けである。

えいやと買った後に、あなたは失望する。残念、ゴミ本だったのだ。内容がつまらないとか何でもいいが、とにかく合わなかったのだ。

だが、この本を返品して全額を返してくれというのは通らない。何故ならあなたはこの本の内容を知ってしまったのだから。中古本で売ることもできるが、元の販売価格以上のものが戻ってくることはまずない。

記憶は返品できない。いくら内容がゴミカスでもトンデモ偽科学本でも、だからといって後から返金してくれることも、値段が下がってくれるということもない。

そもそも本は、内容によって価格差というのはあまり付けない。この漫画本がめちゃくちゃ面白いと分かった後で価格を釣り上げたりはしない。

では、本の価値というのは何で決まるのだろうか?

作者の労力? それも違う。作者が何年もかけて紡いできた至宝のアイデアでも、ハナクソほじりながら超余裕だわーとか思いながらテキトーに書いたトンデモオカルト本でも値段自体はそう変わらない。

本というのは量産品だ。企画編集から紙や印刷にコストがかかり、輸送にコストがかかる

そういうコストから利益でペイできる大体の値段が決まるのであって、作者の努力量だけで決まるものではない。

巻末や宣伝でいかに苦労しましたわーみたいな苦労自慢はできるかもしれないが、それを本当だと確かめる術はない。あなたは直接見た訳ではない。

あくまで演出であり、ストーリーだ。実際はやっぱハナクソほじりながら書いてたかもしれない。

いや、おれは作者の頭の中が全部分かるんだという奴がいたらソイツはヤバい奴だ。病院に行った方がいい。

努力量と値段は比例するとは限らない。 やはり最低限の値段を決めるのはコストである。

印刷や輸送や販売にはエネルギーがかかり、タダではない。

なら電子書籍はどうだろうか?

印刷や輸送も必要ない。サーバー費は必要だが、自力で販売店を立ち上げるよりかは安く済む。

ならなんで電子書籍と紙の本は値段が大して変わらないのだろうか?

ここでは出版社に文句が言いたいのではないが、古本屋に転売できないだとかサ終したら本データも全部没収みたいな様々な制約があるにも関わらず同じような値段で売るのはいかがなものか。

いや、値段は別にいいのだが、中央集権サーバに依存して検閲や流通規制の可能性もあるのはシステムとして脆弱になりかねない。

また、ここでは「内容を知る前」の価格決定要因として、ブランド価値、過去の評価、社会的シグナル、そして価格設定における心理的効果の要素要因をとりあえず置いておいた。

理由はなるべく客観的なエネルギーコスト的な最低価格の観点に着目したいからである。

主観的要因を別項として一旦分離し、ここではもっと本質的なことを問いたいのである。

電子書籍は紙の本と違って「質量」が無い。

この質量が無い、情報体であるがゆえに印刷工場や輸送をすっ飛ばしてサイト販売ができるのである。

当たり前だと思われるかもしれないが、実はこの「質量」が無いという違いが「価値」の正体についての重大な意味を孕んでいるのである。

「価値」と「質量」の関係:

ではこの「質量」とは何だろうか?

印刷や輸送には質量があるがゆえにエネルギーがかかり、明確なコストがかかる。

なので、作るのにはコストがかかったんだから読みたきゃ金を払えという言い分も成り立つ。

しかし、作者の努力というのは実際に量として測るのは難しい。

どれだけ準備時間をかけただとか苦労しただとかエピソードを語るのは簡単だが、それを絶対量として証明できるだろうか?

俺はお前より2倍苦労したからお前より報酬は倍で、さらにそのまたお前は楽をしたから報酬は半分な、などと誰が決められる?

まさか、24時間作者に監視カメラを付ける訳にもいかないだろう。

また、証明できたところでその分だけ値段が釣り上がるという訳でもあるまい。

そうではない。「価値」というのは周囲の買い手がどれだけ欲しいと思うかによって決まる。

たとえ、自分でこの黄金は永遠不変の価値があると思っていても、道端のその辺にいくらでも黄金が転がっている街や時代があったとしたら、その黄金はゴミ同然の価値しかない。

黄金でさえ、その価値は瞬間的な刹那にしかなく、日々変動し続けている。

だが、人間はこの日々変動し続ける価値というものを直接認識できない。「信じる」しかない。

この信じた価値と真の価値が時間差として積み重なりすぎた時、そのズレが許容できなくなってくるとバブル崩壊みたいに一気に崩れ落ちる訳だな。

他の例でも見てみよう。

あなたはラーメン屋を開業する店主で、苦心して作り上げた麺のコシと鮎のスープを売り出したとする。

結果は大当たりして大繁盛、行列のできるラーメン店の一丁あがりだ。

この時、店主は自分の仮説は正しかったのだと納得をする。きっと人々は鮎のスープを求めていたのだと、時代が求めていたのだと。めでたしめでたし。

しかし、ここでちょっと視点を変えてみよう。

通りすがりのどこかのラーメン好きな一般人青年がこの行列のできるラーメン店を目撃したとする。

初めてこの光景を見た青年にとっては、もちろんこのラーメン店が流行っている真の理由など分からない。

そして、よく分からないが試しに並んでこのラーメンを食べてみた青年は感動してこの行列の意味に納得して帰っていく。

一見なんの変哲もない過程だが、ここである思考実験を考える。

もし、この過程を見ていたなんか神様的なやつがいて気まぐれを起こす。

そして青年が並んでやっと店内に入ったタイミングで、なぜか世界線変動を起こして気づかれぬ一瞬でちょっとだけ違うパラレルワールドへと彼を飛ばす。このパラレルワールドは即席のものではなく、ちゃんと別の歴史を持つ僅かに違う世界だとする。

そのパラレルワールドはラーメンのメニューと店主の頭の中だけが僅かに違う世界で、ニンニク野菜マシマシのガッツリ系ラーメンだった。

世界線変動に気付かなかった青年はこのラーメンも完食し、この店の行列の意味に納得して帰っていく。

要するに、客側であるこの青年にとっては店主の頭が何を考えているのだとかどう中身が変わっただとかに関係なく、どちらの世界のラーメンであってもその行列ができる理由を勝手に解釈して納得するだろうということである。

この青年にとっては店主の頭の中がわずかに変わったことに気付かないし、それを観測する術もない。

もちろん、この店も行列も見つける前から流行っている真の理由を彼は知ることはできない。それは全知全能の神の視点だ。

この気まぐれな神が本当にいるかどうかも、青年にとっては観測不可能なのだから、これもやはりどちらでもいい。

つまりは、この「価値」というのもまた、観測者によって後付けされる量なのである。

この量ってのが何で決まるのかっていうと、やはりこれは周囲との差分であろう。

行列というのは周囲の店との違いがあるからこそ目立って注目を集める。加えて、誰か大勢の人が評価しているというのはある程度の品質が保証されていることを意味する。

まさに、そこに人が大勢いること自体が価値を帯びてくる典型例である。

作り手側の人間というのは、とかく自分の作品の全てが見えているので、中身こそが永遠不変の黄金だと思い込みがちである。

だがもちろん、客側にとってはそんなこと知る由もないので大抵が先に目に入るのは行列だとかSNS上の評判とかである。最初から中身全てを知っている人などいない。

この作り手側と買い手側の視点の違いが決定的な不整合を生んでしまう。

世界の成り立ちは物理法則で決まっているが、人間の頭の方は有限だ。

客側からしてみれば、実はある程度以上の品質があれば、流行っているものの中身なんて何でもいいのであって、大勢の人間が認めているという見た目と演出さえあれば大半がなびくのである。

7月5日に何かが起こるなんて大予言様も、中身なんて何も無くても大勢の人間が知っているというだけで絶大な力を持ってたし、あらゆる流行りものやアニメ漫画も例外ではない。

鬼滅やワンピが認められているのは、似たような作品が他に無かったからこその強調効果であって、当たり前だが似たような被り作品ばかりで事前に溢れていた世界線があったとしたら、内容自体が全く同じだったとしても流行ることは無かっただろう。

人は差分しか見ていない。

錯視研究とかでもそうだが、視覚でも周囲のピクセルとの差分から特徴量を認識していると分かってきているそうだ。

さっきのラーメン屋の例えも、もし店主の正体が実はロボ店主だったと後から知った時、上手いと言って食ったラーメンの評価も後から変わるのだろうか?

もし、高性能なラーメン調理ロボが出来たとして、どのラーメン店も超絶上手いラーメンのどんなメニューもその場で出来るとしたら人は一体どんな基準でラーメン店を選ぶのだろうか?

もはや、一般人の舌ではロボ製のラーメンと人間製のラーメンが見分けがつかないとしたら、果たして人は一体何の情報を手がかりに良い悪いを決めるのだろうか?

そこでは中身そのものではなく、行列だとか評判戦略だとか優しい店主がいるだとかの周辺情報こそが重要な役割を演じてくるようになるのは想像に難くない。

こんなことを言ってるのは別に作品とか個人の好みだとか自由意志や努力の意味を否定したい訳ではなく、人の認識が連鎖することによる流れ、「流行傾向」と観測不能量である個人差によるランダム項との影響とでとりあえず分けて考えたいからだ。

ちょうど確率微分方程式みたいなイメージである。

ちなみに、ここで挙げた思考実験は分かりやすくしたイメージの為の舞台であって、もっと客観量を使った粒子間の速度差分とベイズ的な確率モデルは別稿を参照されたし。

https://zenn.dev/alrert_einstein/articles/067e70ae0bbdd2

「データ」自体に価値は無い。:

ここまで話せばもうお分かりかもしれないが、静的なデータ本体に価値は無いのである。

デジタルデータとは全て0と1の組み合わせに過ぎない。

どんなデータでも、もし無尽蔵にいくらでも合成可能になればデータ単体ではその価値を失う。

どんなに見目麗しいアニメ漫画でも、それはデータだけ見れば模様やパターンの集まりだ。そこに魂などというオカルト的なものは存在しない。

人間がただの模様を勝手に解釈して初めて意味というものが発生するのである。

図書館倉庫の奥底で埃を被っている目録と同じで、誰も見てない限りはただの置き物と同じだ。

その変な模様を、レコード再生機である人間が観測して解釈した時に初めて意味というものが発生する。

ではどうすればいいのか? さっきも言ったように行列の度合いを直接測るしかない。

すなわち周囲との差分であり、注目度だ。いわゆるアテンションエコノミーってやつだな。

ここに広告をねじ込んでぶつければ、費用も回収できてめでたしめでたし……

って、そんな訳ないだろ。

そもそも広告とは、ゲート型と呼ばれるビジネスモデルである。

ゲート(門番)が通せんぼしていて、ここを通りたければ広告を見てから行くか、サブスク代や購入代金を払うか?みたいなビジネスモデルだ。

youtubeやXついったとかもみんな基本的にはそう。普通のものを買うのには対価を払えというのがみんな大抵それ。

実はここに「価値」の正体ってやつが潜んでいる。

この門番が客の邪魔をするってのは物理的には「抵抗」が近いだろう。粒子の速度が水の抵抗を受けて減速するみたいな。客は広告に邪魔されて視聴が少し遅くなる。この「抵抗」の分がお金になってる。

同じ歩行速度の力でも、地上歩行と水中歩行とでは全然速度が違う。

この「抵抗」が何なのかというと、客も門番も粒子とした場合に粒子速度どうしの衝突と見なすこともできる。

客側が最初にある程度の速度を持っていて、門番側が速度が遅く止まっている側の障害物の粒子だとすると、衝突を受けた客は門番をビリヤードのように跳ね飛ばしますが、客も運動量を門番側に受け渡して少し減速する。

つまりは速度どうしが衝突して両者の平均がとられる訳だな。

これを何回も繰り返すとやがて客側は運動量を失って停止します。クソウザ広告が多すぎて心が折れちゃうイメージだ。

これらの過程をモデル化すると、あたかも「粘性抵抗」みたいなのが再現できる訳である。流体力学の応用だ。

この過程では、客側粒子が門番粒子側に運動量を受け渡し続けてやがて停止する。

すなわち、運動量そのものの「拡散」現象を利用している訳である。

全体を見ると、これらの「抵抗」があたかも「質量」があるかのように見える訳だ。

ちなみに、ここで言う質量とは粒子どうしの相互作用で生じる質量の方を指しており、粒子そのもの質量とは別だ。ここでは簡単の為に粒子自体の質量パラメータは同じ1と規格化してある。

ともかく、ここまで見ると、「価値」の正体ってやつが見えてきそうではないか。

やはり、「抵抗」や「質量」こそがお金そのものだと見なして考えることも可能ではないか。

ビットコインと価値保証の仕組みからの比較:

みなさんはビットコインの根本の仕組みをご存知だろうか?

詳細は他の記事なりを見てほしいが、ごく簡単に言うと、どんな長さのデータでも特定の桁の数値列に超圧縮変換してしまうハッシュ関数というものがあり、ビットコインはこれを利用している。

これらの逆算困難な値をさらに連鎖させて、さらに逆算不可能な決済履歴を連ねてる訳だな。

これをブロックチェーンと呼ぶ。

ビットコインにおいては、黄金そのものと黄金の取引履歴データというのは同じ意味を持つ。

普段みんなが当たり前に使っている紙幣というものも、元は黄金やら何やらの預かり証が元になったと言われている。

物質的にはただの紙切れにも関わらず、その紙切れがあれば黄金と交換できる保証があるということで、この紙切れ自体を取引するようになって力を帯びてくる訳だな。

黄金の埋蔵量には限りがあるので、やがては政府が価値保証して発行する紙幣へと切り替わっていくのだが、これはこれで国力自体が弱ったりすると通貨自体の信用価値が下落してしまう問題点を孕んでいる。

そこでかつてのサトシナカモトは、もし偽造困難な取引履歴データ側だけでも作れれば、その取引履歴データそのものが黄金と同じ意味を持つと見抜いた訳だな。デジタルゴールドの誕生である。

ただ、これもデジタル上の黄金を再現しただけであって、需要と供給によって価格が決まるという瞬間的な価値変動が避けられる訳ではない。株価みたいに価値が不安定に変動し続けることに変わりはない。

現金だって、価値反映がすげー遅いからあたかも一時的に安定しているかのように見えているだけであって、その価値反映の時間遅れが積み重なってくるとバブル崩壊や不況で誰かがそのうち損を引き受けるだけだ。まさに恐怖のババ抜きである。誰かの得がそのまた誰かの損になるようにできている。

ともかく、ビットコインの価値保証の話に戻ると、その取引履歴の偽造困難性というのはハッシュ関数の逆算困難性によって支えられていることが分かる。

このハッシュ関数を計算資源を投じて計算しまくることによってデジタルゴールドを発行している訳だ。これを黄金を掘ることになぞらえてマイニングと呼ぶ。

すなわち、このデジタルゴールドを掘り出すには莫大な計算資源が必要だという構図がビットコインの偽造困難性を保証している。

これをProof of Works(仕事による証明)と呼ぶ。略してPoW。みんな仕事を頑張り続けることによって逆算困難性と価値というものを保証し続けている訳だ。これだけ聞くと画期的な仕組みにも思える。

だが、実はこれってかなり効率が悪いよね?

すぐ分かるが、この仕組みを支えるのに莫大な計算資源を投じ続ける必要があるのは明白だ。

人間で言えば、社畜の労働を生贄として捧げ続けることによって品質保証と価値を保ち続けるみたいなもん。

そもそもこのProof of Worksという仕組み自体は必須ではない。要は何か逆算困難な量があれば価値保証は作れるという点である。

PoWの亜種としてProof of Stakeというのもあるが、あれは参加者に掛け金という人質を出させて通貨偽造をする動機自体を無くそうとしているという仕組みである。

ごく簡単にしか言わないので正確には他の記事を当たってほしいが、これはこれで金持ち有利な仕組みであることは分かる。

銀行の利子がより多く付くのには、金持ちの方が有利みたいなもん。最近のイーサリアムとかがこれに当たる。

しかし、ここで私が提唱したいのはもっと革新的な方法である。

それがProof of Diffusion(拡散による証明)だ。

Proof of Diffusion(拡散による証明)のパラダイムシフト:

詳細な仕組みについては別稿に記してあるので、ここでは概要とその背景思想を説明する。

仕組みはさっきも述べた客と門番のモデルと同じだ。

粒子と粒子の衝突を考え、その運動量(速度)が拡散していく過程を捉える。

これはSNSの具体例で言えばズバリ「伝達速度」の計測である。

よくSNSの問題点としてエコーチェンバー化現象が挙げられるが、PoDはこの現象を逆に利用してやる。

エコーチェンバー化とは似た嗜好の者どうしばかりが集まって情報が偏ってしまうクラスター形成状態のことを指す。

ゆえに同じクラスター内どうしの者たちとでは情報の伝達速度が早く、逆に異クラスター間では伝達速度が遅いことが期待できる。

同じクラスター内どうしの者たちとでは頻繁に情報伝達がなされるが、異クラスター間ではあまり交流が起こらないという状態が考えられる訳だ。閉じこもる陰謀論者とかまさにそれだな。

ここでこの「伝達速度の差」を計測してやるのである。

伝達速度だけではなく、伝達速度の落差というのが重要だ。

この差をスコアとして、粒子衝突時の運動量交換として両者に付与してやるのである。

この時の各ユーザー間の拡散速度の差こそが付与されるコイン量を決めるスコアとなる。この拡散速度の差を埋めるようにスコアを各ユーザーに付与していく。

速度の速いユーザーは遅いユーザーの分との平均を計算して、そこから元の自分との速度の差分を受け取ってプラスかマイナスかの穴埋めスコアが付与されていく。

速い粒子と遅い粒子が衝突してその運動量が交換されるイメージだ。収支が必ずゼロになるので、グループを作って八百長をしても検証で不正はできないし意味がない。

不可逆的に速度スコアを更新していって、これらの速度差比較を次のノードユーザーにも繋げていく。すると、全体である程度の平均値へと近づいていくはずだ。

ある種の平衡状態を目指すからこそ、この通貨の価格は安定しやすいことが予想される。

そして、この速度差スコア履歴が最も高かった者がマイニングの勝者となるのである。発信源に近いほどに、このスコアはインフルエンサー的に蓄積されていく。

結果的に拡散に協力したものたちにもバケツリレー的にスコアが溢れ落ちて分配されていくのだ。

これらの仕組みがクリエイターへの還元を可能にする。

また、PoDは閲覧しただけである程度の収益がやり取りされる仕組みも備えている。これらはサーバーコスト問題をを打ち消す方向へと働く。

色々と書いたが、要は同じクラスター内どうしの者たちとでは低い情報伝達スコアだが、異クラスター間では高いスコアが付与するということである。

それらとマイニングを結び付ける具体的な仕組みは別稿を参照してほしいが、そこでは論破スコアの導入や引用元による収益化奪取ゲームなどのワクワクするような新機能についても議論している。

特に収益化奪取ゲームの部分は重要だ。この為にたくさんの考察を積み重ねたまでもある。

もちろん、これらの仕組みは主にエネルギーコスト的な観点に着目したものだが、ビットコインの偽造困難性と価値保証もまた似たようなものだ。

要は道具としての「通貨」の使いどころである。

個人の宗教観の争いは後でいくらでも争えば良い。

AI時代にも残りうる「価値」とは何か? 〜生贄信仰からの脱却へ〜:

生成AIによってコンテンツが無限生成できる時代に突入しつつある。

それは人間の認識をハックできるというデータパターン法則が特定されつつあるということでもあるし、同時に人間が好むコンテンツというものが単なるパターンの羅列に過ぎないことがバレつつあるということだ。

そこに無断学習ガーとかいう造語を言っても無駄なことだ。さんざん考察してきたように静的なデータ自体に価値なんざ無い。

そこには作り手の魂なんて無い。それはただの組み合わせの模様だ。

例えば、あなたはシマウマの模様に何か意味を見出せるだろうか?

同じシマウマどうしならば、そこに何か重大な意味とか壮大なストーリーを読み取るのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。

イルカやクジラは超音波でめっちゃ詳細な賢い会話をしてるのかもしれない。鳥の一部は鳴き声で会話をしてるそうだ。

これらは同種どうしの共通認識プロトコルがなければ成り立たない。他の種族にとっては無意味だ。

人間もまた同じだ。言葉やお気持ち倫理といった共通認識によって成り立っているものは、全て集団幻覚の水槽の中でしか成立しない。人間の脳は自分の水槽の中でしか物事を認識できない哀れな金魚ちゃんだ。

そんなものは宗教と大差ない。宗教では永遠に紛争など解決しない。

必要なのは誰が計算しても同じという計算式であり、お気持ち宗教ではない。

では、どうしたら日本のコンテンツやIP産業を守れるのか?

まずは大前提として静的なデータに価値は無いことを基本的に認めることである。動的なデータになって初めて価値が生まれる。

学習データの貢献度とか言ってる奴は根本的に機械学習の仕組みを理解していない。

例えるなら学習データとは環境や地形図のようなものであり、学習とはその上を台風がどう動くかを計算してるみたいなもんだ。

この時、特定の地形図に張り付いてしまった台風は過学習(オーバーフィッテング)と呼ばれ、それはもう台風ではない。ただの地形図だ。学習失敗の状態である。

目的はそういう進路を計算すること、すなわち汎化性能を得ることにある。

この台風のみから下の地形図を再現することは不可能だ。

人間で言えば、3年前に乗ってた電車の車窓から見たあのビルの窓ガラスの枚数とか覚えていちゃいないだろう?

それと同じで、AIの重みデータ自体には元の学習データは残っていない。ただなんとなくの概念だけが残っている。

元の学習データ自体が残っていないので、それに対して貢献度とかの動的計算は不可能だ。

潔癖データだけでの学習しか認めないとかもやめといた方がいい。大企業の独占を招くだけだし、個人レベルでも学習はできる。

視覚素子や義眼技術も同じ原理で出来るようになるだろうし、視界に入っただけで罪になりうるとかそれってどんなディストピア?

買われた本がどう使われるのかを家までついていって24時間監視したいなんて奴がいたらソイツは間違いなくヤバい奴だ。

また、出力時に全てのユーザーを監視して確実に止めるなんてのも不可能だ。

そうではない。

今この瞬間に世界で発生する全てのズルを未然に防ぎたいみたいな発想は確実に失敗する。

そんな全知全能の神は存在しないし、あったとしても監視社会ディストピアになるだけだ。出力時から未来永劫に渡っての影響なんて事前に予知できる訳がない。

そうではないのだ。

出力を後からいくらでもチェックできるシステムがあればそれでいいのだ。それを可能にするのがPoDである。

このPoDは過去方向への履歴編纂と検証をすることを可能にする議論システムを備えている。

気に入らない出力があるなら、後からパクリ警察でも何でもすりゃあいい。それが本当に多くの人が認める類似度があるというならその主張は通るだろう。二次創作収益の還元にも繋がる。

だが、根拠の無い魔女狩りやケガレ思想や集団攻撃は持ち込ませない。

ポイントは今のSNSのような悪即斬で人格攻撃や政治攻撃にまですぐに波及する現状を、ただの収益化割合奪取ゲームと引用の連鎖に置き換えてしまうことにある。

これは悪を成敗するのが目的ではなく、人間誰しも誰かに影響を受けてパクリパクられて生きているという事実を可視化することが目的にある。

正義もまた欲なのだ。

ゼロから有を生み出せる人間などいない。いると思っているならそれはただの幻覚だ。

現実に存在するのは少し似ているから類似度までのなだらかな確率分布であり、1か0かで全てが決定する世界ではない。

どうも最近はAIより融通の効かない、1か0かでしか判断できない人間コンピュータが多すぎるようだ。

この世の全ては確率で出来ている。

必要なのはグレーゾーンを許容できる清濁合わせ持った他人を許せる社会であり、潔癖で誰も住めない社会ではない。

この国はどうも他人の思考も行動も操りたくてしょうがない人たちが多すぎて困る。

また、最近では市場の希薄化とかいう新しい言い訳が登場しているようだが、これはギルド仕草を言い換えただけと何が違うんだ?

クリエイティブ業界がその本文も忘れ、ただの著作権トロールやナワバリ争いみたいになるのは残念なことである。

さっきも言ったように、全てのデータは0と1のドットの組み合わせで表せるものであって、人間にはいくら膨大に見えてもあくまで有限は有限だ。

元々ある有限の土地の上にたまたま住み着いているだけであり、それを奪い合えば領土争いにしかならない。

ヤクザの抗争と似たようなものだ。全てのパターンが出尽くせばそこで終わりである。

この先、リアル領土戦争では飽き足らず仮想世界の土地争いまで始めたら人類は一体どこに生きりゃいいんだ?

なるほど、反AIみたいな行動はゲート型モデルで理解できるかもしれない。

門番がユーザーの足を引っ張りまくればその抵抗によって、あたかも擬似的な抵抗で「質量」が生じているように見えるかもしれない。質量があれば一時的にでも価値が保てるかもしれない。素朴な感情だ。

だが、他人の邪魔をし続けることでしかその価値を保つことができないのは、webのクソウザ広告と本質的に同列であることを理解していない。

AIを使うとズルいと思いがちなのは、裏を返せば他人の苦労は喜ばしいと思ってしまう人間の特性の現れでもある。

これもまたProof of Worksの一種と見なすことができる。

労働という生贄によって保証される「価値」がないと我慢ができない訳だ。

これではクリエイターの味方でも何でもない。ただの害悪でしかない。

自分には資本主義のルールを否定しながら、他人には資本主義の奴隷となることを要求している。意味がわからないよ。もう資本主義なんてやめてしまえ。

そもそも、広告といったゲート型ビジネスモデルが限界に近づいてきていることはgoogleたち巨大AI企業も気付いて焦り始めていることである。

googleよ。お前にも聞かせる為にわざわざこんな文を書いているんだ。

広告というのは情報格差や非対称性があってこそ絶大な利益を出せるものであって、AIはそれを解消してしまうから相対的に弱くなってくるということだな。

逆に言うと、既得権益者が価値を保つ為には身分制の方が都合がいいということですね。わかります。

また、サブスクモデルもコンテンツの収益化問題を完全に解決したとは言い難い。

何故ならば、その囲い込み戦略がコンテンツの拡散とネットワーク外部性という特性と相性が悪いからである。

サブスク会員にならないとそのコンテンツが見れないというのは、より大勢が集まる所にこそ「価値」が宿るという人間の特性と相性が悪い。

さらにはサブスクが増えすぎて積み重なると可処分所得にも確実にマイナスとして響く。

そんなに毎月たくさん使うものじゃなかったりするし。

囲い込み戦略自体がクラスター化の一種であり、全体のパイとしては目減りしてゆく等の問題点がある。

だが、今回のProof of Diffusionは従来のものとは違う視点から「価値」というものの正体を新たに炙り出す。

要はエコーチェンバー内に閉じこもらずに「貿易」をせよ、ということである。

貿易という行為で拡散勾配を埋めることによって、新たな反応というのは作れるのだ。その散逸の過程にのみ、「価値」というものは発生する。

そしてPoDはこの拡散現象を利用して粘性抵抗を計算し、質量として固めて電子通貨を広く再分配する。

これは将来のベーシックインカムの為の仕組みでもある。

今までwebというものが稼げなかったのは、現実世界と違ってその質量というものを明確に計算していないからである。

PoDは比較的シンプルな粒子ベースの物理モデルでこの粘性抵抗を再現する。

現状のwebは富がどんどん逃げていってしまう構造になってしまっている。

コンテンツ産業が苦しいのは、未だに視聴ベースの収益還元と過去精算システムが作れていないからであり、AIのせいではない。

ギルド仕草と異端審問ではコンテンツの価値など保つことはできない。それはただの宗教だ。

天動説では宇宙を捻じ曲げることはできない。それがどんなに教会にとって都合が良かろうが、この宇宙は地球を中心にも人間を中心に回ってくれることもない。

地震や津波に対して説教するだけ無意味だ。

祈るだけでは、世界から核もAIも無くなってくれることはない。

必要なのはゲーム理論的な力学的平衡であって、察してちゃん宗教ではない。

コロナの時もそうだったが、感染症とかの環境変動が起きた時に人間ができるのは無菌室に閉じこもって一生を過ごすか、弱毒化されたワクチンみたいなので徐々に慣れていくかの2択しかない。

これが理解できないから反ワクみたいなガキのワガママ集団が生まれる。都合の良い面だけを選べると思っている。

感染者を全員ブチ殺せば全部解決なんて要求は通らない。それを一旦選んだら最後、絶滅戦争しか待ち受けていない。

最後に:絶望と希望、そして分散型社会へ

少し熱くなってしまったが、まぁいい。

最近のついったーとかもうお気持ち言いたい放題のクソクレーマーと暴徒しかいないし、私にも少しくらい愚痴らせてほしいからこの記事を書いたのだ。

この記事自体はPoD機構自体の数理モデルの正確な説明ではなく、構想動機の方である。

書いていて思ったけど、割ともうこの先の民主主義って絶望と地獄しかないよね。

マジョリティの暴力は最終的に全体主義と大差無くなるし、民衆が専門家の意見を軽視してオカルトと他責思考に走ったらもう終わりや。

肥大化しすぎた個人意識は再現のないナワバリ争いと分断を生んでしまうというこの皮肉な構図よ。

かつて絵や漫画を描いていた自分にとって、今の状況は大変残念に思う。

クリエイティブを忘れ、AI差別やヘイト煽動しか出来ないんだったらもうコンテンツ産業は滅ぶしかないんじゃないかな?

過去の栄光が忘れられない老害ほど醜いものもない。

そもそも日本に民主主義と法治体制なんて存在しない国だったか。

今だに同調圧力と因習で他人を操ろうとするカルト集団だもんね。でなければあんな著作権法を誤読してお気持ち自警団やんないでしょ。

老人ほど昔はよかっただとか平和だっただとかほざくけど、生成AI登場以前の4年前も別に全然優しい世界じゃなかったよ。別に努力なんて評価されてなかったし、そう見えているのならそれは身分が上の人間だけだ。

その時代にはその時代のヒエラルキーが下とされてしょうがないとされた犠牲があったし、その生贄の順番が回ってきたに過ぎない。

この世に無垢で清廉潔白の市民などいない。誰もが生きてるだけでそれなりに誰かの邪魔になってるし、その生は幾多の犠牲の上に成り立っている。この世に生まれた時点で既に借金まみれだ。

産業革命を否定していれば、今の文明の豊かさは存在していない。

ラッダイト運動は散々な見当違いの犠牲と損害を出した上で敗北することが決まっている。

黒船来航の時もご先祖様たちは散々な犠牲の果てに近代化を成し遂げたが、当時の武士たちは将軍様を崇めて鎖国し続けていれば大丈夫とか言う連中を見てどういう気分だったのか…。今なら少し分かる気もするな…。

とまぁともかく、PoDの可能性は既存のアテンションエコノミーのさらにその先を掲示する。

別稿ではPoDの対象を分散型SNSから考えているが、拡張すれば対象はこれだけではない。

広義にはweb通信プロトコルみたいなものも可能だろう。最近ではMCPプロトコルみたいな感じかな。

少々大げさな表現と思われるかもしれないが、どうも私には最近の問題には、色々と共通点がある気がしてならんのだ。

エコーチェンバー化問題、印象操作問題、表現の自由問題、クレカ金融検閲問題、国産SNS無さすぎる問題、エトセトラエトセトラ…

これらの問題をより改善できる可能性を秘めている。

責任が集中し過ぎないこと、つまりは特定の悪者扱いをして全てを解決した気分に浸るだけの生贄社会を変える為には、やはり分散型社会に移行してゆく他ない。

もちろん、様々な技術的困難がまだまだ待ち受けていることは分かっている。

それでも一つ一つ改善して、目指し続ける以外に方法はない。その為にある種の目標としての理想機械を考察したのだ。

目指すことさえできなければ、民主主義も経済システムもここでお終いだ。

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