2025年の反省と2026年の行動指針<人を巻き込む・混乱の増加量調節・前向きに引っ張る>
2026年の目標・行動指針
〜2033年の大目標
10→100の実現
2026年の目標
- 持続的に高成長できるチームの実現
- 責任の設計
- チームの作用についての共通理解の構築
- 共通知識が得られる運用設計、場の設計
- 設計に従ったチームの運用
- 採用
- 責任の設計
運用設計については、作業単位で冗長性をもたせる・サブorメンター的設計などが具体案としてあるが、必ずしもこれに限ったものではない。
2026年の行動指針
- 人を巻き込む
- 混乱の増加量調節
- 前向きに引っ張る
単に人を巻き込むこともそうだが、単純に他人に対して自分やチームの方法を守らせる、直接的に指導する、引っ張る、といったことがこれまで欠如しており、それによってかえって不要な混乱を生じることがあった。自分を真似できるのかとか、以前は色々とわからないことがあったが、今はシンプルにやるだけという結論は出ている。もちろん、過程が記号接地できるようにしていく必要はあるが、自分で引っ張っていくということが必要である。
2025年の振り返り
学び
2025年は、2024年に増して、これまで人生の課題であろうと思っていたことがいくつも解明されていった年だった。9年ほど前のインターンが何だったか・どうすべきだったか、私の人生に影響を与えた才能/怪物の概念、SWEを仕事に選んだこと、といった個人的に微妙に折り合いがつかなかったり謎だったりしたことが解明されてしまった。
これらは全てチームという概念には直接関係ないことだったが、とうとう、チームがどういった形で個の集まりを超えて作用するのか、ということが私の中ではっきりと明らかになった。
今のチームの状態は、私が過去に見てきた中で間違いなく最も良い状態にある。技術的な課題はあるが、みんながある程度同じ方向を向いて、また困難を抱えるメンバーに対してそれを チームの方向性に沿った形で 支えたり解消したりという動きが取れるようになった。この状態こそ、うまく言語化ができていなかったが、ただの個の足し算や役割分担ではない、私の思う 本質的なチーム である。
どういったメカニズムでその状態に至ったか、ということについて記しておく。
2025年の年始時点では、私のチームの離脱・負けパターンは、構造的に学校の勉強から落ちこぼれていって再起できなくなるパターンで概ね説明できるということを感じていた。それで、「言われなくても自然にやれる状態の確立」という目標に対して、手段として教育を挙げていた。この考え方はすごくずれていた訳ではないが、実際には、もう一つの若干異なるパターンがある。 チームで活動する中で特定の中核メンバーにかかるコミュニケーション負荷が高くなるパターン である。これは2025年に致命的な事象が発生したわけではないが、2025年「うまくいった」ことによって結果的にその構造がわかり、これからの課題が整理された。
2024年の終わり〜2025年の初めごろにかけて、混乱の受容を行動指針としつつ、チームの価値観やあり方などを考える時間を設けた。トップダウンの方向からも、ボトムアップの方向からも、数カ月〜の相談や対話を設けた。これまで、チームとして混乱期を超えるという活動をしていなかったが、この前後で混乱期が発生し、また解消して、一般的なチームのライフサイクルとして混乱期を超えることができた。
ちょうどこの頃に並行して、複数チームが並列できる体制を作っていくということで、これまである程度issueを定義してから依頼していくやり方を、数カ月〜程度のスケジュール・プロジェクト推進も含めて メンバーが一定の責任を負う ような方法に変更した。といっても、できないときに明示的な罰則があるということでもなく、単にハンドルすることをお願いしたような状態ではある。
また、メンバーが責任を負うようにする過程で、直接オペレーションや営業と開発メンバーの会話を促し、仕様について自分で考える場を用意した。
その後、ちょうど取り組む課題の難しさが適切だったことによって、課題解決やプロジェクト推進ということについて大きく成長するメンバーが複数人出るようになった。それによって、他のメンバーに対しても刺激になり、また学んだメンバーから他のメンバーに対してのアドバイスなどのチーム内の影響が出るようになった。
1on1についてもやり方を変えた。ちゃんとした1on1のために結局必須で私が時間を指定するようにして、準備というか、やりたい事の方に認知を合わせるということを意識した。これはすぐに効果が出るようになった気がしている。認知を合わせる、これまで開発技術という面で向き合わなかったタスクの進め方とか、人との相談の仕方とか、どうすればうまくみんなが必要とする事をできるかとか、そういったこれまでできなかった話を明確にするようになった。完全な準備していない雑談ではなくて、私が持っていきたい認知に合わせていく、というように1on1のあり方を変えた。1on1は完全に認知調整の場になった。
これを振り返ってわかったのは、以下のような構造があることだ。
- チームの構造を、以下の2つのグラフ的な構造で二重に捉えるべき
- 仕事のグラフ(≒作業のグラフ)
- 職能への単純な分解や、作業分解、スポーツチームの試合中のチームワークなど
- コミュニケーションのグラフ(≒ドラッカーのいう労働の構造)
- 仕事・作業で混乱が生じたときの混乱の解消もコミュニケーションに含まれる
- 情報共有、その他様々なコミュニケーション
- 定まったグラフが存在しているわけではなく、その場にいるメンバーや場によって変わる
- グラフ的な構造と表現してはいるが、1:1の関係性の積み重ねで構築されるものではない
- マネージャーがいない場においてのみ、マネージャーの意図していない構造になっている事がある
- コミュニケーションによる混乱解消能力・情報共有能力が、チームで人が育つ力・本質的なチームの力である
- 仕事のグラフ(≒作業のグラフ)
- 2つのグラフのそれぞれでメンバーにかかる負荷を最適化する必要がある
- 仕事に関する適切なグラフ構築を大前提として、そのうえでコミュニケーションのグラフも適切な構造にする
- マネージャーが目にしていないところで負荷がかかる場合があるので、メンバーからの報告が必要
- マネージャーが直接見えないネガティブ行動についてのフィードバックなど
- 単純に負荷が見えていない場合が多くあるので、告げ口のように見えても報告共有が大事
- ただし、監視をしたいわけではないので、責任を持つ範囲のあらゆることの報告が必要な訳ではない
- 個人の責任でどうにかできるならば、必ずしも報告必要ではない
- 当然この判断は間違えるが、間違った判断は都度教育すればよい
- コミュニケーションについても責任は発生する
- 個人の責任でどうにかできるならば、必ずしも報告必要ではない
- メンバーは手段としての相談や報告を通して仕事を達成していく
- メンバーのレベルでも大きな影響を与える判断は発生する
- マネージャーもメンバーもその認識・前提のうえでやっていく
- 責任は権限や手段に先立つ
- 教育や権限移譲の前に、まず責任の設計を考える必要がある
要するに、責任ということについて、うまく考えられていないながらも任せていくようにした。それによって、色々と不完全なところがありながらも、各メンバーの努力によって良い状態になった。今回「たまたま」うまくいったのは、その時点でのメンバーが皆真面目でよく働いているからで、メンバーの性質によっては混乱が生じたメンバーからの「マネージャーに対して表立っていないコミュニケーション」によって他のメンバーが疲弊する。この問題は、メンバーに対して過剰ないし歪な負荷がかかること(当人が適切に捌ける負荷を超えたコミュニケーション負荷がかかること)が本質的な問題で、それを避けるためにはマネージャーの目の届かない当人や周囲から、手に余っているというアラートを上げてもらうことが第一である。これは告げ口のようにも見えるが、チームでの仕事を考えるときには必要なことだ。119番通報のようなことである。
チームの理想像がどういうものかを各メンバーが理解して、特に自分自身のチーム・コミュニケーションにかかる責任を理解し、その形を維持していくこと。自分で維持することが難しければ、エスカレーションをして維持していく。判断軸・行動軸はチームのvaluesに沿ったもの。そのようにして、適切なコミュニケーショングラフ構造のチームを維持していけば、チームの中で一人に過剰な負荷がかからず、かつ1:1のコミュニケーションを超えたチームとしての効果が生じるようになる。
長い、生の反省
まず、私の改善として、理解の構造がわからなくて、才能がなにかわからなくて求められなかった事を、明確に他の人に求められるようになった。また、求めないことで他の人に迷惑がかかるので、その意味でも求めないといけない、ということが改めてよくわかった。一方で、これまで下手に求めて失敗してきたことについては、チームが育った事によって他の人にカバーしてもらえるようになってきた。従来過負荷だったものが、人が増えたことで一人あたり負荷が多少は減った。
自分の立場からは見えていないものが多くある事も感じた。私の甘さが生じている混乱もある。これは改善点である。ずっと昔からそうだが、いまだに楽観的に人を評価して、その人の気分をその場で盛り上げるような事を言って、しかし実際には全然私の思っている水準にない、という事が繰り返されている。完全に、私の楽観評価で持ち上げられて、梯子がなくなっている。ちょっとイマイチそう、という点を、"たまたま"ぐらいに思って目を瞑っていたら、下のメンバーにとってはもっとイマイチだった、ということがいまだに多すぎる。おそらく私がメンバーを集めるようになってから一貫してそうだ。私に対しては繕った状態であって、私が違和感を感じるならその時点でアウト、というようなこと、あるいは人間はそもそも取り繕うのだということへの認識がなさすぎた。この歳で物凄くバカみたいな事を言っている自覚はあり、下の人間は上の人間に対して取り繕うなど当たり前だろうと言われたら、そりゃあ当たり前なのだが、私は不惑になるまで実感として分からなかったのだ。あたしって、ほんとバカ。私自身、雑務を進んでやるとか、いつも特定の仕事をちゃんとやってくれているとか、そういった事への感受性は個人としてはだいぶ高い方だとは思うのだが(というのも自分がそのタイプだったので)、そうした事象のマイナスバージョンについては、感受していても無視している。これは私の忍耐力やら遂行力やらと紙一重で、それでストレスを感じていると死んでしまうので意図的に無視しようとしている部分もあるのだが、それによって無謀に楽観的な自分が生まれ、メンバーレベルで見て軋轢が生じたりすることが発生してしまう。当たり前だが、人間、マイナスな事を自然に隠す人もいるのだ。
そうすると、私が純粋な開発業務以外でストレスフリーであったことの裏返しの悪い面も見えてきて、要するに私が背負うべきストレスを背負っていなかった可能性がある。無邪気に変なストレスなくて楽だなと思っていたが、よく考えると私がやるべき事を単純にやっていなかったのでは。これはやばい。。。例えば単刀直入には、その人が他の人に対して悪い影響を与えていないか、ということをものすごく軽く見ていたということだ。これは対策を打つとかもそうだ。
これは悪い面ばかりの話でもなく、一面的にどうすればよいという話ではないのだが、とにかくそうだ。例えば私が人を立てれば、信頼しようという気持ちが生まれ、批判しにくくなる。本来あるべき批判が失われたかもしれないのだ。
技術というよりは、むしろ人の評価や目の前で見えている世界においてこそ、それを注意すべきだった。私のアプローチは真逆で、むしろ引っ張る必要のある開発は自分に自信がないといい、人の評価については影響のフィードバックを求めなかった。しかしそうした事への理解がなかったものの、事態は好転した。いまチームが機能するようになったと感じる根本要因は、相互評価・ちゃんとした意味で相互に言いたい事が言えるようになってきていることにある。従来のハブ型コミュニケーション、上と下のただの延長・作業分担ではなく、一定の権限委譲の中で自律的な相互作用が自然と発生するようになって、それがチーム感や自律的な動きを生じているのだ。
そういった観点でのメンバーの管理が過去にできていたか。"自然発生的な雨道の水路"のような、自然発生的なコミュニケーションに任せず、各水路がワークしているか否かを判断・調整できていたか。意図しないコミュニケーションが誰かを圧迫していなかったか。自然にできる水路の否定ではなく、それを活かしてチームのあるべきコミュニケーション設計をできていたか。メンバーが自律的か否かというよりは、メンバーの関係性や場、舐められる・舐められないも含めての空気、チーム作りとしての管理を、今までできていたかという事なのだ。個人ではなく。ここまで書くともうはっきりしているが、それは全くできていなかった。
総括
いま我々がうまく行き始めたのは、水路が私の見える表で、かつ大きく構築されたからだと思う。ある程度のコントロールはできる。
大雑把にはグラフ構造ではあるのだが、グラフまで抽象化すると、自分から見える状況や、空気感・場などの概念が失われてしまうので、抽象化しすぎても良くない。その意味では水路のメタファーの方がまだ良いが、ただ仕事と二重構造があるという意味でグラフで考えることにも意味はある。ただ、水路も確定的なものが一つあるような印象を与えてしまう。実際には、例えば私がいる場といない場で違ったり、あるいはもっと少人数のグループでのみ違ったり、といった、場面やメンバーによってその場その場で差が出るような構造である。
それを踏まえて、これまで、他の人や場として見たときにどうか、という発想ができていたか。1on1で見えていない部分を知って対策することもしてはいて、目が増えたという意味でのチームの機能性upを感じていたが、そうしたチームの構造や場をもっと設計していかないといけなかった。自分が居ない時のチーム、自分が見えない場のマネジメントをしないといけなかったが、"仕事"はともかく、コミュニケーションについてはそれは完全に放棄していた。むしろそれこそがマネジメントの仕事だろうと言われれば、それは全くそうかもしれない。
特に今年、チームでどう成果が出たか、ということがあり、それによって見えない部分が従来どう影響していたか。チームでやることの意味・効果が単なる協力や順番処理、効率化のような仕事の話ではなく、自分のあるべき姿とか、どう仕事を進めていかないといけないかとか、そういったことを含む悩みへの相談であったり、あるいはアドバイスであったり、そうした手助けが自然となされて、例えば「軽い混乱」が軽いうちに回復できるかどうか。混乱からの回復、立ち直りができれば、それは明らかに個人の和よりも強い。それぞれの人の躓きのポイントは異なり、それを単独で超えるのは難しいが、相談できれば容易に解消できる。解消にもいろんな方向があり、チームの方向性と合致している・していないという事があるが、それが合致している方向で回復できるようになると、明らかにチームの価値がある。
その方向性を維持しないと、他の人のアドバイスが間違っていてさらに混乱する場合などがあるが、見えないところでのやり取りはわからない。
ただ、監視をしたいわけでもなく、それの修正も含めて責任を引き受ける、というような概念が発生する。責任を求めていく、ということの一つの意味である。負荷が大き過ぎればとにかく相談をしてもらうこと。仕事の量についても、仕事の量ではないコミュニケーションのネットワーク流量についても、どちらも負荷が発生するので、相談していく。逆の言い方をすると、単純な仕事と、コミュニケーションネットワークの維持と、両方が責任範囲になる。
目標進捗
- 言われなくても自然にやれる状態の確立 60/100
- 教育の実施と、教育制度の確立 30/60
- 計算機科学に類する教育 5/15
- DBのロックなどで必要になったことを実施してもらっているが、結局進んでいない
- 一般的な仕事の技術や心構えに関する教育 10/15
- テストや確率的な考え方など、定例で発信するようにしたが、それだけという感じ
- 自社の事業、業務に関する教育 10/15
- セールス・オペレーションとの対話を常にすることで改善された
- 教育制度の確立 5/15
- オンボーディングの記事を作ったりしたが、それぐらい
- 計算機科学に類する教育 5/15
- 自発的な学習、振り返りを引き出す 30/40
- 教育の実施と、教育制度の確立 30/60
これまでは対応が厳しかった一定の難しさのあるプロジェクトを私以外で動かせるようになり、またテスト体制をチームとして構築でき、本当によかった。何よりもチームとしての機能性を実現できたことがよかったが、技術の習得に関する課題はある。ただ、この時間を劇的に短縮することはできず、基本的には時間がかかる。
制度や技術的な教育についての課題はあるが、ただ幸か不幸か、チームとしての機能性の向上によって、教育の前に本来考えるべきこと(ただし今回は"運よく"うまくいったこと)が明らかになった。
行動指針の実践度
人を巻き込む
個人としては基本的にダメだったが、開発以外も含むチームとしてはうまく回るようになった。個人としてはまだまだ必要である。
混乱の受容
私の感覚では混乱を受容するように務めたつもりだが、実際どうだろう。私の受容の立場というよりは、結局本人がそれを処理できるかということが重要で、単純に混乱増加量を減らす、解消を促進する、といったアクションが必要ということは感じた。
ただ解消の促進も結局強くやりすぎると耐えられないので、表現としては増加量調節ぐらいにしておきたい。もうちょっと良い表現があるかもしれない。
アンラーンの観察と促進
アンラーンについての観察・促進は実施したが、混乱と同じような話があるのと、目前での事象の観察とは別に自分が見えていないところでの振る舞いがあり、そこで上手く行かなかった。改めて私はアンラーンが得意だったのだろうとは思い、またアンラーンが必要な場面は確かにあったが、単純な学習も含めての課題のように感じる。混乱の増加量調節に統合する。
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